池田教授と藤原聡美のメディア論

ノラ

第1話 池田教授と藤原聡美の「ひろゆき」論


インクと古書の匂いが充満する池田大吾教授の研究室に、今日も今日とてインターネットの喧騒が持ち込まれていた。タブレットの画面には、いつものように腕を組み、挑発的な表情を浮かべた「ひろゆき」の顔が大写しになっている。池田教授の眉間の皺は、今日も一段と深い。

「むむむ……藤原君!またこの男かね!?」

池田教授は、まるで得体の知れない病原菌でも見るかのように、タブレットの画面を指差した。その横で、藤原聡美は分厚いメガネの奥で、黙々とカップ麺を啜っている。湯気と共に立ち上るインスタントラーメンの化学的な香りが、古書の匂いに混じり合う。

「はい。現在、彼の言動パターンと世論形成における影響度について、リアルタイムでデータ解析を行っております。」

藤原は、麺をすすりながら淡々と答える。ピコピコと鳴るレトロゲームのBGMが、彼女の食事のBGMに同化している。

「しかしだね、藤原君!この男の議論は、あまりにも短絡的ではないかね!? 論理の飛躍、情報の切り取り、そして何よりも、人を苛立たせることに特化したその発言スタイル!私が長年研究してきたメディアリテラシーの対極に位置する存在と言っても過言ではない!」

池田教授は、まるで自分の研究が危機に瀕しているかのように声を荒げた。

「短絡的、という評価は主観的要素が強く、科学的根拠に乏しいかと存じます。」

藤原は、冷静に反論した。

「彼の発言は、複雑な問題を単純化することで、視聴者の認知負荷を最小限に抑えています。現代人の脳は、情報過多により思考プロセスが疲弊していますから、この『簡潔性』は、視聴者の情報受容性を17.3%向上させる効果があると推測されます。」

「情報受容性だと!? 彼が垂れ流すのは、真実とはかけ離れた、都合の良い意見の断片ではないか! それを大衆が鵜呑みにするとでもいうのかね!?」

教授は、身振り手振りで熱弁する。藤原は、フーフーと麺を冷ましながら、淡々と続けた。

「『鵜呑みにする』という表現も感情的要素が強く、不適切です。彼の発言は、特定の層が既に抱いている『漠然とした不満』を言語化することで、共感を得ています。また、『論破』というエンターテインメント性が、視聴者の満足度を25.6%向上させている。感情的優位に立つことで、論理的矛盾を看過させる効果も確認されています。」

「エンターテインメントだと!? 馬鹿な!それではまるで、彼の言動が『大衆の欲望を満たすためのショー』だとでも言いたいのかね!!?」

「その認識で概ね問題ありません。彼の『煽り』と『反論の余地を与えない言葉選び』は、視聴者に『スカッと感』を提供し、ドーパミンの分泌を促進します。これにより、視聴者は彼の発言を『真実』として受け入れやすくなる傾向にあります。」

藤原はきっぱりと言い放ち、再びカップ麺を啜り始めた。池田教授は、がっくりと肩を落とした。彼の教え子は、あまりにも合理的すぎた。

「あのな、藤原君。人間というのはな、効率やドーパミンだけで動くものではないんだぞ!感情があり、倫理があり、そして……そして真実を求める心があるだろうが!」

「情緒、倫理、真実を求める心。いずれもデータ化と分析は可能ですが、現時点での彼の主要ターゲット層には、『効率的に感情的欲求を満たす』ことが優先されていると判断されます。教授の主観的評価は、統計データとしては採用できません。」

藤原は、ぴしゃりと言い放ち、最後の麺を綺麗に平らげた。そして、慣れた手つきでカップを潰し、ゴミ箱へ。その一連の動作に、一切の無駄がない。

「ハァ……まったく、人の心を理解できないロボットめ……。」

池田教授の呟きは、虚しく研究室に響き渡る。藤原は、そんな師の葛藤には目もくれず、再びレトロゲームに没頭し始めた。ピコピコという電子音が、彼の胃の痛みをさらに刺激する。

(よし、明日は……無理やりにでも外に連れ出して、美味い魚料理でも食べさせてやるか。藤原君のデータには載っていない『人生の味わい』というやつを、教えてやらねばな……!)

池田教授は、心の中で密かに、そして壮大な「藤原聡美改造計画」を練り始めるのだった。だが、それが彼女にとって「非効率」な努力であることは、彼だけが知らぬままだった。

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