L'occasione

(ここからなら――よし)


 のぞいていたスコープから目を離し、構えていたスナイパーライフルを下ろす。


(あと、十分)


 雑居ビルの非常階段で、時がくるのを待つ。


 今回の仕事は厄介だ。

 場合によっては、俺の出番はないかもしれない。




 ◇◇◇


 ――少しずつにぎわってきている。そろそろか。


 下をのぞくと、あちこちのビルから、わらわらと人が出てきていた。

 十二時をまわった。

 昼休み、外食をする者たちが、おのおのどこかへと向かっていく。通りにはキッチンカーや屋台がいくつかあり、そこに並ぶ者もいる。


(…………)


 その中のひとりを見つけた。

 背広せびろ服姿のその男は、まっすぐに、あるキッチンカーに向かって歩いている。その表情は、少しこわばって、緊張しているようにみえた。

 男から目を離し、そっとライフルを構える。スコープをのぞき、ピントの微調整をしながら様子をうかがう。


 バンダナを頭に巻き、エプロンをした女が映る。今回のターゲットだ。


 キッチンカーの中で、その女は紙の箱を手に持ち、ソーセージが挟まったパンを詰めている。ほどなく詰め終わると、そばに置いてあった赤い筒状の容器を取り、上からパンにかけていく。が、途中で中身が詰まったのか、出なくなったようで、何度も天地を逆にしてみたり振ったりして、苦戦している。


(…………)


 再度、背広の男に目を向けた。

 男は、そのキッチンカー近くに立ち止まり、エプロンの女をじっと見つめている。

 男の右足が、踏みだそうと宙に浮いてはみるものの、すぐに戻ってしまう。そしてそれを繰り返す。そのたび、男の顔は赤みを増していく。額には汗も光っている。


(…………!)


 レンズに、これ見よがしに黒いパーカーの男が割りこんできた。

 フードと長い髪で、やはりほぼ顔は隠れているが、その隙間からちらりと見える赤い舌が『捕まえられるものなら捕まえてみろ』とでも言いたげだ。


 ちっ。


 思わず舌打ちが出る。


 相手にするだけ時間の無駄だ。


 ――エプロンの女は、まだ赤い筒状の容器と格闘している。


(退屈なら、これで遊んでろ)


 女を捉えたスコープから目を離さず、被っていたフェドラハットを投げた。

 そのとき、覚悟を決めた背広の男が、ようやく一歩を踏み出そうとしていた。




 精神統一するかのように大きく息を吸い、女が渾身こんしんの力を込めて容器を握る。すると、勢いよく赤い液体が横に飛び散り、そこへ近づいてきていた背広の男の顔に見事命中した。


 焦って女は、男に走り寄った。






『BAN!』











 * * * * * * * * * * * * * * *


 occasione(イタリア語):機会、チャンス、など。


 L'は、イタリア語の定冠詞のひとつで、母音で始まる単数名詞の前に置かれるそうです。英語だとTheですね。

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