7-5.今年の森はちょっとおかしいのかなぁ

 この辺りでは大きな村とグラットは説明したけど、あくまでも周辺の中ではという話だ。

 トーイ村は小さな村で、門番はいない。入り口の扉は閉まっているが、押せば簡単に開く。

 案内役のグラットが門を開くと、その振動でそばの草むらが揺れた。こんもりと茂った草むらの中から、親指大くらいのバッタの群れが、キチキチと音を立てながら一斉に飛び立つ。


「ぶわっ」

「うわあっ!」

「ひゃぁっ」


 いち早く反応してしゃがみこんだワタシは無事だったが、門を開けたグラットと帝都出身のギル様は、飛翔するバッタの群れに巻き込まれてしまった。


「け、煙飛びバッタか!」


 ギル様が顔を顰めながら、手でバッタを払い落す。

 森に慣れているグラットは、顔をかばいながらすぐにその場にしゃがんで、群れの移動をやりすごしていた。


 煙飛びバッタは帝国全土に生息し、主に森の奥など日陰で湿った場所を好む、バッタ系の群飛昆虫。通常のバッタよりもはねが大きく、群れで飛ぶと煙のように見えるからその名がついている。


 バッタが飛ぶ光景は珍しくないが、この数の群れを村の中で見るとは思わなかった。


「グラット、今年は煙飛びバッタの数が多いの?」

「そうだな。多いなぁと感じていたが、ここまで増えているとは……」

「緑鱗トカゲの姿が消えたとか、煙飛びバッタが異常繁殖しているとか、今年の森はちょっとおかしいのかなぁ」


 空を見上げるグラット。

 天候の変化で特定の植物や動物、昆虫の数が増減することは珍しくない。けれど、今年の気候は例年通りで、災害もなく特に異常はなかった。


「原因はよくわからないが……。緑鱗トカゲは煙飛びバッタを餌にするらしい。緑鱗トカゲの数が減ったから、煙飛びバッタの数が増えたのかもな」


 ワタシとグラットは、森の奥へ消えていった煙飛びバッタを見送った。

 大きいとはいえ、煙飛びバッタがヒトに危害を加えることはない。

 移動中の群れに巻き込まれさえしなければ、害はないのだが……。


「煙飛びバッタが多い年は餓えないというけど……流石にこの数は食べ尽くせそうにもないだろうな」

「美味しいのにもったいないね」

「そうだな。もったいないよな」

「ええ! 食べるのですか!」


 ワタシとグラットの会話を黙って聞いていたギル様が、驚いた声をあげる。


「あれ? ギルは食べたことがないの?」

「ええ……。ありません」

「佃煮とか、香干しとか、素揚げとか? 麦粥に入れたり、燻し葉包みくんしばづつみにしても美味しいよ?」

「煙飛びバッタが食用可能とは……。知りませんでした」


 心底驚いているギル様。

 煙飛びバッタは他のバッタと違ってはねまで食べられ、しかも大きく食べ応えがあるので人気の食材だ。

 栄養価が高く、食品加工すれば保存もきくため、農耕作業が難しい山奥の村では貴重な食料源なのだが……。


 この地域では普通に食べられており、アスグルスの街でも煙飛びバッタの加工食品が露店で売られている。『ポッカポッカ亭』では酒のつまみとしてメニューに並んでいるくらいだ。


「帝都では食べないの?」

「食べませんね。煙飛びバッタもそれほど見かけませんから」


 なるほど。そうなのか。

 流通の盛んな帝都なら食材は充実しているはずで、わざわざバッタを食べる必要もないだろう。

 帝都では煙飛びバッタ料理がないのなら……ますます帝都には住みたくないかも。


 ちょっとしたハプニングはあったが、ワタシは雑念を追い払い、トーイ村へと入っていった。




「ここがトーイ村……?」


 父様に連れられて何度か訪れたことがあったけど、数年ぶりのトーイ村は、ワタシの記憶とずいぶん違っていた。


 気のせいではなく、空気が澱んで埃っぽい。布で口と鼻を覆っているというのに、変な臭いが漂っている。


 昼前なのに、出歩くヒトの姿がない。

 

 各家の雨戸はしっかりと閉じられ、ひっそりとしている。


 そろそろ昼の準備を始める頃だというのに、煙突から煙が出ている家もなかった。

 生きている気配が希薄というか、活力に乏しい村だ。


 ただ、どの家も軒下に大量の麻袋を吊り下げている。何かのおまじないだろうか?


 グラットが村長の家に向かうと、中からグラットより少し年上の青年が出てきた。村長の息子で、なんとなく見覚えがあった。確か名前はムスコーだったと思う。

 ムスコーも布で口と鼻を覆っている。

 熱斑病ねっぱんびょう(本当は焦斑熱しょうはんねつだが)が大人にも広がり始めたとき、グラットが感染対策をするよう村々に注意しながら、ワタシのいるアスグルスの街に向かった結果だった。


 グラットが手短に来訪の理由を告げると、ムスコーもまたワタシのことを覚えていたようで、「エルフのセンセイのお嬢さんが来てくださった」と喜んでくれた。


 ワタシが『雪雫の薬鋪』の三代目店主だということも知っていた。久々の訪問だったけど、あっさりとワタシは薬師として受け入れてもらえた。

 病に倒れた村長夫妻に代わり、ムスコーが対応してくれる。


 まずは村の共用水場に案内してもらう。

 ヒトの医術師ならまず患者の診察を……となるが、ワタシたちはエルフの父様から薬学を学んだので、疫病が発生した場合、まずは周囲の精霊の気配を探ることから始めるのだ。


 村人たちはその理由を知らなくとも、父様の行動を今まで見てきたので、ムスコーも当たり前のようにワタシたちを案内してくれる。

 この村は井戸ではなく、泉を利用していた。

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