2. 供犠

 老いは、恐怖ではなかった。




 何十年と続いたいくさまつりごとの果てに、この身は既に使い潰されていた。


 骨は軋み、目は濁る。


 だが、我が王国は、まだ滅びてはおらぬ。




 ならば、果たさねばならぬ。


 我が命が尽きる前に、次代に繋ぐ道を。




「勇者召喚の儀、完了しました」




 側近の報告に、は頷いた。


 我々の代償は、ついに報われたのだ。


 魔術師達が命を削り。

 兵士達が準備を整え。

 巫女が祝詞のりとを捧げ。


 この日を、幾年待ち望んだか知れぬ。




 目の前に現れたのは、一人の少年だった。



 年端もいかぬ若者。

 だが、その身に刻まれた刻印は――確かに、選ばれし証。


 余は玉座から立ち、口を開く。


「汝は選ばれし救世の勇者。我が王国を滅びの運命から救うのだ」


 歓声が広間を満たした。


 兵士も、魔術師も、誰もが、未来を信じて疑わぬ顔をしていた。




 だが、少年は言葉を返さなかった。

 眼を泳がせ、ただ戸惑っていた。


 無理もない。

 だが、そんなことは、どうでもいいのだ。


 帰る術はない。

 選ばれし者は、世界のめいに従うのみ。


 この国を救うのは、お前の義務だ。

 それが、我々の正義だ。




 お前は、救済をもたらす存在なのだ。




 側近が命じる。

 将軍が指示を与える。


 だが、少年の反応は鈍い。




 やがて、彼は言った。


「召喚された者が、それまでどんな人生を送ってきたか、あなたたちは考えたことがありますか?」




 はて、と余は思った。


 なぜ、そんなことを問うのか。


 勇者とは、世界に選ばれた存在だ。

 世界を救う代償として、少しくらい犠牲があるのは当然だ。


 誰もがそう理解している。


 少年とて、すぐにわかるはずだ――




「……では、こういうのはどうですか」






 その言葉が、地獄の合図だった。






 何が起きたか、わからない。


 しかし、将軍が崩れ落ちた。


 側近は血を吐いて倒れ、魔術師を兵士達が殺し、最後には己の喉を裂いた。






 誰も、声を上げなかった。

 否、上げる間もなかった。


 異能、か。




 余の王国が、音もなく崩れてゆく。


 まるで、初めから存在しなかったかのように。




 そして、少年は、余の前に立った。


「救え、と言いましたね。良いですよ。但し――」


 その言葉の意味は、最後まで理解できなかった。


 余は、言葉を発しようとした。


 だが、声が出ない。


 喉に違和感が走った。




「この世界に、お前達は要らない」




 自分の手が、勝手に、首へ伸びた。

 力が、入る。


 何故だ?


 余の意志ではない。


 苦しい。


 これが、この少年の、能力なのか。


 何故、余に使った?


 誰が命じた?


 止めろ。

 やめろ。


 余は王だ。

 命ずる者だ。


 こんなこと、あっては――





 視界が、黒く染まっていく。

 世界が、遠ざかっていく。


 理解できぬ。


 だが、止まらない。




 真っ暗な視界の中で、耳が、最後の言葉を拾った。


「……これが、本当の『自分の首を絞める』ってやつだね」


 冗談か。


 誰に向けた言葉だ。

 何の意味がある。






 何故、余は、救われない?






 余は、世界を救おうとしたのに。


 どうして、こんなことに――






 救済とは、何だったのか。






 それを考えるには、遅すぎた。

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