第15話:くっ……殺して!

「おいっしいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!」





 ミュウ・アルハンゲルは屈していた。

 それも盛大に、迅速に、見事なまでに屈していた。


 いや、違う。

 違うのである。

 彼女にも一応、言い分はある。


 最初から食べるつもりはなかった。

 始めは先の宣言通り、人間としての尊厳を守るために、オークの作った魔物の鍋など拒絶する気でいたのである。


 だが憎むべきオークときたら、そんな壮絶な覚悟も知らずに、よりによって彼女の目の前で土鍋の蓋を開け放った。その時、彼女の顔面を叩き、鼻腔に直接攻撃ダイレクトアタックしてきたのは、黄金色のスープが放つ狂おしいほどの芳香だった。


 ――な、なんなのよ、この匂いぃぃぃぃぃぃぃぃ!?

 ――そして、なんなのよ、この色はぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?


 Aランクモンスター、四腕熊バグベアは、一部地域では別名として金色熊こんじきぐまと呼ばれている。もし狩ることに成功すれば、牙や毛皮が高く売れ、金貨がたくさん手に入るからだと多くの人は信じている。


 だが実際にはそうではない。

 ここにいる誰も知らないことだが、実はその名の由来とは、このように肉を煮込んだ際ににじみ出る汁にあるのである。


 ミュウの本能は告げていた。

 この食材に、もはや毒はない。

 そして、またこれを少しでも食べれば、自分の中の何かが〝飛ぶ〟と。


 ああダメよミュウ! ダメよダメ! こんなもの食べたらおかしくなるわ! 人じゃなくなってしまうわよ!――と、まるで呪文を唱えるみたいに彼女は心中で葛藤したが、目の前のオークとエルフの少女はそれを自分の器によそい、はふはふ、もぐもぐし始めた。

 ああ、なんて……美味しそうなのか!


 この時点でほぼ限界だったが、オークはとどめを刺しにきた。

 そいつはなんと新たな器に、ごろっと大きな熊肉とスープを入れて、それを手渡してきたのである。


 なんていうか、もう、ここまでされたら味見しないわけにいかなくなった。


 よって、最初はスープだけ。

 スープをほんの一口だけ、ずずっとすすってみようと思った。

 それで欲求をなんとか沈めて、魔物食なんていうおぞましい行為からは手を引くつもりでいたわけだ。


 結果的にそれが過ちだった。

 その黄金のスープの味はミュウの貧弱な想像を遥かに超えるものだった。





「ッ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!?」





 ベースは食べ慣れたシータ茸の、深く、芳醇な旨味。そしてノルビ草やマイゼン草などのやや刺激的な苦味である。まあ、これだけなら食べ慣れた野食にすぎないものだったろうが、しかし、もちろんこの鍋の主役はそんなありふれたものではない。


 細切れにされた四腕熊バグベアの腕。

 その肉から出た黄金出汁は、まろやかで、甘く、クセがなく、とろりと溶けた脂の旨味はまるでバターのようだった。


 一口なんかじゃ、とても終われない!

 飲み干してしまいそうになる!


 スープの時点でこれなのだ……肉そのものは、どんな味なのか?


 彼女は猛烈に気になった。

 何より非常に空腹だった。

 精神力マインドの著しい消耗は、補填のためのカロリーを術者に求める。そんな状態で目の前に「それ」があったとして、我慢することができるだろうか?


 かくして、冒頭部分に戻る。


 Sランク級冒険者の妹にして、名家アルハンゲルの血を引く魔法職メイジは、このようにして魔物食い――人の道から外れた行為――に、手を染めてしまったわけである。




「あたし、死ぬわ」




 ほどなくして……

 器いっぱいの特製ちゃんこを合計4回おかわりし、そのとろっとろの黄金スープと極上の肉を堪能したミュウは、しばらく「はふぅ」と息づいてから、急にそんなことを言い始めた。


「いきなり何を言い出すでごわすか?」


「毒が回っておっ死ぬのよ」


「毒がないのはわかっておろうに」


「じゃ、殺して」


「む?」


「殺してくれって言ってるのっ!」


 ミュウは仰向けに身を投げ出して、甲高い声でそう喚き立てた。

 オーク……否、貴政は、ひどく見苦しい猫耳少女にさすがに呆れた目を向ける。


「お主、さっきまでノリノリで美味い美味いと言うておったろう?」


「だから殺せって言ってるのっ! あ゛ぁ~~~~~~~もうっ、なんでこうなるのよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」


 ミュウは目元を手で覆い、びぇぇぇぇぇぇぇ、とギャン泣きし始めた。

「だいじょぶ? いたい? なかないで?」と、それを見たクゥがおろおろと少女を介抱し始める。


 正視に耐えぬ光景であるが、とはいえ、これはミュウから見れば当然といえる反応だった。


 日に二度も同じ相手に負けた。

 それも下等なオークに、だ。

 プライドの高い彼女にすれば、まさしく「くっころ」なのである。


 見かねた貴政は、はぁ、と息をつき、網籠の中から何かを出す。それは木苺に似た果実の束で、まあ、ようするにデザートだった。


「これでも食って機嫌を直せ」


「ひっ! ぐっ、ぐずっ……こんなものぉ!」


 ミュウは果実をひったくり放り捨てようとしかけるが、どうも好物だったらしい。彼女は少し迷った後、パクリとそれを口に入れた。


「んぐっ……か、勘違い、しないでよね! こ、こんなもので懐柔されない、わっ!」


「そんなことをするつもりはない。おいどんはただ、お前さんと話したいだけでごわす」


「話すって……何を、話すのよ?」


「〝あんた、何?〟と聞いたでごわそう? それに答えようと思ってな」


 ミュウはゆっくりと体を起こした。

 その泣きはらした緑色の目には、戸惑いと好奇心が浮かんでいた。


「やっぱり、あんたオークじゃないのね?」


「いかにもでごわす」


「じゃあ、なんなのよ」


「力士……いや〝人間〟でごわす」


 貴政がきっぱりそう言い切ると「はぁ?」という声をミュウは上げる。

 どうやら彼の言うことを少しも信じていないらしい。


「ツノ生えてるわ」


「マゲにごわす」


「腹出過ぎ」


「チャームポイントにごわす」


「でも、だけど……あんたの使う妙な技! あれは、どうやって説明するのよ? 岩の上乗って空飛ぶとか、上級魔法を無傷で防ぐとか、人間業じゃないでしょう!?」


 ビシッと指を差された貴政は、首を傾げた後、やがて手のひらをぽんっと叩いた。


「ああ、そうか! お前たち〝本土〟の者らと同じで、〝呼吸〟も〝加護〟も使えないのでごわすな?」


「なによそれ?」


「秘密にごわす。それはデリケートゾーンゆえ」


 貴政はしいっと唇に指を当てる。

 サツマ男児の神秘の技は門外不出なのである。


「しかし、おいどんの生い立ちならば、いくらか話してよいだろう」


 そう言って、貴政は話を始めた。それは自分の生まれた故郷の話や、幼い頃から力士となるべく厳しい鍛錬を積んできたことなどだった。


 当然といえば当然であるが、ミュウの頭上に浮かんだものは大量のハテナマークである。


「ちょ、ちょっと待って! なによそれ!? そんな国、聞いたこともない! サツマレンポウ!? ヒゴモッコス!? 一体、なんの話をしてるの!?」


「いや、だから、それはおいどんの故郷の……」


「だから、それどこの国なのよ!」


「異界でごわす」


「い、異界?」


「うむ、いかにも。実はおいどん、この世界とは別の世界から来たのでごわすよ。そちらから見た言い方をすれば……ってところにごわそう」


 貴政は下手に誤魔化さず、自らの境遇を正直に語った。






【作者コメント】

ここまで読んでくれてありがとうでごわす!

面白かったら、♥、★、フォローなどで応援してもらえると嬉しいでごわす!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る