第一章 第一話「気づかれない涙」
目覚めると、視界は霞んでいて枕はほんのり湿っていた。無防備に
「またか⋯」
瞼を擦り、上半身からゆっくりと起き上がる。
ふらふらと洗面所に向かい、灯りをつけ、寝惚けた顔をぬるま湯で三回ほど、ぴしゃぴしゃ洗う。
どんな夢を見たんだっけ、もう何も覚えていない。
手で喉から胸のあたりに触れる。指に滴る雫が寝衣をさらに湿らせる。
胸の奥がまだ、水面のない海の中に沈んでいるような感覚が残っている。苦しかったような、悲しかったような気がする。
重い瞼をゆっくりと開け、鏡に映る自分を見る。
ふと思い出すかのようにカラーコンタクトを瞳に浮かべる。
「これでよし」
ほんのり黄色味がかった黒い瞳がこちらに承諾を求める。
これが普通の十六歳。これが平和にいられる手段。
洗面所を後にしようとして、横目で髪の変化に気づく。
「あ、ここ少し色…はやいなあ」
あとで美容室に行かなくちゃ。すぐにでも予約しなくては。
ああ、面倒だ。
そうして学校へ向かう支度を済ませ、何も言わずに家を出る。
望月スピカ十六歳。
今日から二週間目の高校生活が始まる。
夢も希望もない。
あるのは
*
まだ見慣れない教室、見慣れない空気。
後ろから二番目の窓際の席に着席して、自分の空間だけを占拠する。
次の授業の準備も荷物の整理もすぐに済ませた。
すると、何も届かないはずの空間に、誰か自分を呼ぶような音を感じ、その音の方向へ顔を上げる。
「–––スピカ! おはよう」
ハッとし、空間がほんの少しだけ広がる。
スピカは慌てて微笑みをみせる。
「あ、おはよう真希ちゃん、気づかなくて……ごめんね」
「ううん、いいよいいよ、いきなり話しかけちゃってこちらこそごめん」
朝から謝罪しあいたいわけじゃない。
だけどいつだって真希ちゃんには気を遣わせてしまう。
こんな自分が嫌だと、ことが起こるたびに考えてしまう。
これだけで数分は悩める、下手したら一日中、いやしばらく考えこんでしまう日だってある。
いつかこんな性格を直したいと思ったことがあるけれど、上手くいかない。
誰かに相談するにも、わたしにとって友達のような存在は真希ちゃんだけだ。
真希ちゃんのことを“友達”って呼んでいいのかすらも……。
「スピカ!」
「わっ! どうしたの?」
「ま〜た難しい顔してたよ、何かあった? 私でよければいつでも相談してね」
「うん、ありがとう。でも何ともないから大丈夫」
また、笑顔になってみる。
これで安心させることはできただろうか。
真希ちゃんは優しい。
優しいけど、優しいだけじゃわたしの本心を明かすことはできない。
ごめんね、真希ちゃん。
まだあなたには、わたしの本当の姿も、わたしが異世界から来た
それがお父さんとの約束だから。
*
昼休み。いつものように真希ちゃんがわたしの席まで来てくれる。
「スピカ、今日お昼どうする?」
「いつも通りでいいよ、屋上行こうか」
「了解〜!」
教室を出て行くとき、どこからか誰かの視線を感じた。
振り向くと、教室の入り口に見知らぬ男子生徒が立っていた。
(あれ……?)
彼は、わたしじゃなくて真希ちゃんを見ていたのかもしれない。
でも一瞬、目が合ったような気がした。
その少年–––
「……スピカ……?」
微かにそうつぶやく声が、誰にも聞こえないほどの小ささで漏れた。
彼の胸の奥で、忘れていたはずの何かが、そっと目を覚ましかけていた。
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