第3話「封印の刃、目覚めるもの」
黒影の回廊、最奥。
広間の空気は、淀んでいた。瘴気と魔力が重く絡み合い、空間が脈打っている。
中央には、黒い石の祭壇。そこに突き立てられていた――異様な細身の剣。
クレアは、それを見た瞬間にわかった。
(これだ)
ラズが目を細め、魔法文字を読み上げた。
「触るな。これは契約型だ。精神と魔力を喰う類だよ」
その声に、ティリも不安げに叫ぶ。
「クレア、ダメだよっ。そんなの――!」
フォルドは剣を構え、祭壇の周囲を警戒していた。だが、誰よりも冷静だった。
クレアは、皆の言葉を聞いていた。聞いていたが――届いてはいなかった。
「だったら、どうする。足止めるか? 口開いてるだけで、こいつを越えられるのか?」
声に棘が混じった。
「なら、俺がやるしかねぇだろ」
そう言って、剣へ手を伸ばした。
⸻
触れた瞬間。
魔剣が震え、黒い光が爆ぜた。
全身が引きずられるような感覚。クレアの意識が、闇に堕ちた。
⸻
灰色の空。焼け落ちた街。
火の騎士団の赤い紋章が、彼女の胸に刻まれていた。
──命令だけを守れ。
──剣を振るえ。
──感情を持つな。
幼いクレアは、孤児として拾われ、訓練され、命令に従う剣として育てられた。
斬る。任務を果たす。そのたびに、胸の奥が冷えていった。
(……俺には、意味がねぇ)
⸻
記憶が流れる。
民間人を巻き込む殲滅任務。
「命令に従え」と言われた。
だがそのとき、クレアは剣を捨てた。
そして、逃げた。
騎士団を裏切り、名を捨て、武器を拾い直し――ずっと一人で戦ってきた。
⸻
「命令を捨てた刃よ」
どこかで、声が響いた。
それは剣の声か、クレア自身の声か、わからなかった。
「また従うか?」
「違う……俺は、もう従わねぇ……けど――」
クレアは叫ぶ。
「まだ、斬れる。……なら、それでいい」
⸻
意識が現実に戻った。
爆風のような魔力が広間を満たす。
黒い瘴気が祭壇を砕き、剣がクレアの手に収まっていた。
右腕に赤黒い紋様が刻まれている。
「わりぃが……もう触れちまったんだよ」
⸻
その名が、思考に直接流れ込んできた瞬間だった。
地鳴りのような咆哮。
祭壇の瘴気に呼応するかのように、周囲の壁が割れ、魔獣たちが這い出してくる。
牙をむき、目を光らせた獣の群れが、広間を埋め尽くす。
目覚めの代償――力には、必ず戦いがついてくる。
クレアは構えもしなかった。
ただ、剣を握り直す。それだけで十分だった。
次の瞬間、重力すら断ち切るような斬撃が放たれた。
黒い風が巻き起こり、数体の魔獣が一息に斬り裂かれる。
肉が裂け、骨が砕け、血が霧となって舞う。
剣が、唸った。
まるで、生きているかのように――もっと斬れ、と求めてくる。
クレアは一歩踏み込む。
その動きに、魔獣たちが怯えたように後退する。
だが、容赦はしない。
「来いよ。全部、斬ってやる」
その声は、低く、静かだった。
けれど、その刃が刻んだ弧は、誰よりも速く、重く――そして、美しかった。
「止めろ、制御できてない!」ラズが叫び、結界を張る。
フォルドが体を盾にし、ティリが回復魔法で精神を繋ぎとめる。
誰かの声。誰かの手。
クレアはかろうじて正気を取り戻した。
⸻
息を吐く。
右腕は痺れていた。指の感覚が鈍い。
けれど、剣はまだ手にある。
ティリが小さく言った。
「怖かったら、言ってよ。……わたし、そばにいるから」
クレアは答えなかった。
けれど、誰かが止めてくれたことだけは、確かに心に残っていた。
⸻
ラズがぼそりと呟く。
「やっかいなモノを拾ったね」
「……ああ」
クレアは一歩、前に踏み出した。
「でも、これで切り拓ける」
その言葉を残し、クレアは迷うことなく踵を返す。
血の飛沫が乾ききらぬ床を踏み、祭壇を後にする。
「おい、そっちは――」
ラズが言いかけたが、クレアは構わず歩き続けた。
最も魔物の密集する、来た道を。
「こっちのほうが早い」
短くそう告げる。
「封鎖されたはずの通路だぞ。結界も残ってる」
「関係ねぇよ」
クレアは振り返らない。
魔剣の冷たい輝きが、灯りのない通路で妖しく揺れた。
“これくらいの敵なら、もう一人でどうとでもなる”
彼女の背中がそう語っていた。
ラズは軽く肩をすくめ、ティリとフォルドに目配せする。
「……ったく。また勝手に突っ走ってくれる」
「ついてくしか、ないか」
三人は後を追った。
だが、その背中に、確かな違和感があった。
力を得た代わりに、何かを手放し始めているような――そんな気配が。
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