第一部
第1話
一階から、父さんと弟のソラの怒鳴り合う声がする。扉越しに聞こえてくる話の内容から察するに、成績のことか進路のことででも揉めているのだろう。母さんがたまたま出かけていてよかった。自体が悪化しただろうから。
ソラもやり返しているようだし、ソラの成績のことでなにか言われているのであればソラにも非がある。
静観でいいだろう。
一応一階の様子に気をつけながら大学のレポートを仕上げることにした。
「......びっくりした。ノックしろよ」
「わりぃわりぃ」
少しも悪いと思っているようには見えない様子で、ソラがドカッと俺のベットに腰かける。
ソラはあまり成績が良くない。運動も苦手だ。それは彼の所為じゃない。生まれ持ったものだろう。しかし愛想も素行も悪い。幸い警察の世話になるようなことはしていないが、校則違反のピアスも染髪もしている。たぶんタバコも吸っている。たまにタバコの臭いがする。
そして口が悪く、反抗的だ。素行や成績を理由に叱られると必ず反発する。典型的な反抗期だが、大人しく聞いていれば早く済むのに。
「で? なに?」
「マジ最悪......。親父が予備校行けだって」
「行けよ」
「誰が行くかよ、だる......」
「俺も行ってたぞ」
ソラは学校も最低限しか行っていない。ちなみにこの最低限というのは単位が取れる最低限だ。
「別に俺、大学行きたくねえし」
「サボっても家に連絡行かないところ選べよ」
レポートの執筆を再開しながら背後にある俺のベッドに寝ころんでいるソラに声を投げた。
「......リクって意外とそういうところあるよな。優等生に見せかけて」
リクは俺の名前だ。ソラは俺のことを兄と呼ぶほど殊勝なやつじゃない。
「お前は正直に生きすぎなんだよ。だからすぐ人とぶつかるんだ」
適当にはいはい言って、表向きは従順に、ことなかれ主義。それが一番楽な生き方だ。少なくとも、この家においては。
そのおかげで、俺は優秀な長男としての地位を確立している。父に怒鳴られることも、母に叩かれることもしばらくない。八つ当たりと流れ弾は日常茶飯事だが。
「......リクは、どう思う?うちの両親」
「最悪」
即答するとソラは噴き出した。
「リク、サイコー」
レポートを書き終わった。ファイル名を学籍番号に変え担当教員に送る。ソラはまだ部屋を出る気がなさそうだった。視力が悪いので画面に映っているものなど見えないはずだが、じっとこちらを見つめている。
「リク、今何年だったっけ」
「二年だよ」
「じゃあ、俺が現役で入れば一緒に通える?」
「え? まあ」
意外な言葉に思わずソラを振り返る。しかしその顔からはなんの感情も読み取れなかった。
「俺と同じ大学に行きたいのか? すげえ大変だぞ」
自分で言うのもなんだが、俺が通っているのは超難関と呼ばれる大学だった。
「やってみなきゃわかんないだろ」
「それは、そうだけど......それに家から二時間かかるぞ?」
こちらには微妙な表情を見せた。
「なんでお前そんな遠いところ通ってんだよ。一人暮らししろよ」
「......実家の方が便利だし」
「ふーん。俺だったらこんな家、理由を見つけ次第、出て行くけどね」
ソラは俺の本棚から勝手に本を取って読み始めた。何気なく目をやると太宰治の『人間失格』である。
ソラの好みではなさそうだが、俺の部屋は物が少ない。趣味嗜好は別として、手ごろな娯楽として選ばれたのだろう。
レポートがきちんと提出済みになっていることを確認し、大きく伸びをした。
「あ、そうだ」
「ん?」
「お前が俺と同じ大学に合格したら、二人で家借りようよ」
そうすれば、俺もソラもこんな家に居なくていい。ソラ一人なら止められるだろうが、俺も一緒なら許されるだろう。
唐突に思い付いたが、我ながら名案だ。
「いいね、それ」
ソラがニヤリと笑う。
「お前、勉強頑張れよ」
「言われなくても」
二人で顔を見合わせて笑った。この家で、お互いの味方はお互いだけ。俺はお兄ちゃんだから、ソラを守らないと。
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