第4話 トンカツ

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殴った翌日の昼休み、廊下で同じ1年の水島 拓真とすれ違った。 ほとんど話したことのないクラスメイトだったが、彼は立ち止まって僕を見た。


「……大丈夫?」


たったひとことだった。でも、その言葉に苛立ちが込み上げた。


なにが大丈夫だよ。 ろくに球拾いもしてないくせに。 ボールが飛んできたって、後ろで突っ立って笑ってるだけのくせに。 僕がずっと真面目にやってたことなんて、知らないくせに。


……でも。 これ以上、敵をつくっても意味がない。 僕は笑って、「うん、大丈夫。ありがとう」と返した。


笑顔が、ひどく嘘くさく感じた。


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その日の夜はトンカツだった。といっても薄いロース肉で食べ応えには欠ける。ただ塩こしょうベースの下味の効いたそれは二口で茶碗1杯のごはんをなくしてしまう麻薬だった。


結局3杯も食べてしまった。膨れ上がった腹をなでながら部屋に戻ろうとすると、「そういえば、広報見た?」とおばあちゃん。さっきの麻薬を精製した張本人である。共働きの両親に代わって家事をしてくれている。考えが古くてちょっと頭が固いけど、優しい自慢の祖母だ。


「いや、見てないよ」


「飛燕台コートで毎週日曜の朝ソフトテニス教室があるみたいだよ。行ってみたら?」「いく」


即決した。ここ最近毎日球拾いで正直うんざりだった。少しでもボールが打てるならなんだってする。心が高ぶると同時に、便意もこみ上げてきた。やっぱり食べ過ぎた。


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日曜の朝、まだ町が静かな時間帯。

僕――一ノ瀬 蒼は、ラケットを背負って、チャリで家を出た。

空気はひんやりとしていて、少し肌寒かった。

でも、それが逆に気持ちよかった。


坂道を下り、飛燕台コートに向かう。 目的地があるってだけで、ペダルをこぐ足も軽かった。


コートに着いたのは、朝7時ちょうど。 霧がうっすらと立ちこめていて、向こうが少しかすんで見えた。 すでに何人かの白い帽子をかぶったコーチたちが準備をしていて、 そのまわりには、他の中学から来たらしい1年生や、経験者の上級生たちが集まっていた。驚いたことに、その中には二中の先輩の姿もあった。


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緊張していた。 でも、ラケットを握ると、やっぱり楽しかった。 球出しされたボールに思いきりスイングを合わせる。 “打っていい”ってだけで、こんなにも心が軽くなるのかと思った。


他の中学校の1年生も来ていた。

僕と同じように部活では球拾いばかりで、ここでようやく“打てる場所”を見つけたという子もいた。


何より嬉しかったのは――

ここでは、僕が笑っていることに気づいてくれる人がいた。


「ナイスショット!蒼くん、それいいフォームだね!」


名前を呼ばれるのが、こんなにも嬉しいことだなんて、知らなかった。


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それからというもの、日曜の朝が楽しみで仕方なくなった。

早起きも全然苦じゃなかった。

部活が終わった金曜日の夜から、もうワクワクしていた。


部活では、まだボールを打てない日々が続いていたけれど。

この場所があるから、もう少しだけ頑張ってみようと思えた。


自分が“上達している”という実感は、ここで生まれた。

野球のときにはなかった感覚。

壁にぶつかったあと、もう一歩進める気がするこの感じ。


春の風の中で、ラケットを振る。

白いボールが、弧を描いてネットを越えていく。

その光景は、確かに“希望”のように見えた。


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