最終章 第二話「救済と決別」
セレスティア、セレスティア。
彼女がどれほどの苦痛を感じているのかは私にはわからない。
誰にだって不安になることはあるけれど、心の瓶は人によって大きさや形状が異なる。彼女の瓶はとてもしっかり自立しているように見えるけれど、苦しみの熱で変形して不安定になってしまったのだろうか。
その瓶から喜びや感情が溢れてしまわないように、支えてあげなければならない。そうしなければ、感情が本当に枯れてしまう。感情を犠牲にして生き抜いてきた人の夢をたくさん見てきた。どの人も自分を偽って仮面を外せなくなってしまった人。怖いのは、それが時間をかけて体と融合してしまうこと。取り戻したくても、引き離したくても、どうしようもなく溶け込んでしまった瓶の中で。そんな自分自身と向き合っていくと踏み出した者もいれば、そのジレンマに囚われ続ける者もいる。
きっと彼女は自分自身にも偽り続けている。
前に彼女の夢に入ったとき、迷い人とは思えない精神の落ち着きを感じた。人が入ってきた途端に切り替えたのだろうか。アイドルだからと言われ、世間の固定概念に囚われたゆえの後天的性質なのだろうか。
けれど、なぜ自由になりたいと夢救導士の翼を自ら折ったのだろう。使命を投げ出してまでやりたいことができたのに、さらに苦痛に悶えている。これは彼女の選んだ道だ。使命で縛った鎖とは違う。
スピカはセレスティアの夢空間で、遠くから彼女がこちらに微笑みかけているのを見つめながら、慎重に模索していた。
すると、橘ゆり–––––セレスティアの方から話しかけてきた。
「また来たの?私のことは大丈夫だから、あなたはあなたのことを全うしなさい。わかったかしら?」
「はい。私は私のやりたいことを全うするためにここに来ました」
セレスティアは変わらず微笑んでいる。休業中のその容姿はもうすっかり異界の住人そのものだった。
「そっか、覚悟ができたのね。そっか、そっか……」
セレスティアは先ほどの表情とは打って変わって、徐々に顔色が悪くなっていく。髪の毛も乱れて目の下にはクマができている。周囲の空間の景色も暗く重苦しくなっていく。
「これは……」
「これが本当の私。さっきの姿に変えるのすごく魔力を使うから疲れちゃって。ひどいでしょ?ファンが見たらどう思うと思う?あーあ見せたくなかったなあ。けど、助けてくれるんでしょ?」
スピカはゴクリと固唾を呑んだ。そうか、今まで体力を削って元気な姿を見せてくれていたんだ。ひどいことになってしまったのは決して彼女のせいではないのに。
「もちろん。どんな手段も
「……どうしてその名前を?もしかしてあの変態小僧から教えてもらったの?なんでも喋っちゃうんだから」
「それって番人のこと?」
「見た目は若い番人だなんてカッコつけてるけど、中身は何百歳も超えた老人よ。昔は子供を作ろうとか言って迫られたこともあるんだから。」
「確かに思い当たるかも……」
スピカが呆れたような顔をしていると、それを見たセレスティアが、ぷっと吹き出して笑った。
「誰かと異界の話ができるなんて思ってもいなかった。」
笑顔になったセレスティアを見てスピカは少し安堵した。けれど状況は何一つ好転していない。この空間も重暗いままだ。
「何があったか教えてくれますか?」
「その前に、手を出して」
スピカは右手を差し出す。するとセレスティアはスピカの手を掴み、自分の胸に当ててこう言った。
「はい、施術していいよ。でもこれをしたらもう引き返せない。わかるよね?」
「はい」
「ありがとう。じゃあ、私の心の内を見せてあげる」
スピカは右手に魔力を込め、施術を始める。ぐわっと上から重力に押しつぶされるような感覚がスピカの身体に、脳に、心臓に伝わってくる。同時にセレスティアの記憶や感情が流れ込んで瞬きができないほどの眩しい閃光が流星群のように周囲を飛び交っていった。
「ぐぐぐ……!」
歯を食いしばってどうにか堪える。視界に何が見えているのか判別できないほどの揺れが、この空間もしくはスピカ自身に起こっていた。
揺れとともに重低音が耳に響く。今にも逃げてしまいたいほどのノイズだが、逃げるという選択肢はもう手放していた。いつも逃げて隠れてばかり。そんな自分から少しでも変わりたい。
「届けえええええええええええ!」
*
*
*
「ぐ……あれ?ここは…」
先ほどの重暗い空間とは別の、静かな空間に入った。踏ん張っていた力を緩めて辺りを見回す。
すると遠くで小さい女の子の声が聞こえた。
「うお座アルレシャ家のアトツギのセレスティアです。将来の夢はアイドルになることです」
これは異界の番人がいたあの城?こんな講堂のような部屋もあったのか。あれは……セレスティア?まだ小学生一年生くらいかな。あどけなさとオーラは昔から変わってないんだな。
アイドルという職業は彼女が幼い頃からの夢だという。その夢を叶えることができて、しかもここまで有名になるなんて、相当努力をしてきたんだろう。
すると隣の席や離れた席まで、子供達の讃辞が飛び交った。小さなセレスティアも満足げに喜んでいる。なんて平和な空間なのだろう。心が優しい気持ちになっていく。
「アイドル?使命を忘れたのかしら。ご両親が可哀想」
「ばか、子供の夢なんだから好きにさせなさいよ」
後ろに並んで子供達を見守る親らの中で、夢救導士ではない家庭の住人がヒソヒソと会話をしている。
「でももう小学生のうちから修行が始まるのよ?ご両親はそこんところちゃんと教えているのでしょうね」
「セレスティアは元気に育ってくれています。夢救導士としての教育は着々と進めていきますのでご心配なく」
セレスティアの父親がそう言うと、住人達はまるで馬鹿にしたような応援をしてくれる。
「ありがたいお言葉、感謝いたします」
そこで、時間が止まった。スポットライトがセレスティアの頭上に灯り、セレスティアの声だけがよく聞こえるようになる。これは心の声だろうか。これは当時ではなく、今の彼女の心境だろうか。耳を澄ませてみる。
「ねえ。
大人がいつもそう言って私たちを馬鹿にしてたの、わたし知ってたよ?
夢救導士の使命だってちゃんとわかってたよ?
どっちも両立できるならアイドルやってもいいって言われてさ、わたし。ああ生まれたときから決められた使命とかそういうのからはもう離れられないんだって。なんかすごく怖くなって。
だから深層に行ってみたりしたの。でもさ、わたしなんにも代償払わないで救えちゃった。これって夢救導士としての適性が最高にあるってことなんだって。すごーく褒められたよ。頑張ったねってケーキとプレゼントまでくれてさ。」
小さなセレスティアが認識されていないはずのこちら側を向いて、訴えかけるように微笑む。
「ねえ。それって……アイドルは諦めろってこと?」
するとスピカは光に包まれて場面が変わり、また番人の城が映し出される。
アイドルにはなりたかったけど、それを否定されるような環境にずっと縛られ、もがいていたのだろうか。なんだか分かる。以前この城に来てお父さんと番人から受けたプレッシャーと同じ威圧を感じる。
本当は自由になりたかったんだよね。
やることも、人生も、誰と生きるかも、自分で選んで決めたかったんだよね。
だからかな。もうどうしようもなくなって、家族との糸を自ら絶ってしまったんだ。
「そうよ」
セレスティアが真横に現れた。
まさか心の声が聞こえている?繋がっているからなのか?しかし今までこんなことはなかった。これが彼女の力なのだろうか。
彼女を不意に見つめる。その横顔は全てを諦めてしまったような表情をしていた。
するとセレスティアがスピカの視線に気づき、語り始めた。
「どんなにその分野に長けていても、人には性格的に合わないこともあるでしょう?逆に言えば、性格的に合わない分野でも心を押し殺して頑張れば一流になれるかもしれない。」
セレスティアは腕を伸ばし、夜空の星に向かって指先を指し示した。
「例えばプロで一流の陸上選手がいました。しかし裏には実はもっと実力のある選手が過去に公にならずに存在していた。でもどうしてその人はプロを目指さずに役を降りたと思う?」
スピカは考えた。
考えてる間に彼女なりの答えが返ってきた。
「そもそも彼らは常人の生き方をしたかったのか、叶うかわからない夢を追いかけるよりも安定を選んだのか。必ずしも努力してプロになれるわけじゃない厳しい世界。人々は保険をかけて安全策へ避難する。もちろんこれはただの見解。だけど中には、その素質を持ちながらまだ真の力に目覚めていない人だって少なくない。それは子供だけじゃない。大人にだって当てはまる。あなただって実はすごく剣道が上手いかもしれないし、ゲームが上手いかもしれない。何事も挑戦して色々なことに向き合っていけば自分の本当のやりたいことが見つかるかもね?」
驚いた。慰められるのがこっちだなんて。やはり心が繋がっているからなのか。でもわかった。ここはもうあの重暗い空間ではない。心が繋がってから確実に彼女が回復している。
……そして、私自身の力が消失していってる気がする。
「ありがとうございます。ずいぶんよくなってよかった。」
「あなたのおかげよ」
「でも……まだすごく硬い影が見えます」
「そうね」
「私には見せてくれないんですか?」
「いやよ、ファンの子に内部事情を晒すなんて」
「大丈夫ですよ。わたしの代償は感情・記憶型なので」
「そう。でも感情がなくなるのはちょっと悲しいわ」
「いいんです」
「記憶を目一杯食べてあげる。その代わり、感情を元に戻してあげる」
「食べるって?バクか何かですか?そんなことができるの?」
「ただ思いついただけよ。事例も無いしやったことないから期待しないでね。でもさ、誰もやったことないことをするって面白くない?」
その無邪気な表情に、本来の彼女の原型が見えた気がした。にっと口角を上げた笑みは、アイドルではなく、等身大の女の子のイタズラな笑顔だった。
「教えてあげる。どうせ忘れちゃうなら全部見せちゃおっかな。私の中のすっごく嫌な部分。」
セレスティア視点で数々の映像が流れてくる。
オーディションに通過するまでにどれだけ頑張ったのか。そのアイドルグループに入ってからの後輩としての苦悩が鮮明に映し出された。
アイドル事務所への入所当時は、なかなか日の目を浴びず、ただひたすらにSNSでの宣伝やボイトレ、ダンスレッスン、ビラ配りに励んでいた。小さなライブのチラシが駅のゴミ箱に捨てられていたときは悲しくなった。けれど夢のためだと決して諦めなかった。
ある日、運営からの強制的な指示で最年少でセンターを任されることになった。プレッシャーはもちろんあったがメンバーに恵まれたのが運の尽きだった。なんとかその時は乗り切れたが、一部のファンは黙っていなかった。メンバーは誰一人としてそんなこと思っていないのに、勝手に私たちの気持ちを代弁したり、批判の手紙が送られてきたり。私にとってこの場所は大切な場所なのに、自分がいない方がいいような孤独感を覚えた。
気にするな。アイドルなら弱さを見せるな。孤独に慣れろ。そんな世間で勝手に生まれて育ったみたいな固定概念が、頭の中で私を洗脳しようと走り回る。
私ってアイドルに向いてないのかも。もっと心が強ければよかった。もっと上手く割り切って考えられたらよかった。本当はメンバーは私のこと……。
「十分頑張っているのに、あと何を頑張れというの?」
気づけばスピカの瞳から涙が溢れて、映像に向かって問いただしていた。
芸能界やSNSの配信では不特定多数の顔も名前も分からない人たちに対して活動を行っていく。もちろん顔出しをしていなくたって酷い誹謗中傷で心を蝕んできた人も少なくない。しかも彼女達は顔も本名公表している。私にとって神的な存在だけど、実際はみんな私たちと同じ人間だ。同じように母親から産まれ、夢を持って育って見事叶えた人たち。それだけで努力がよく見える。むしろ讃えられるべきだ。なのにどうしてこの負の連鎖は無くならないのだろう。
スピカは考えた。どうすればなくなるのか。けれど、今になってネットの普及からわかりやすくなっただけで昔から何も変わっていないのかもしれない。ただやり方が最新式になっただけで。
そこでふと思いついた。全員は無理でも、少しでもなくす方法。
「ねえセレスティアさん、ちゃんと向き合ってくれるファンのことは好き?それとも、怖い?」
「好きだよ、でも信じるのは怖い」
「全員を好きになんてなれない、それに悪くいう人はセレスティアさんのこと羨ましいと思ってる。だって人生の貴重な時間をあなたのために使ってくれている……なんて、不器用な人間だよね」
「そうだね。そんなふうに考えたことなかった」
「それにね、ちゃんと向き合ってくれるファンならきっとセレスティアさんの言葉も信じてくれるよ」
「そう?」
「はい。だからファンとはこう約束してください。SNSで誰かのことを悪く言ったりしないって。ファンのみんなに守ってもらう。そうすれば、少しでも希望が育っていくかも」
「本当に?影では言ってるかもしれないわよ?」
「ファンを舐めないでください。私たちファンは、推しの言葉ならどの場面で話した呟きでさえも忘れないですし、大切な言葉は胸に誓って守りますから」
「そっか……ありがとう。なんだか気持ちが楽になってきたわ」
「よかった」
「もう……あなたは私のこと忘れちゃうかもしれないけど、また私を見つけて、たくさん応援してくれる?」
「はい!どんなに時間がかかっても、必ずあなたを推します!」
「ありがとう。またね」
セレスティアは自身の黒く変色したコアを、スピカの魔力によって再生させた。眩しい光に包まれ、さまざまな記憶がスピカの周囲を横切っていく。
昔のいじめられた時の記憶。
夢救導士としての修行。
天野くんから声をかけられた時の記憶。
真希ちゃんと三人で昼食を食べた記憶。
天野くんの指が手に触れた記憶。
全てが通り過ぎて、泡のように弾けて消えていく。
誰と話していたんだっけ。
誰とあの日お昼を食べたんだっけ。
誰が私のことを好きって言ってくれたんだっけ。
私の一番大切な人って誰だっけ。
*
目が覚めると、そばには父がいた。泣きながら私を抱きしめるのできっとお父さんに違いない。
どうして泣いているのかは分からないけれど、お父さん心配かけてごめんなさいと言うと、父は安心したような顔で部屋を出ていった。
机の上に手紙があった。誰かから貰ったものだろうか。見舞いの手紙だろうか。そう思って送り主を見ると、全て自分の名前だった。
幸い、自分の名前と言葉くらいは覚えていた。
どうして何も思い出せないのかが分からなかったが、手紙を読んでなんとなく察した。けどこの手紙、何かが足りない気がする。何か重要なことがあった気がするけど、すごく曖昧に書かれていて我ながらむしゃくしゃした。
「この人たち…どこの人だろう」
スピカはかつて友人だった人物の名前を見つめながら、手探りで朝の支度を済ませた。
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