6-2.聖女様に褒めていただけた!
パタパタと動き続ける耳に困惑しながら、、ワタシはすっきり片づいた調剤室を見渡す。
道具や資料にあふれ、いくら掃除しても雑然としていたこの部屋が、ギル様の手にかかるとここまで変わるとは。
死んだ先代や先々代が、この魔空間と化した調剤室を見たら、腰を抜かすに違いない。
ワタシは
筆頭守護騎士のギル様が、『銀鈴蘭の聖女』を護るために『雪雫の薬鋪』全体に施した結界。
初日にも「すごい……」と感動したけれど、日を追うごとにその強度はさらに増している気がする。
最初は気のせいかと思っていたが、今では無視できないほどはっきりとした変化を感じることができた。
きっと……いや、絶対に、ギル様は毎晩、あの祈りの儀式……聖剣の柄で床をコンコンと叩く例の儀式を欠かさず続けているのだろう。
「ギル……」
「お呼びですか? ナナ様!」
ワタシに名を呼ばれたギル様は、食器を拭く手を止めた。
ぱっと輝いたその顔はまるで少年のように嬉しそうで、直視できないほど眩しい。
ファンシーなエプロン姿にもようやく慣れてきた。
「早くご命令を!」と待ち構えてる姿は『まるで』ではなく、『完全に』ワンコだ。
それが可愛すぎて……見つめていると、胸が雑巾のようにぎゅーっと絞られる。
「その……ギルが『雪雫の薬鋪』に張ってくれた結界だけど」
「ま、まさか……わたしの結界に不都合な点でもございましたか?」
ちょっと……ギル様! 朝からこの世の終わりみたいな深刻な顔をしないでください!
「ち、違うわ! ふ、不都合なんてないの! ……ただ、日増しに結界の強度が増してるような気がして」
「さすが! ナナ様です! そのような微々たる変化を見抜かれるとは! さすがナナ様です!」
いやいや、魔力察知ができるヒトなら、誰でも気づくレベルの激変ですよ?
結界の効果が、倍、倍、倍って感じで膨れ上がってます。
気づけば『雪雫の薬鋪』は、アスグルスの街で最も強固な結界に守られた、安全すぎる空間になっちゃってますよ?
アスグルス男爵の屋敷や、街の神殿を上回る強固な結界って、どういうこと!?
……四日前、『帝国の剣』ことフィリア様が薬店の修繕して以来、とくに結界の強化が顕著になった。
フィリア様……きっとギル様に『お願い』されて、書庫の魔改造だけじゃなく、結界にもなにか仕込まれたのでは?
「ナナ様! 失礼いたしました! ご不快に感じられたのであれば、今すぐ修正いたします!」
「ち、違――う!」
今にも階段を駆け登って屋根裏に飛び込もうとするギル様の背中に手を伸ばし、服の裾をぎゅっとつかんで引きとめる。
「違います! 違います! そんなことないです! 不快なんてとんでもない! むしろ、心地いいというか、あたたかくて……護られてるって……」
はうっ!
ワタシはなんてことを口走ってしまったんだ!
ギル様の顔がトマトのように真っ赤になり、目から滝のような涙がぼたぼたとこぼれ落ちる。
「ぎ、ぎ、ギルさまぁっ!」
なぜ泣くの!?
どこに泣く要素があったの!?
「やった! わたしの結界を褒めていただけた! やった! やった!」
万歳して大喜びするギル様。
その無邪気すぎる姿が、ワタシの脳裏に焼きついて離れない。
こんなにも喜んでもらえるなんて思ってもいなくて、ちょっと恥ずかしかったけど……その姿を見ていたら、恥ずかしさもどこかに吹き飛んだ。
ワタシより年上で、なんでもできるのに、時々こんなふうに少年みたいに喜ぶギル様。
その姿に、胸の奥でキュンと音がした。
「聖女様に褒めていただけた!」
「…………」
ワタシの胸がチクリと痛む。
この痛み……胸が重くて苦しい。呼吸も辛い。
突発性の不整脈かもしれない。
ワタシはドキドキ、チクチクと疼く胸にそっと手をあてた。
毛が数本抜けたくらいでは死なないけれど、心臓の病は命に関わる。
育毛剤を完成させるより先に、自分のこの不可解な症状を治す薬を調合すべきかもしれない――そう思うのだが。
症状に該当する記述を、書庫でいくら探してもなかなか見つからない。
死んだ師匠ならこの病名を知っていただろうか。
各地を放浪している父様なら、この病に効く薬を調合できるだろうか。
粉末を薬皿に移し、新しいカチコチ草の実を砕きはじめる。
そんなことをぐるぐると考えていると、「カロンコロン」というドアチャイムの音と共に、店の扉が開く気配がした。
そして、なにやら言い争う声が……。
「なんの用だ! 不埒者!」
「あ、いや! ちょ、ちょっと待ってください――!」
「ナナ様に近づこうとする奴は、なんぴとたりとも許さん!」
「ちょ、ちょ、ちょっと! 落ち着いてくださいってば! 用事が! 大事な用事があるんです!」
「問答無用!」
「ちょっと……ナナ! ナナ! どこにいるんだ!」
「ナナ様と呼べ! 尊い御名に敬称をつけぬとは! その不敬、許しがたい!」
「え? ちょ、ちょっと――!」
ギル様と若い男性の声。
バチン、バチンと、なにかが叩かれる音も聞こえる。
若い男性の声に、聞き覚えがあった。
ワタシは作業の手を止め、帳場へ急ぐ。
カウンターの向こう側では、箒を振り回すギル様と、その攻撃を避けようと右往左往する薄汚れた若者。
ずいぶん汚れているけれど、彼は間違いなく……グラットだ!
箒をヒュンヒュン振り回し、ホコリまみれなグラットを入口へと追い立てるギル様。
信じられない速さで動く箒の穂先は、まるで高速剣技のよう。
それをすばしっこく交わしていくグラットの動きも、常人離れしている。
ふたりの神がかった動きにワタシは目を丸くした。
「そのような汚い姿の者を、この神聖な場に通すわけにはいかぬ! 即刻立ち去れ!」
ギル様、それはもう店番じゃなくて門番のセリフですから!
……って、そんなツッコミを入れてる場合じゃない!
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