夢救導士スピカ
瞳月レイ
プロローグ
あの日見た夢は、ただの幻想じゃなかった。
僕は今でも、あの草の香りも、君の目も、あの名前も――すべてを覚えている。
なぜなら僕はあのときの空気をはっきりと覚えているから。正確にいえば、“思い出した“から。
あのときの君の顔も名前もその姿も全部、はっきりと覚えているから。
*
瞼を開くと、一面に草原が広がっていた。草花は肩を寄せ合い、カサカサと葉を撫でている。
優しい風が僕の身体をすりぬける。心地よい風だ。
「ここはどこだろう」
広がる草花の香りも土の香りもその感触も、まるで本物のようで、とても夢だとは思えなかった。
電柱ひとつない荒野だが、なぜだろう。遠くの花までよく見える。
僕はパジャマのまま、空を見上げた。
「わあ!」
空には数多の星が瞬いていた。
星を眺めていると、だんだん視界が遠くなっていく。
途端、一冊の本を勢いよく閉じるように、風も音も体も動かなくなった。
周囲には誰もいない。さっきまで傍にあった花がどんな表情をしていたのかさえ、判別がつかなくなる。花々は枯れ、空気は冷え、喧騒感だけが募っていく。
自分の声すら、どこか遠くに行ってしまうような感覚だった。
「怖い⋯」
そう言ったとき、自分の声が震えているのを初めて知った。泣いてるんだ、って気づいた。もうずっと、ここに一人で閉じ込められていた気がしたから。
そのとき。
遠くから、光が近づいてきた。
小さな足音がして、細い腕が僕の手を取った。光の中心にいたのは、自分と同じくらいの年の、白っぽい髪の女の子。目はすごくきれいな金色で、だけどその表情は淡々としてた。
「もう、大丈夫」
彼女の声は小さくて、でも胸の奥に届くくらいに真っ直ぐだった。
彼女は僕の手を引いて、歩き出した。真っ暗だった世界に、星のような光が一つずつ灯っていった。足元に花が咲いて、空に月が昇って、景色が色づいていって。少しずつ、世界が息をし始めた。
「きみ、誰……?」
僕が尋ねると、女の子はふっと微笑んだ。
「……わたしの名前は、スピカ。星の名前だよ」
「星……?」
「うん。すごく、遠い場所にある星。でもね、誰かの心に触れたとき、ちょっとだけ近くに来られるんだって」
僕には、彼女が何者なのかはわからなかった。
ただ一つだけ言えるのは、あの瞬間、彼女は光そのものだった。
「ねえ、また……会える?」
そう聞いたとき、スピカは少しだけ困ったような顔をした。
「……ううん。わたしのことは、すぐに忘れる。でも、きみはきっと、もう大丈夫だから」
彼女の手が離れたとき、世界は真っ白に弾けた。光が満ちて、僕は目を覚ました。
現実の朝が来たのに、涙が止まらなかった。記憶が残っているうちに、短くなった芯の潰れた鉛筆で自由帳に書きなぐった。書けば書くほど、次第に忘れていってしまう。
だけど、あの名前だけは、どうしても忘れられなかった。
――スピカ。
それは、星の名前。遠いどこかにいる、光の中の女の子。
僕の記憶に、永遠に刻まれた、はじまりの夢。
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