最終章 終端の観測者
──NASA・研究室(夕方)
アリスとオルブのアップデートを終え、蒼空が観測空間へと旅立ってから数分──
沙羅はただ、研究室の片隅に立ち尽くしていた。
浮かび上がるオルブの光が、徐々に色を変えてゆく。
その中心に、蒼空は今もいる。
「……大丈夫。うまくいく。絶対に」
誰にともなく、あるいは自分自身に言い聞かせるように、沙羅は小さく呟いた。
言葉の裏にある不安を、必死に押し殺しながら。
──アリスシステム・観測空間
オルブによって完全リンクされた視界の中で、蒼空は今──宇宙の終端に立っていた。
「……すごい、ここが……“宇宙の端”……」
それは、言葉で表現できる光景ではなかった。
自らの身体すら感知できない、深い深い闇。
──何もない。
感覚すらも、薄れていく。
まるで、宇宙そのものに“呑まれていく”ようだった。
背後を振り返ると、遠くにほんのわずかな光が点々と浮かんでいた。
まるで、夜空に置き去りにされた小さな恒星たち。
しかしそれも──しばらくすると、視界から徐々に消えていった。
眼前にはただ、純粋な“無”がある。
光も、形も、法則も、すべてを拒絶するかのような、完璧な暗黒だった。
「……この先に、僕の求めた“答え”があるのか……」
蒼空は、自分の中に湧き上がる恐怖と興奮を抑えながら、静かに前へと進む。
一歩、また一歩──
どこまでも、音もなく歩みは続く。
やがて、後方の光が完全に消失したそのとき。
視界の先に、小さな“点”が浮かんでいた。
微かに光る──それでいて、明らかに「そこにある」とわかる存在。
「……あれ……? そんなはずは……」
違和感が蒼空の背筋を走る──
彼がここに来た理由は、“何もない”ことを確かめるためだった。
──しかし、そこには明確な光がある。
「“無”が、存在していたんじゃないのか……?」
それは、自分が宇宙に持っていた前提が崩れ去る瞬間だった。
まだ、観測が“追いついていなかった”のか?
それともこれは……?
一瞬、思考が停止しそうになる。 それでも蒼空は、歩みを止めなかった。
「……確かめるしかない」
どんな答えが待っているとしても──それを“見る”のは、自分しかいない。
そしてそれを、沙羅に伝えるのも──自分だけだ。
一歩、また一歩──
暗黒の終端へと近づいていく蒼空。
最初は点のようにしか見えなかった“光”が、少しずつ──確実に大きくなっていく。
「……これは……」
その光は、恒星ではなかった。
人工の光でも、自然現象でもない。
この宇宙に“あってはならない光”──
そう確信できる“異質さ”が、そこにはあった。
「もう少し……近くに……」
蒼空は足を止めることなく、その一点に向かって進み続ける。
この光こそが、“宇宙の終端”の答え──
あるいは、“それ以外”の何か。
──NASA本部・長官執務室(1年後)
「……まさか、あんなことになるなんてね」
リズ長官が、深く腰かけた椅子の上でぽつりと呟いた。
向かいのソファでは、グレン室長が腕を組んでいる。
「まったくだ。それで? 本当に、発表は“あれ”でよかったのか?」
リズは窓の外を見つめたまま、ゆっくりと答える。
「ええ。“宇宙の終端には、何もない『無』が存在していた”。
膨張ではなかった。観測が追いついていなかっただけ……それが“公式見解”。」
その語り口には、どこか自分に言い聞かせているような響きがあった。
グレンが鼻で笑う。
「長官がそう言うなら、従うしかないさ。
──で? 蒼空は今、何をやってるんだ?」
「彼は今……“粒子”を研究しているわ」
──NASA・研究室
「沙羅さん! 完成しましたよ! スーパー顕微鏡!!」
アミラが元気よく、試作機を両手で抱えて沙羅の元へ駆けてきた。
「……アミラ。あなた、ネーミングセンスが壊滅的ね」
沙羅はあきれ顔で言いながらも、機器を手に取り、精度をチェックする。
今、アミラは沙羅の下で研究員として働いていた。
──かつて、蒼空と沙羅が歩んだように。
「蒼空、ついに出来たよ」
沙羅が後ろを振り返ると、白衣の彼が椅子を回して立ち上がる。
「……さっそく、見てみよう」
蒼空は、顕微鏡の前に座り、慎重に覗き込んだ。
微調整のダイヤルを回し、さらに、さらに拡大する。
「……もうちょっと……拡大して……」
──ふと、蒼空の手が止まった。
彼の表情が、わずかに強ばる。
「……あっ」
その声に、沙羅とアミラが顔を見合わせる。
「どうだった?」
沙羅が静かに尋ねる。
蒼空は、しばらく沈黙したまま……
やがて、まっすぐに顔を上げ、こう答えた──
「……目が合った」
『深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いているのだ』
──フリードリヒ・ニーチェ
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