3話 トキシック・オーバークロック
「私たちの世界って……もう……終わっちゃったのかな……?」
という詩歌の言葉に、背筋が凍りついた。
目の前で街を飲み込み続ける『白い線』の群れが、さらなる焦燥をあおる。
心臓が何かに掴まれた気がした。
だから、思わず声が漏れ出た。
「終わりだなんて、そんな……」
僕は“下界”を眺めようと思った。だから、目の前のコンクリートの床の端に向かって走った。
その瞬間、“下界”で崩壊したビルの白煙が、猛烈に立ちのぼって来た。
詩歌の悲鳴が聞こえる。
「紫安!!!」
僕の顔が白い塵で覆われ、息が詰まる。
思わず後ろに飛び下がった。
「ゲホッ! ゲホッッ!」
口の中が砂利だらけになっていた。
しかしそんなことも構わず、僕は「くそッ!」と叫びながら逆方向に走る。
——隣街の方を見れば、なにか希望があるかもしれない。
赤と濃いグレイに混ざり合った空には、『白い線』の濃度がさらに増していた。
諦めるわけには行かなかった。詩歌のために諦めたくなかった。
だから僕は、たかだか50m四方の『吊り橋だったコンクリート塊』の上を走った。
そしてその逆側の端にたどり着く。
荒れた息の中で声が漏れる。
「そ、そんな、ばかな……」
絶望で、吐き気がした。
本来この方向には隣町が見えるはずだった。
しかし今見えるのは、雲海のように立ち込める濃紺の土煙と……『白い線』に切り取られた”コンクリートの彫像“が立ち並ぶ、得体の知れない景色だった。
幾何学的に切り取られたビルは、巨人の白骨死体みたいに不気味に、夕闇に照らされ雲の上にいくつも
その間を、白い線が霧のように無数に漂っている。
「紫安……」という詩歌の声が聞こえたが、僕は膝から崩れ落ちた。
嘆きが漏れる。
「いったい……どうすればっ! どうすれば、いいんだ!?」
詩歌の声は不自然に静かだ。
「もう……大丈夫だよ? 紫安と一緒なら、私……大丈夫だから」
思わず後ろを振り返って言う。
「だめだ!! 詩歌!!」
詩歌の肩を掴んで揺さぶっていた。
しかし驚いた表情で、詩歌は言う。
「どうして? ダメなの?」
「どうしても何も! ダメなんだ!! だって、僕は……」
しかし大きな揺れが会話を遮った。
巨大な金属の摩擦音が、鼓膜を掻きむしる。僕の体毛が逆立った。
床が傾き始めた。
平衡感覚が消失して、立っていた詩歌が転ぶ。
「詩歌ッ!!!!」
さらに床の傾きが増す。
僕たちが立っている場所すら、崩れはじめた。
「
詩歌が、僕のほうに手を伸ばしていた。
彼女の身体が重力に引っ張られ、ずり落ちていく。
詩歌が落ちる! それだけはダメだ!!
だから僕は詩歌に向かって、転がるように走り出す。
しかし今度は僕の足元の床が、爆裂した。
僕の身体が、後ろに持ち上がった。
そのまま1秒、空中を飛んだ。
落ちた。腰を強打した。
悲鳴が聞こえる。
「
土煙で何も見えない。でも、詩歌の声だった。
だから僕は、すぐに起き上がる。
全身の痛みに耐えて、土煙の中を再び走り始める。
すぐに視界が開けた。
……しかし目の前の床の5m先は、完全に消え失せていた。
床が、「崖」になっていた。
そして6m先に……詩歌の身体が宙を舞っていた。
彼女の黒髪とグレーの瞳が、夕闇でブルーに輝いた。
……詩歌が落ちていた。
その瞬間に、僕の血が沸騰した。
「うおおお!!」と雄叫びながら、足を床に叩きつける。
激しく膝が強く痛んだが、無我夢中で走る。
すぐに目の前から床が消えた。
だから僕は、重力に向かって”飛んだ“。
……いや
……”落ちた“。
音が遠のいた。
汗が空に登っていった。
砂利が体に叩きつけられる。
痛い。痛くて目を開けられない。
だから、目を閉じながら叫んだ。
——手を目一杯に伸ばして。
「詩歌ッ!! ダメだ! そっちに行っちゃ!!」
ふたたび目を開ける。
扇にように広がる、詩歌の黒髪。
手を広げて落ち続ける詩歌。
彼女の瞳が、赤と青に反射した。
詩歌の涙が、僕の頬に当たった。
詩歌は少しだけ、微笑んでいるように見えた。
だから僕は、その名前をもう一度呼ぶ。
「詩歌ァッ!!!!」
しかしその瞬間、背骨に電撃のような衝撃があった。
悪寒が全身を駆け巡った。
反射的に、自分のお腹を見た。
『白い線』が突き出ていた。
僕のお腹は白い線に貫かれていた。
そして、ゆっくりとその先をたどる。
その『白い線』は、詩歌の腹にも届いていた。
つまり『白い線』が、僕と詩歌を同時に貫いていた。
ついに僕の目からも、涙が溢れた。
目の前の彼女の像が滲んだ。
だから彼女の名前を呼ぶ。
「詩歌……」
しかし詩歌は相変わらず微笑む。
「紫安……」
そして彼女は、最後に口をゆっくりと開く。
そしてこれからの彼女の言葉が、僕の深層に植え付けられて、『地獄巡り』の“呪い”となったわけだ。
あるいは……はっきりと言うのなら、詩歌は『天使』だと思っていけど、そうじゃなかった。
詩歌は僕にとっての『堕天使』だった。
もちろん比喩じゃなくて……『本物』の。
詩歌は両手を大きく広げていた。
詩歌の黒髪は、どこまで輝いていた。グレイの瞳は、僕の全てを包み込むように優しかった。
そして詩歌の声は、高く柔らかい。
「やっと……一緒になれる。やっと私……紫安と一緒になれる。だから、寂しくないんだよ? 大丈夫だから……。だって私、こうなるの、どこかでずっと望んでたから……。だから紫安? ……」
詩歌の溢れる涙がプリズムになり、赤い夕陽を虹色に切り刻んだ。
詩歌は言葉を続ける。
「……だから紫安? 絶対に私を……忘れないで? 愛してる。ずっと、永遠に……」
そう言い終えた瞬間、詩歌は『白い線』に全身を貫かれた。
白に蹂躙された詩歌は存在が無くなり、一瞬で消えた。
僕の目の前に、ただの空間が現れた。
狂った現実の景色だけが、すごいスピードで後ろに流れ続ける。
だから僕は叫んだ。
大粒の涙と鼻水に飲まれて……それでも叫んだ。
「詩歌ァァアアアアアッ!!!!」
そうして叫びながら、僕は……もう一度死んだ。
——
————
———
——
……白い線が闇のなかに文字を刻んだ……
OverClock //success
ForcedRestart //success
savior: Cyan
idea: Salome(Root: broken)
……と書いていたと思う……
——
———
————
——
波の音が聞こえる。
ざーざーと、僕の記憶を撫でていた。
それは、詩歌といつかの日に遊んだ、遠浅の海を思い出させた。
「オーバークロックして“堕ちて”くるなんて……天才だわ。……ねぇ? 起きて?」
誰かの声が聞こえた。
柔らかくて、しっとりした……女の子の声だった。
その声は、どこかで聞いたことがある気がした。でも思い出せない。
ただ、詩歌ではないことは確かだった。
「ふふ……。オーバクロックが解除されたみたいね……アナタやっぱ、“男の子”なのね……。でも、もう起きて? 始まりの時間よ? 天才さん?」
感触があった。それは波の感触だった。
それは押しては引き、どこまでも優しい。
髪が揺れ、全身を優しく撫でるような感覚が心地よかった。
しかしそれは、『女の子』の高くて大きな声で突き破られる。
「もう!! いつまで寝てるの?? 天才さん!!」
ゆっくり目を開いた。
曇り空の下に、羽が生えた女の子が浮かんでいた。
それは、身長140cmぐらいの紫色のツインテールの少女だった。
その身体は、ピッタリとしたダークグレイの衣装に包まれている。そのせいで、コルセットの上の大きめの胸が強調されている。
スカートには長いスリットが入っていて、そこから幾何学模様が入った黒のトレンカに包まれた脚が覗いている。靴は履いていない。
——つまりはっきり言うと彼女は、『なんかえっちな感じの妖精』という雰囲気だった。
サロメと名乗った少女は、満面の笑みを浮かべる。
「あ!? 目覚めた!? 良かった!! 失恋とか海の水とかで、死んじゃったのかと思って、まじでめっちゃ心配したんだからね……っていうか……」
と言ったサロメは、僕の体を見た。
波が打ち寄せる「ざぁざぁ」という音が聞こえる。
サロメは、手を挙げて大袈裟に呆れたような表情をする。
「いつまでプラプラさせてるの? ふふ。……まあでも、仕方ないわね? “大変”だったものね? ……ともかく……」
彼女は、僕に手を差し出す。
「私はサロメ。アナタだけの
サロメの赤い瞳に光が差し込み、水色に反射した。
「……よろしくね? シアン」
サロメのその笑顔は、くずれる灰のように儚くて、そしてどこまでも清潔で、例えるのなら……
……堕天使のようだった。
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