第4話 記憶を宿すパッド
私は橋本美咲。
今日、私は母の「本当の姿」を知る。
別に、知らんでもええねんけどな。
主婦の橋本美咲、三十代。
最近、母が亡くなった。
遺品整理をしていた。
感情の整理は、全然つかへん。
心の中は、いつもどんよりしてる。
機械的に作業を進める毎日。
早く終わらせてしまいたかった。
引き出しの奥から、
見慣れないパッドを見つけた。
「な、なんやこれ?
オカンがこんなん持ってたんか?
趣味悪いわぁ」
思わず声が出た。
母の普段のイメージとは、
かけ離れた、少し華やかなデザイン。
地味で、控えめやったオカンが、
人知れず秘めた「女性性」?
そんなん、あったんやろか。
信じられへん。
「別に、興味ないけどな」
そう口では言いながら、
そっぽを向きつつも、パッドを手に取る。
指の腹で、レースの感触を確かめる。
古いけど、手入れされてたんやろか。
母の若かりし頃のアルバムを眺める。
見たことのない写真がいっぱい。
笑ってるオカンの顔。
知らない服を着てる。
今まで知らんかった母の笑顔。
ひそやかなおしゃれへのこだわりを感じ取る。
「あんた、こんな顔もしてたんなあ…」
アルバムをめくる手が、止まった。
少しだけ、心が揺れる。
胸の奥が、じんわりと温かくなった。
このパッド、捨てるべきか。
持っておくべきか。
いや。
このパッドじゃなくて。
「私、今、何を見てるんやろ?」
ふと、スマホを手に取っていた。
オンラインショップを開く。
「ブラパッド」で検索。
そこに並んだのは、
母のパッドとは違う、新しいデザイン。
どれも、キラキラして見える。
私自身、出産後、体型が変わって、
特に胸の形が崩れたことが悩みやった。
夫に女性として見てもらえてるか、
正直、不安やった。
「こんな私に、新しいパッドなんて…」
自己否定の言葉が、脳裏をよぎる。
でも、母のパッドが、
私の中で何かを揺り動かした。
「母は、このパッドで、
自分を輝かせようとしとったんか…」
画面に表示された、
淡いピンクの、フリル付きのパッド。
それは、母のパッドとは違う、
私好みの、控えめなデザインだった。
マウスカーソルが、購入ボタンの上で震える。
「こんなもん、今さら買うて、意味あんの?」
「どうせ、またすぐに飽きてまうんとちゃうか?」
「結局、自分を誤魔化すだけやろ?」
迷いと不安が、波のように押し寄せる。
でも、アルバムの中の母の笑顔が、
私の背中を押すようやった。
「あんたも、もっと自分を大事にしなさい」
そんな声が聞こえた気がした。
「がんばれ、私、新しい私になるんや!」
心の中で、強く叫んだ。
小さく震える指先で、意を決して、
「ポチッ……」
購入ボタンを押した。
画面が切り替わる。
「注文完了」。
心臓が、大きく跳ねた。
顔が、耳まで熱い。
こんな風に、自分のためにパッドを買うの、
もしかしたら、生まれて初めてかもしれへん。
数日後。
ピンポーン。
インターホンが鳴る。
「美咲さん、お届け物でーす」
宅配業者さんの声。
リビングから玄関へ向かう。
小さな段ボール箱を受け取る。
誰にも見られへんように、
慌てて自分の部屋に駆け込んだ。
丁寧に、セロハンテープを剥がす。
蓋を開けると、ふわりと、新しい布の匂い。
私だけの、「新しい私」の匂い。
中から取り出したのは、
私がポチった、淡いピンクのパッド。
指でそっと触れる。
ひんやりと、柔らかい感触。
部屋の鍵をカチリ。ガチャリ。二重にロックする。
いつものブラから、古いパッドを外す。
そして、新しいパッドを手に取る。
ひんやりとした感触が、肌に触れる。
ゆっくりと、ブラのカップに滑り込ませていく。
ああ。
なんてことだ。
鏡に映ったのは、いつもの私じゃない。
ブラの下で、胸元がふんわりと、
今まで見たこともない曲線を描いている。
「私…これ、似合ってるかな…」
普段なら、絶対に口にしない言葉。
誰にも聞かれない部屋の中なのに、
思わず、つぶやいてしまった。
猫背気味の背筋が、ピンと伸びる気がする。
心臓が、ドクドクと大きく脈打っている。
まるで、私の中に。
ずっと、ずっと眠っていた何かが、
ゆっくりと、ゆっくりと、目覚めていくみたいだ。
「よしっ!」
小さな声。
でも、確かに気合いを入れた。
このパッドが、私を新しい世界へ連れて行ってくれる。
誰にも見えない私だけの秘密。
でも、その秘密が、私に確かな勇気をくれた。
買って良かった。
【SNS】
美咲の夫(橋本良太)の投稿
今日、嫁さんがなんか静かにアルバム見てた。あいつにしては珍しいな。でも、なんか顔つきが優しくなってた気がする。もしかして、やっと落ち着いてきたのかな。あと、なんか最近、嫁さんがちょっとだけ綺麗になった気がするんやけど、気のせいかな?
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【次回予告】
悩み相談です。私、背が高いからモデル体型って言われるんですけど、胸が小さいのがコンプレックスなんです。スタイル褒められても、全然嬉しくなくて。この前、友達が「実はパッドで盛ってるんだ」って告白してきて、びっくりして。私もパッド試してみようかと思うんですけど、これって自分を偽ることになりますか? べ、別に、あんたのためちゃうけどな!
次回 第5話 友の「告白」、私の「本音」
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