かいなし
久々宮知崎
かいなし
酷く退屈でつまらない。
それはまるでこの物語のようで、この現実のようで、実のところそのどれでもありません。
私自身です。
語り手がつまらないんですから、どんな色鮮やかな世界を語ろうがそりゃつまらないですよ。
××××××××××××××××××××××××××
夢と恋。
それだけは、十八年間生きてきて、未だによくわからない気持ちです。
喜怒哀楽、勿論分かります。
恐怖、期待、友情、後悔……、完全にはわからなくとも、漠然とは、まぁわかります。
ただ、その二つだけは全くわかりません。
きっと、想像するに推測するに、夢と恋はどちらも信頼と執着を組み合わせ燃料とした気持ちなのだと思います。
その対象が人であるか事物であるかの話で。
「これ、あるいはこの人なら信じられる。だからずっと特別扱いしていたい」 という感情なのだと思います。
それが間違っていると言われれば弱いのですが、それでは一体その感情は何なのですかと聞き返さざるをえません。
理不尽で非合理で、酷く愚かなその感情は一体何なのか、何時間でも良いので講釈を垂れていただきたいものです。
なぜ信頼できるのか。恋については途中で簡単に捨てることも可能ですが、こと夢においてはそれすら難しいものです。人生をかけ、ある事柄を信頼し続ける。変わり続けるものばかりのこの現実で、それが一体何故できるのか。
なぜ執着できるのか。なぜ他のものではだめなのか。楽しいも嬉しいも、幸せすらも、大体、代替可能なものです。それを見ないふりをしているのか。それが一体何故まかり通るのか。
疑問符だらけ、不満だらけです。本当に。
……ただ、ここで一つ本心をさらけ出すのなら。
きっとそこには、羨望もあるのです。
愚かでいられることに対する嫉妬が。
闇雲にとは言わずとも、するべきときに、するべき程度で、人や事柄を信頼し、執着し続けられることは、きっと、人生を鮮やかにしてくれるのだろうと、そう思わない自分もいないではないのです。
だって、私は今も、何にも信頼を置けず、何にも執着できず、ただ一抹の本能にだけ従って、寝て、食べて、動画を見て、ゲームをして、勉強するのを諦めて。
何にも価値を見いだせないまま、一人この部屋で寝転がり続けているだけなのですから。
人生を浪費しているだけなのですから。
はぁ。
……さて、暗い話になってしまいましたが、私はいつもこの話をした時に、〆にしているとある言い訳があるのです。
私の心を落ち着かせ、小さく笑わせ、より一層の怠惰へ落とす、馬鹿みたいな……、いえ、馬鹿な言い訳が。
私はベッドの上という自分だけの空間で、ふざけるように、慰めるように、小さく呟きます。
『常識を疑い、それに囚われない』
『それすなわち信頼せず、執着しない』
『———科学の基本です』
科学の基本です、なんて言っておきながら科学に信頼も執着も置いていないのが、この言い訳の好きなところです。科学への最大限の侮辱と、私の言い訳の最大限の特徴を同時に表した、最高の言葉。
適当で、不謹慎で、これ以上なく自分勝手で、自分を傷つける。
私はそれ小さく鼻で笑って、再び目を閉じて、惰眠を貪り始めました。
『夏期講習でこの夏、一気に挽回しよう!』
今成績悪いですよね、ということを前提に、挽回という言葉を使っている失礼なそのチラシを、私はいつも通り丸めてゴミ箱に投げ捨てました。
成績は別に振るっていないから、確かに大きな声で文句が言える現状ではないでしょう。
ただ、苛つくものは苛つくものです。
私はふん、と軽く鼻息を鳴らして、それへの腹いせとしました。
机に向き直って、再びゲームの続きを始めます。
「〜♪」
よしきた!流石にそれはナイスすぎます!
スコア倍増です!トリプルエスだって狙えますよ!
楽しいだけのゲームにそうして浸っていると、途端、部屋のドアが開いた音が聞こえました。
「何してんの?」
ポップなバックミュージックと裏腹に、マグロを十匹くらい一気に急速冷凍できそうなくらい重く冷たい声が響きました。
そしてそれと同時に、無意識が何がおこったかを(起こったと怒ったでかけられますね、なんて言っている場合ではありません)察知して、素早く扉の方をむきました。
そして意識がそれに付随するようについてきて、その人物を直視し、状況を深々と把握します。そして私は、頭の中に冷水をぶっかけられたかのような思いをして、背筋を棒が張ったかのようにぴんと伸ばしました。
「何してんのって聞いてるんだけど」
ええ勿論それは重々承知ですとも。
相手がわかっていることを、圧を出しつつ今一度確認するのが説教の基本です。相手を萎縮させるための基本です。ええ、その基本が私の親はよくできています。 及第点どころか、満点花丸あげちゃいます。
そんなことを普段の私なら軽口をぐりんぐりんに滑らして言うのでしょう、と思うのですが、当然この時の私はそんなこと口が裂けても言うことができず、ただ脳の危険信号に顔を強張らせることしかできないのでした。
そして、何も言わない私を見て母は、聞かせるためのため息(ためとためで軽い退屈なダジャレができます、なんて言っている場合でもありません)をついて、いつものパターン通り言うのです。
「あんた、それでいいなら良いけど、ろくでもない人間になっても守ってやんないよ」
そして、それ以上は何も言わず、扉を締めて去っていきました。
私は俯いて、つい眉間にシワを寄せます。
握りこぶしに、力も入ります。
「……そうやって説教していくってことは、それじゃ良くないってことじゃないですか」
少しばかり経ってから、そう小さく呟きました。
言うだけ言って、優しい言葉も励ます言葉もかけてはくれない。
実際に顔を合わせて、額を合わせて一緒に考えようとしてはくれない。
テストの点数だけ見て、問題の中身も、その要因も知りやしない。
口先だけの野次馬。
そんな風に、つい続いて文句が溢れ出してきて、私はぶんぶんと頭を振りました。
それでも、頭の中をぐるぐるとまわる悪口(まわるわるぐち、で高次ゴママヨですね)を止めることはできませんでした。
気を紛らわさないと、勉強も手につかなさそうです。
そう思った時、私は自然にノーパソに手を伸ばしていました。
……どうせ、集中できませんから。
私はそう考えたのか、そう考えたかったのかわかりませんが、とにかくその後は、音楽を聞いたりゲームをしたりして寝るまで過ごしました。
もし、君は理想主義者か、現実主義者か、と問われたら、私は間違いなく理想主義者であると答えるのだと思います。
そして同時に、現実主義者でもある、と答えるのだと思います。
そもそも、そんな変ちきりんな質問をしてくるような人、日本国民全員をあたってもそうそう会えるとは思いませんが。
ともかく、私は理想主義であり、かつ現実主義である、と自信満々に答えるわけです。
一体どういうことだ、と思うかもしれませんが。
行き過ぎた理想主義は、現実主義になりうるのです。
それはなぜか。
まず、理想主義というのは理想に対する妥協を是としない、理不尽な現実があっても割り切らず、諦めない。現実主義はその逆で、妥協でき、割り切れる。と、この場では定義するとしましょう。
すると、理想主義というのはその性質からして、完璧主義を内包するものだと私は思います。
現実が完全に理想にならないのが許せない。諦めきれない。
それが最も重要なポイントであるということを理解できれば、もはや理想主義が完璧主義を内包するのではなく、完璧主義が理想主義を内包しているのではないかと思えてしまうほどに、この二つは強く重なり合っているのです。
そしてこの、理想主義は完璧主義にとても近いということに基づけば、行き過ぎた理想主義というのは、現実と理想が完璧に一致することを目指すものになるというのは、容易に想像できてしまうものです。
するとどうでしょう。もしその理想が、現実と完全に一致しない、つまり成就しないものであるとしたら。
そして、それを本人が理解してしまったら。
私の経験則です。そいつは、架空の世界に逃げて、現実を見なくなります。
現実を諦めて、理想の世界に入り浸ります。
あれ、理想主義のままじゃないか、と思ったところで、この現象の矛盾点が浮上します。
この理想主義者は、理想が現実にならないという現実を何より直視し、現実はどうでもいいと、妥協しているのです。
なら、現実主義じゃないか、と思うと今度は、
「本心では現実を拒絶し、理想を見て、理想が壊れることを是としていない」という事実が顔を出します。
つまり、このモデルにおける理想主義者は、本心と現実の行動が乖離しているのです。
だから、理想主義者と現実主義者が同居できる。
諦めずに、諦められる。
……さて、話が長くなってしまいましたが、つまるところ、何が言いたかったかというと。
私が勉強をしない原因がまさしくそれであり、そしてそれは、永遠に解決できそうにない難題であるということです。
何故辛いことを今やって、何故未来のために生きていかなければならないのか、という疑問に答えたい、その理想に、永遠に手が届かないということです。
……ま、現実主義に基づくなら、そんな言い訳だって、何の意味もないのですが。
『英単語ここまで覚えた!』『難しい数学の問題が解けた!』
高三にも慣れてきて、文化祭も終わった頃になると、学校の中の声は勉強一色になってきます。
教室では方々で各々の成果を報告し合う嬉しげな声が響き、あちこちでそれぞれの戦略を相談し合う真剣な顔が見受けられます。
対して麻雀好きの私と言えば、勉強一色どころか字一色やら緑一色やらを目指し今日も今日とてスマホ麻雀です。
テストの点がゼロ点でも麻雀が箱下にならなければ大丈夫です、なんてカスみたいなことを言ってみるのも時に楽しく思えてしまうことが、みじめで仕方ありません。
みんなの話になんてついていけなくて、ついていく気もなくて。
元々疎外感のあった私は、冷水を浴びすぎて痺れた手の指先みたいに、もうその寂しさを感じられない域にいました。
別に、彼らのせいにはしたくなります。優しさの欠片もないお前らが悪いのだと、言い張ることもできます。
ただ、弱肉強食は高度に発展してきた現代社会においても未だ根強く残っているもので。
私が意見を言ったところで、それは愚かな人間の戯言一つでしかないのです。
ですから、そんな事を言っても、私の愚かさが際立つだけで、誰一人能力のない私には見向きもしないのです。
そして、それでもそんなことを言わないと気が済まないのが、私の小物ポイント第一位なところです。
自己肯定感が低い人の行き先というのは、概して二つありまして。
自分の世界によりとじこもるタイプと、それでも自分を大きく見せようと見栄を張るタイプ。
どうやら私は後者の要素の方が強いようで、煩く、浅はかで、人を気遣えないことを一言も二言も日々積み重ねているわけです。
他の積み重ねはできないですが、小さな罪と不安、それと不和の積み重ねならとても得意なようなのです。
確かに、そればかりではありません。
楽しみも、喜びも、人並みに感じているとは思います。
ただ、一つの根本的部分において、私とあなたたちはあまねて繋がりようがなく、話し合うことが不毛だと断定せざるをおない理由があるのです。
それは、この世界の常識であって、私にとっての非常識であって、何より理不尽なもので。
言っても意味のないことです。
……。
なぜ貴方たちは、そんなに頑張れるのですか?
まぁ、ここからは同じことの繰り返しです。
頭の中で、プログラミングゲームによくある、ループ無限みたいなものをこれまでの話につけておいてください。
そうすれば簡単に、夏が終わり秋が終わり、冬になりますから。
さて、簡単に、とは言ったものの。
大抵の事象に言えることで、こんな誤魔化しは上手く続きません。
キリギリスが夏を謳歌し続けられないのも、ひとえに私が受験勉強を後回しにし続けられないのも、時と現実の残酷な悪戯のせいです。
そしてそれらから逃れる技術なんて、今はまだないので。
窓も真っ白になり、かの共通テストやらが着々と迫る十二月、私は突然に告げられました。
「あんた、碌な大学行かなかったら学費やんないよ」
他の受験生には見ることのできない、好きなアニメの新シーズンを優越感に浸りながら見ていた私は、アニメも垂れ流しっぱなしにしながら、ぽかんと口を開けました。
「え、なんで」
すると母は、心の底から呆れたようなため息をつきました。
「あんたは私らが見てなくても、最低限はちゃんとやってると思ったから放任してたのに」
「いい加減、やってなかったから」
「あんた、できるのにやってないだけじゃん」
母は淡々と語ります。
最低限といい加減で韻でも踏んでるんですか、と次元の低い妄言を吐く余裕など勿論なくて、私は冷や汗でいっぱいでした。
なんで、今更。
私、何もしてないのに。
何も、してないから?
「やっぱり、助けてくれないんだ」
ノイズの交じる一瞬の思考の中、弾き出された言葉は予想外のものでした。
私は自分の頭が自分で理解できなくて、少しの間口をパクパクさせました。
母も眉間にシワを寄せて、怪訝そうな顔をします。
そんな顔しないでください。私だって、わからないんですから。
必死につくりあげた薄い化けの皮が剥がれる理由など、知ろうともしたくないのですから。
私が悪いんですか。何も知らないことが罪なのですか。
何もできないことが罪なのですか。
それなら、どうすればよいのですか。
私は感情が導くままにそこまで頭を回し続けて、ヤバい、と思いました。
目の辺りが熱くなって、頭の中が煮えたように熱くなって思考が激しくなって。
泣く、と思いました。
その瞬間私は、ダン、と大きな音を立てて地面を蹴りました。
要は、振り返って一目散に逃げたということです。
「———!」
母親の叫ぶ声が聞こえますが、そんなことは当然勿論言うまでもなく全ガン無視です。
薄暗い自室に駆け込んで、ドアを強く閉めます。
私は電気もつけないまま、布団の中に潜り込みます。
怖い、怖い。怖い。
だって、お母さんは、
泣き虫を愛しません。
私は暗く温かい巣の中で、目をぎゅっとつむりました。
受験も、親も、ありとあらゆる森羅万象の現実の欠片一つでも見たくないんですから。
私を愛さない全てを見たくなどないのですから。
手をぎゅっと握って、痛みを確かめながら、頭は止まらずに回ります。
わかっています。このままじゃだめなことくらい。
わかっています。やらなきゃいけないことがあるってことくらい。
ですが、どうにもこうにもああにもそうにも兎にも角にも、できないのです。
だって、だって。
———頑張る理由が、見つからなくて。
小さな頃から、特に頑張ることなんてありませんでした。
勉強も運動も、人並みにやれば人並み以上にこなすことができましたし、小さな頃はそれ以外、求められることなんてなかったからです。
求められればそれに応えようとする。やりたいことがあればそれをやる。それ以外はしない。
それが私の基本原理でした。
ですが、いつの間にか得たものは、いつの間にか失っているものです。
堅実な努力でも、誠実な向上心でもなかった私のその能力は、日々を過ごしていくほどに廃れ衰え、そのままでは立ち行かなくなりました。
大人は私に自主性を求め、大学は私に向上心を求め、友達は私に社交性を求めるようになりました。
そんなもの、あるわけないのに。
『あなたが選んだんでしょ』
『あなたがなんとかしなよ』
それが現実の基本原理でした。
私が選びたくて選んだわけじゃなくとも、私に適切に、自主的に選ぶ能力がなくとも、現実は巡り続けました。
仰々しく、愚かしく遠回しにでも例えるのなら、私は大海原に浮かぶ船でした。
私の船には櫂がありません。
先生や両親、社会がくれたものすべて、取り落としてしまいました。
いえ、元々、この船には、理想を追い求めるこの機体には、合っていなかったのかもしれません。
流されるだけ流されて、今までは、丁度良く川を流れていただけ。
そしていきなり大海原に吐き出されて、何をするにも要領を得なくて。
横を通り抜けていく知人達を、呆然と見ていることしかできないのです。
波に逆らい進む彼らを見ても、道具のない私にはなんの学びようもありません。
大半の人々は先にも言った、先生や両親なんかから動力をもらって、各々に目指す場所へ、程々に向かっていきますから。
それは大抵、不純で、その場しのぎで、即物的の範疇にしかないつまらない志ですが。
それでも進まないよりマシなのでしょう。
ですが、さらに一部の人々は、わけのわからない力で、一足飛びに未来へ進んでしまったりするのです。
『私は日本から出て、海外に進学するんだ』
そう言って、突拍子もない方向へ爆速で飛んでいった知人もいます。
『僕は今まで何も頑張ったことがないから、人生で一度くらいは頑張ってみたいんだ』
そう言って、地道に、この海の果てを目指した友人もいます。
『早く卒業して、音楽で生きていきたい』
『小説家になりたい。なってみせる』
そう言って、見えない海の底へ果敢に挑んだ友人も先輩もいます。
彼らはもう、なんだかよくわかりません。……って。
笑っちゃいますよね。
彼らはなんだかよくわからない翼やらロケットやら潜水艦やらを持っているんです。
動力を持たない私は、彼らを模倣しようともしました。
ただ、あの人達がやっていることは、憧れこそできれど、真似は出来るものではありません。
私にその無謀は、出来るわけがないのです。
なので、結局、何をするにも要領を得ないというわけです。
…さて、振り出しに戻ってまいりましたが。
物語もまた、文字通り振り出しへ、戻ってくるのです。
そう、夢と恋の話です。
私はそれらが、信頼と執着でできているとしました。
そしてそれらがきっと、櫂であり、スクリューであり、翼、ロケット、潜水艦になるものなのだと、私は考えているのです。
信頼と執着、それを単純に言い換えてやるとどうなるか。
私にわからないもの。
私にないもの。
羨ましくて、妬ましくて。
ずっと、焦がれている。
「好き」の気持ち。
さて、時が過ぎるはいと疾し、無為なる時はいとど疾しということで、流した涙のわけもなく、季節は冬の終わり頃。
マフラーにコートと完全防寒装備の私は、ゆっくりと、合格発表の現場に足を運んでいました。
インターネット確認にしなかったのはほんの気紛れで、お遊びで、そんな余裕があるのか、そんな余裕があるように見せたいだけなのか、私にもわからないほど適当な気持ちでした。
こんなに空気が冷たく、吐く息も真っ白で、どこから光ってるんじゃないかと思うほどにはっきりと見えるともとからわかっていれば、折れていたであろう意志ではありました。
ただ、もうここまで来てしまったわけで。
私は薄灰色のコンクリートをこつこつとブーツで叩きつつ、重い足をなんとかして看板前までたどり着きました。
……さて。
これはどう見るのが正解なんでしょうか。
落ちていてもいいと予防線を張りながら見るか、受かっていろと今になって浅ましくも神に祈りながら見るか、それとも何とはなしに、何も思わず見るか…。
そう考えてみても、しっくりハマるものはありませんでした。
こういうふざけ時には全力でふざけられるのは私唯一の取り柄なのですが、どうもそれをするにはあまりに一世一代過ぎるように感じられたのです。
要は、緊張していたのですよ。私は。
それが間違いでした。
何とはなしに顔を上げて、目を走らせて、数字を探して———
……。
「眠い」
番号のなかった私の前後の、幸運にも合格した人々の番号を二つとも見たときに、最初に思ったのはそんなことでした。
確かに、嘘かもしれません。強がりかもしれません。
ただ、私は本当に、ただ純粋に、眠いと思ったことだけは、強く断言できます。
人生がくだらなくて、つまらなくて、酷く退屈で。
眠くなるほどだと思ってしまったのは、絶対だと強く頷けるのです。
確かに、努力をしなかった私がそんなことを思うのは、ひどくふてぶてしいことなのかもしれません。
ただ、私は私なりに頑張ったつもりであって。
それ以上でもそれ以下でもないのです。
だから、私に言わせれば、きっとその気持ちには優劣も強弱もなくて、ただ大半の人が見たら下らないと思うだろうなという、常識的な推測しかないのでした。
そして、その良否はともかく、そう思った私は、ゆっくりと足を引いて。
左足から、ゆっくりと引いて、回れ右をするみたいに、機械的に回転運動をして。
そのあと、足を踏み出して。
惰性的に家路をたどりました。
……その後は、まぁ、もう、いいでしょう。
辻褄をあわせ、オチをつけるよりも、こんな退屈な世界を見ないことのほうが、より大事なことですから。
××××××××××××××××××××××××××
色が消える。
その表現が一番正しくて、一番好ましくて、一番正常な人たちにも伝わる表現なのでしょう。
全身が脱力をして、声を出すわけでもなく涙があふれる。
何もしたくなくて、ただ放っておいてほしくて、希望も、絶望も、めんどくさいの材料でしかない。
両親に叱られるたび、先生に理詰めされるたび感じた感覚は、そう例え、そう表すのが最も妥当なのでしょう。
私の世界は酷くつまらなくて、退屈で、笑いようもないものでした。
終始一貫性がなく、その場しのぎで即物的で、それでいて全て一つの原点から発生するその態度は、伝えることのできないものだとは思いますが。
気持ちを伝えるには言葉が、歌が、絵が、緻密な表現が必要です。
ですので、その能力を持たない人の気持ちは、一生伝わらないのです。
感情がどうしようもなく無意味に思えて、理想がどうしようもなく遠くに見えて、現実がどうしようもなく、どうしようもない。
その原点から溢れ出る諦念と不信は、伝わらないのです。
だからもう、おしまい。
足掻きは、おしまい。
私の船は櫂なしで、私の未来は解なしで、頑張った甲斐なし、私の生きがいなし。そして今回の物語は、最終回で次回なし。
そんなおふざけと皮肉でもう十分。
もうおしまい。
かいなし 久々宮知崎 @kannnana
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