名前のない夜に
yakko
第1話ビニール傘の中の出会い
新宿駅の東口、ネオンが雨粒に滲む夜。
駅ビルの脇にあるベンチの隅に、段ボールと古毛布に包まれた男がいた。年の頃は四十代後半、髭は伸び放題、手には傷がいくつもある。名前を聞けば「タカシ」とだけ名乗る、街の片隅でひっそりと生きるホームレスだ。
その晩、いつもと違う異音がした。
近くのゴミ置き場の陰から、小さな靴音。
「……誰だ?」
タカシが身を起こすと、そこにいたのは――
「ねぇ、おじさん。ちょっと隠してよ」
びしょ濡れのセーラー服にランドセル、まだ小学校低学年に見える女の子が立っていた。
タカシはしばらく言葉が出なかった。
女の子は息を荒げ、後ろを気にしている。
「誰かに追われてるのか?」
「――うん。たぶん、殺される」
言葉の重みに、タカシの背筋が凍る。
名前は「ミユ」。
父も母もいない。保護施設にいるはずの子ども。
だけど、逃げてきた理由は――「秘密を知ったから」だという。
「おじさん、探偵でしょ?」
「……違う。ただのホームレスだ」
「でも……目が鋭いもん。頭も良さそう。あたし、分かるよ」
子ども特有の直感というものは、時に真実を刺す。
タカシはかつて警視庁の刑事だった。10年前、とある事件の責任を負わされ、すべてを失った。
その夜から始まった、奇妙な共同生活。
元刑事のホームレスと、謎を抱えた少女。
ふたりが抱える「過去」と「秘密」は、やがて、連続失踪事件と結びついていく。
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