何を持っているんですか

 放課後の、学校の屋上。

 様々な方向から部活動の音や声が聞こえてくる中で、僕は、右手に持った物を太陽の光に透かして見ていた。

 出入り口の扉には進入禁止って書いてある貼り紙されてたけど、こういうのって入る人一定数は居るよね。

 僕もその一人だからここに居るんだけど。

「何持ってるの?」

「ん〜?」

 不意に聞こえてきた声に左を向くと、眼の前に誰か居た。

 後ろ手に手を組んで、前傾姿勢でこっち見てる。

 可愛い。

 でも……

「えっとねぇ〜」

 この人、誰だっけ?

 見覚えはあるんだけどなぁ。

「ビー玉」

「ビー玉?」

「うん」

 視線を戻した僕は、ビー玉を持っていた。

 中に薄い板が縦に捻れた様な青い何かがある。

 綺麗だけど、これ何なんだろう。

 絵の具なのかな。

「食べたら駄目だよ?」

「え〜駄目?」

「うん駄目」

 そっかぁ、残念だなぁ。

 まぁそもそも、食べる為に作られた物じゃ無いからなぁ。

「口の中に入れてコロコロ転がして遊ぶのも駄目?」

「う〜ん……駄目、かなぁ? 誤嚥ごえん怖いし」

「駄目かぁ」

 あれ、独特な感覚で結構楽しいんだけどなぁ。

「それ、どこから持って来たの?」

「うん? 落ちてたから拾った」

「拾ったの? どこで?」

「ここからちょっと行ったトコに公園あるでしょ? そこの砂場辺りに転がってた」

 砂だらけだったから、傍にあった蛇口ですすいでから持って来たけど。

 そういえば、公園の名前何だったっけ。

 こういう時に限って思い出せないんだよなぁ。

「ギンナン公園?」

「そうそう、そこ」

 そうだ、ギンナン公園だ。

 銀杏がよく落ちてるからギンナン公園って呼ばれてるけど、何でこれ程直球な名前が共通認識になってるんだろう。

 いつの間にか知ってるよね。

 それも何でなのかな。

「落とし物として、交番とかに届けたりしないの?」

「やってもなぁ……持ち主が見付かるかも判然としないし、面倒」

「そっかぁ」

「そうなんだよ」

 実際色々な手続きとかで時間取られるらしいし、折角自由に使える時間があるんだから、それで無駄にしたくはないなぁ。

「私、そういうのは一応届けるべきだと思うなぁ」

「そうなの?」

「うん。それが持ち主の大切な物かも知れないんだし、交番とかから感謝もされるから、良い事をした気分になれるよ」

「そっかぁ」

「そうなんだよ」

 良い気分になれるなら、やろっかなぁ。

 費用対効果が見合うかどうかは解らないけど。

 ……あれ?

 僕、いつの間にこの人に抱き着かれてたんだろう。

 何か匂いも嗅がれてる。

 何でだろ。

 まぁ、嬉しそうに笑ってるし、抱き着かれてるのは腰だから身体の自由は利くし、良いか。

「一緒に見付けたって事にして、帰りにでも寄ってく?」

「私も?」

「良い事をした気分になれるんでしょ?」

 確か学校の近くに交番あるし。

「う〜ん……止めとく」

「何で?」

 良い事をした気分になれるらしいのに。

「持ち主が見付かるかも判然としないし、面倒」

「あれ? 聞き覚えがあるぞ?」

「時間が巻き戻っちゃったのかな」

 巻き戻っちゃったかぁ。

 でもそれ僕が云ってなかったっけ。

「それにしては違和感あるけど」

「中途半端だったんだよ」

「そっかぁ」

「そうなんだよ」

 でも……有識者……ゆうし……ゆう……。

 この人誰だったかなぁ……。

 未だに思い出せないんだよなぁ。

 有識者……七草ナグサさんで良いか。

 間違えてたら指摘されるだろうし。

「有識者七草氏に曰く、それが持ち主の大切な物かも知れないし、交番とかからも感謝されるみたいだから、良い事をした気分になれるらしいよ」

「そっかぁ」

「そうなんだよ」

「七草さん、凄いね」

「だねぇ」

 スッゴい嬉しそうに笑ってるけど、指摘もせずに流された。

 この人は七草さんではないのか。

 次は何で試そうかな。

「アンタ等、何度も再放送して楽しいか?」

 旧七草さんの後ろ、屋上の出入り口辺りに誰か居る。

 あ、誰かじゃない。

 日出草アサシラゲだ。

 相変わらず先生が居ない所では制服着崩してるし、緩めた襟から黒のシャツが覗いてる。

 目立ちそうだなぁ。

「こんにちは、日出草くん」

「久し振りだね」

「おう二十分ぶりだな。こんにちは久し振り」

 出入り口の左側に寄り掛かりながら、こっちに向かって手を振ってくる。

 二十分ぶりかぁ。なら久し振りだよね。

「で? さっきから話聞いてたけど、結局それどうするんよ」

「「交番に届けるべきだけど、持ち主が見付かるかも判然としないし、面倒」」

「アンタ等仲良いな……自己紹介し合ったのって昨日だよな?」

 そうだっけ?

 僕と……この人が?

 何で抱き着いて、何で匂い嗅いでくるのかも解らない、この人と?

 今は僕に「うりうり」って云いながら頭擦り付けて来てるし。

 瓜? 胡瓜きゅうり

 と云うか、昨日僕が自己紹介した人って、駒牽七草コマビキナグサさんしか居ないんだけどな。

 でもこの人、七草さんじゃないみたいだしなぁ。

「日出草」

「何だよ」

「この人って駒牽さん?」

「んん? いや、そうだろ」

「そうだよ御形ゴギョウくん……誰だと思ってたの……?」

 二人共、凄い困惑した顔してる。

 そんなに変な事云ったのかな。

 まぁ良いか。取り敢えずこの人は駒牽さんだと解った訳だし。

「じゃあ君は駒牽さんなんだね」

「そうだよ、駒牽七草だよ。なっちゃんって呼んで?」

「なっちゃん」

「えへへっ、えへへへへぇ……」

 ふらふらと僕から離れて、両頬に手を添えて幸せそうに身体をくねくねさせてる。

 瓜じゃなくて、若布わかめだったみたい。

 駒牽七草さんって、なっちゃんって云うんだ。

「日出草」

「……何だよ」

「駒牽七草さんって、なっちゃんって云うんだね」

渾名あだなって意味ではそうだなぁ。でも本名は駒牽七草なんだから、基礎はそっちで覚えとけ〜」

「そうする」

 ……ん?

 駒牽七草、さん……?

「あぁ!」

「どうしたよ……」

「何かあったの?」

「君は、駒牽七草さんなんだ」

「んん? そう、だよ……?」

「はぁぁぁぁぁ……」

 なっちゃんは前よりももっと困惑した顔をして、日出草はまたかと云わんばかりに大きな溜息をいた。

 何かしちゃったのかな。

 ようやく顔と名前が結び付いたのに。

「なっちゃん……あ、俺もアンタの言葉聞いたから、なっちゃんって呼ぶけども……」

「どうぞどうぞ、制限制約はありません」

「うい。でまぁ、今云った奴、コイツからすりゃ進歩なんよ……」

「……本当に?」

 心の底から疑わしい物を見る眼でこっち見てくる。

 失礼だなぁ。

「いや、マジで。コイツ一度憶えれば絶対忘れないけど、そのたった一度が馬鹿みてぇに長いしハードルも高い」

「メモリ容量が逼迫ひっぱくしてる昔のパソコンみたい……」

「実際そんな感じ。現に俺の名前は忘れてねぇだろ」

「だね。そういう事なんだ」

 一回頷いてから、なっちゃんが僕の両頬を両手で鷲掴みにしてきた。

 指は後頭部にまで行ってるから、正確には頭を鷲掴みにした、なのかな。

 何かちょっと怒ってるみたい。

 何でだろ。

「御形くん」

「はぁい」

「うん、返事出来て偉いね」

「えへへ〜」

「えへへ〜」

 褒められたから取り敢えずえへへ〜って云ったら、なっちゃんに伝播した。

 やっぱり笑顔は周囲の人も笑顔にするね。

 なっちゃん、ちゃんとウイルス関連のソフト入れてるのかな。

「……でね、御形くん」

「はい」

 怒った顔に戻っちゃった。

 演技だったみたい。

 ちゃんとウイルスソフトも入れてた。

「一度で憶えろとまでは云いません」

「はい」

「なので、解らなかったら訊いて下さい」

「解った」

 まぁ、本人に訊かずに試す事しかしていなかった僕に非があるよね。

 ここは素直に受け入れよう。

「罰として私と結婚して下さい」

「ん?」

「ん?」

 手を離して、改まった様に云われたけど、どこかが噛み合っていない気がする。

 ジェットコースターに乗った気分だなぁ。

 なっちゃんも小首傾げてる。

 もしかしたら僕の幻聴かな。

 それとも、最近流行りのネタなのかな。

「結婚してくれないの?」

 幻聴ではないみたい。

「結婚したいの?」

「うん」

「そっかぁ」

「そうなんだよ」

 結婚かぁ。大きな決断だよね。

 お互いが噛み合うかも大事だし、良い具合のバランスの探り方も難しそう。

 詰まる所が価値観の擦り合わせだしなぁ。

 なっちゃんはどんな人と結婚したいのかな。

「あのさ、一つ良いか?」

「「ん?」」

「そのビー玉、ちょっと見せてくれん?」

 日出草が、僕の持っているビー玉を指差す。

 そういえば、これどうしようかな。

「良いよ。見たら返してね」

「おう。じゃあ投げてくれや」

「何で? こっち来ないの?」

 僕が訊いたら、日出草は出入り口の扉を軽く閉める様にして、扉の窓に貼ってある貼り紙を見せてきた。

『進入禁止』って書いてある、あの貼り紙。

 あれ、両側に貼ってあるんだ。

 意味あるのかな。

「ご存知ですの? そこは進入禁止エリアですわ」

「まぁそうなのですの? 失念していましたわ」

「二人共、口調どうしたの?」

「「お嬢様言葉ですのよ」」

「何で今……?」

 何でなんだろ。

「気分」

「その口調で云われたから、眼には眼をと」

「そっか……」

「「そうなんだよ」」

 なっちゃんの笑顔が引き攣ってる。

 何か厭な事でもあったのかな。

 まぁ取り敢えず、一応の良い子を貫こうとしてる日出草に免じて、そっちに投げてあげよう。

「そ〜れ……あっ」

「あっ」

 投げた直後の軌道で、このままだと僕と日出草との中間辺りで床に落ちるのが解った。

 なっちゃんもそれに気付いたみたい。

 一度床に落ちたら汚いし、ひびとか入ったら困るよね。

「お願い」

 僕が云うと、ビー玉は緩やかに重力に逆らって、また従ってを繰り返しながら前進し始めた。

 何か正弦波を記録してるみたい。

 そうして綺麗な曲線を描いて、ビー玉は日出草の手に納まった。

「お前なぁ……」

 でも日出草は呆れた様な顔してる。

 何でだろ。

「なっちゃん、見てみろ」

 云われた通りなっちゃんを見てみたら、石化したみたいに固まってた。

 目線としては、日出草の持ってるビー玉を見てるのかな。

 なっちゃんにとってのゴルゴーンはビー玉なのかも。

 もしかしたらあのビー玉がゴルゴーンの眼である可能性もあるよね。

 それにしては僕には効いていないし、なっちゃんにも遅効性だけど。

 個人差があるのかな。

「なっちゃん?」

 呼び掛けても反応が無い。

 大丈夫かな、呼吸してるかな。

「お前がビー玉飛ばすからだぞ。初見には衝撃デカいだろ」

「そっかぁ」

「気を付けとけよ危機感ねぇなぁ……」

 忘れてたなぁ。

 なっちゃんには初めて見せるんだった。

 でも、今回は不可抗力だったしなぁ……。

 ……それにしてもなっちゃん、面白い顔だなぁ。

 眼をΟ、口をΔにしてるけど、人間の顔ってそこまで変形する事が出来るんだね。

 人間の神秘だ。

「あ〜、これやっぱ俺のだわ」

 日出草がビー玉を見詰めながら云った。

「そうなの?」

「おう。祖母ばあちゃんから貰った奴」

「そうだったんだね」

 日出草のお祖母さんは、三年前に死んじゃったらしい。

 と云う事は、形見みたいな物って事になるんだよね。

 じゃあ、返して貰わなくても良いよね。

 偶然とは云え、見付けられて良かった。

「礼云っとく。部活終わったら死ぬ気で探し回るつもりだったから」

「偶然だったんだけどね」

「だとしてもさね」

 ビー玉を右手の親指と人差し指でつまんで、景色を透かして見てる。

 あれ? 日出草ってサッカー部だよね。

 じゃあ何で屋上に来たんだろう。

 でも、少し寂しそうな顔で考え事をしてるみたいだし、邪魔しちゃ駄目だよね。

 日出草はお祖母ちゃんっ子だし、何か思う事があるんだろう。

 黙って待っていよう。

「……何かある? 欲しいモンとか」

「ん? 特に無いけど」

「じゃあ……オランジェットでも作ってくるわ」

「オランジェット? フランスのアレ?」

「そ。得意菓子」

 お礼の一環かな。

 別に良いのに。偶然だったんだから。

 でもまぁ、貰えるなら貰っとこう。

 日出草のお菓子、凄い美味しいし。

「有難う。楽しみにしてる」

「お〜」

「あ、なっちゃんの分もお願いして良い? 一緒の時に見付けたんだ」

「そのつもりだった」

「お〜」

 なっちゃんが固まっている事を良い事に、嘘をいちゃった。

 まぁ、良いよね。

 交番に届けるまでも無かった訳だし、お礼も云われるしお菓子も貰える。

 僕としても、良い事をした気分になれるし。

 僕にとっての交番は、日出草だね。

「今から帰りがてら買い出し行くけど、付いてく? 三百円までなら菓子買ってやるぞ」

「お、遠足? じゃあ付いて行こうかな。欲しいお菓子とか特に無いけど」

「今から考えれば?」

「そうしようかな」

 なっちゃんを引きらない様に気を付けながら、日出草の隣に行く。

 あれ、鞄背負ってるじゃん。

 部活はどうしたんだろう。

「日出草、部活は?」

「臨時休業」

「そっか」

「そうなんだよ」

 鞄を背負い直して、日出草が身体を翻す。

 臨時休業なら仕方無いか。

 付いてこ。僕も特に持って行く物無いし。

「どうすんの? なっちゃん」

「離してくれないんだよ。離せないし」

 いつの間にか、また抱き着かれてたんだよね。

 力強い。ちょっと痛い。

 でも離すのもちょっと申し訳無いし。

「なら諦めやな」

「だねぇ。勝手に離れるのを待とうか」

「虫かよ」

 そんな事を話しながら、僕達は階段を降りて行った。

 ちなみになっちゃんは、僕達が校門から踏み出した瞬間に手を離して、帰路に就いてくれた。

 いつの間にか自分の荷物も持っていたけど、用意が良い人なんだなぁ。

 でも、顔は固まった時のままだったし、動きも木偶人形が歩いてるみたいにぎこちなかった。

 大丈夫かな。明日訊いてみよう。

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