「忘れないで」と白い地獄の果てで彼女は言う。 —トキシックオーバークロック—

えいとら

1話 だって私……可愛いと思っちゃったから


 「じわじわ」と蝉が鳴く7月の終わり……。


詩歌しいかと僕は、手を握り合って走っていた。


「はぁっ! はぁっ!!」

「はっ! はっ!!」


 僕の額から垂れた汗が首を伝い、学生服の襟に染み込む。


 僕は必死の形相で、後ろの詩歌に叫ぶ。


「詩歌! 止まるな! 走るんだ!!」


 横転した車のクラクションが鳴り止まない。怒声や悲鳴が飛び交う。


遠くで倒壊したビルの土埃が空気に満ちて、遠くの景色がグレイに塗りつぶされていた。


 ブレザー制服を着た詩歌の、涙声るいせいが続く。


「う、うん。わかってる……わかってるよ。紫安しあん。でも、どうして? どうしてこんな事に?」


 僕も詩歌と同じ気持ちだった。


でも僕は心を鬼にして、詩歌の手を強く引き続ける。


「止まるな詩歌! 逃げるんだ!! 止まったら『白い線』に消される!!」


 僕たちの目の前を、20代の女性が走って横切る。


その女性は、空間を滑る『白い線』に飲み込まれた。


一瞬で音も無かった。


 なんの脈絡も無く空間に『白い線』が現れ、まるでその場に元から誰も居なかったように、彼女を消し去った。


 アスファルトの上には、ブランド物の黒いハンドバックだけが残っていた。


 しかしその”彼女の遺物”すら白い線は貫き、この世から消した。


その瞬間、僕の記憶がフラッシュバックした。


なぜなら、僕はこの『白い線』を遠い昔に見たことがあったからだ。



————

———

——


遠い昔の記憶


——

———

————



「じわじわ」と蝉の声が響く神社の境内で、僕は『ご神木』に登っていた。


白いワンピースを着た詩歌しいかが、僕を見上げて叫ぶ。


紫安しあん!? だ、だいじょうぶ? ご神木に登って、その……バチとか?」


 足元4mほど下にいる詩歌は、思ったよりも小さく見えた。


夏の空はどこまでも青く、雲が一つも無かった。


そのとき一瞬、枝と葉の間に『白い線』がよぎったように見えた。


 なんだ? ……あれ?


その白い線は、スマホやタブレットの画像アプリで加工したように唐突で、すごく不自然だった。


そしてそれは、僕が目を擦ってもう一度見た時には、消えていた。


「一体なんなんだろう? 僕の目が変になっちゃったのかな?」


 なんとなく気になって仕方がない。


だから僕は、頭の中にいくつもの疑問を浮かべながら、右足を次の枝に移そうとした。


 その瞬間、足元から詩歌の甲高い声が聞こえる。


「紫安!!」


 僕は反射的に自分の右足を見た。


 その先には、何も無かった。


「あ……」


 ……と僕が言った時はすでに遅く、身体が重力に強く引かれ、落下を始めていた。


 内臓が浮き上がる。


 額の汗が、冷や汗に変わった。


体が「ばさばさ」と枝や葉に何度も引っ掻かれる。


 一瞬で、天と地が逆さまになった。


景色が混ざり合い、自分が落ちているのか昇っているのかすら分からない。


 そして後頭部を強打した僕は、「痛い」と思う間もなく意識が闇に包まれた。


 だから僕は、『死んだ』と思った。『せめて一度だけで良いから、女の子と手を繋いでみたかった』と後悔した。



 しかし驚いたことに、僕の『死』は突然、呆気なく終わる。


 目の前に、詩歌の顔があった。


詩歌のはっきりとした二重の瞳はややグレイで神秘的で、とにかく大きい。


 しかし目の前の詩歌の瞳が、あまりに大き過ぎたので僕は違和感を感じた。


 どうして?


 だから僕は、詩歌の視線を追った。


目に飛び込んだのは、僕の脚だった。


今日は体操ズボンを履いているはずだったけど……見当たらない。


 嫌な予感を感じながら、さらに詩歌の視線を追う。


そこには、”よく見覚えがあるなにか”があった。


つまりこの時の僕は、足とお尻を空に向けて——例えるなら『でんぐり返しの途中』のような格好で、気絶していたわけだ。……しかも詩歌の目の前で。パンツも履かず。


 圧倒的な静寂が訪れた。


 それでも夏の日差しは、容赦なく僕の下半身を照らす。


 詩歌と僕の絶叫が爆発した。


「うわぁあああああ!!!!」

「きゃぁあああああ!!!!」



 ——つまりこれが、僕が受けた『人生最初のバチ』だったわけだ。


『バチ』の衝撃は、この時の僕にとってあまりにも大きく、「世界が終わった」と本気で思った。



 しかし詩歌は優しい声をかける。


「な、泣かないで……紫安? だいじょうぶだから」


 慰める詩歌の手には僕のブリーフが握られていて、さらに情けない気持ちになる。


 僕は、涙声で言ってしまう。


「だいじょうぶ……なんかじゃ無いよ……。恥ずかしいし……最悪だし……カッコ悪いよ」


 詩歌は否定する。


「ううん……。最悪でも、カッコ悪くも無いよ……」


 詩歌は、いくつもの天使の輪が浮かぶ黒髪をかき上げた。


「……だって私……可愛いと思っちゃったから……。ありのままを私に見せてくれた、紫安……」


 セミの音が「じわじわ」と続いていた。


 初めて繋いだ詩歌の手は柔らかく、暖かく……でも強く握ると潰れてしまいそうに繊細に感じた。



————

———

——


現在に戻る


——

———

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 とにかく僕は、詩歌の手が壊れるぐらい握りしめていた。


アスファルトを飛び越え、崩れ落ちそうなビルの間を走り続けた。


 倒れた街路樹からセミの声は、もう聞こえなかった。


 後ろから詩歌のつぶやきが聞こえる。


「ほんとうに……どうなっちゃたの?」


 僕は彼女の手を引いて、走りながら答える。


「分からない。分からないけれど……。とにかく僕達の日常が、終わっちゃったのは確かだ……」



————

———

——


※作者より読者様へ。


この度は私の小説に時間を頂戴し、ありがとうございます。本作品は【毎日20:00更新】で考えています。

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