第22話 アリスの裏側

文化祭がいよいよ二日後に迫り、学園全体が熱気に包まれていた。


午後の授業は返上され、どの教室からも準備に追われる生徒たちの声が響いている。奏雨と律がいる教室も例外ではなかった。彼らのクラスのコンセプトは「不思議の国のアリス」。教室の壁にはトランプの飾りが張り巡らされ、窓際にはチェシャ猫をイメージしたらしい、どこか不気味ながらも可愛らしいぬいぐるみたちが置かれていた。


奏雨と律は、教室の奥で黙々と作業を進めていた。彼らが設営していたのは、これまでの放課後を費やして作り上げてきた、迫力満点の「Alice in Wonderland」の立体壁面だ。巨大なティーカップや歪んだ時計が描かれ、まるで物語の世界に迷い込んだかのような錯覚を覚える。さららは演劇の練習で教室にはいない。


二人が集中して作業していると、突然、背後から奏雨の肩を軽く叩く者がいた。

奏雨は驚いて勢いよく振り返る。


そこに立っていたのは雪音だった。彼女は奏雨の驚きように目を丸くし、


「わ、ごめん。そんなに驚かせると思ってなかった。」


と慌てたように言った。


すると、律が少し呆れたように口を開く。


「奏雨は足音聴こえないから、急に背後に立たれたら俺たちよりビックリするだろ。」


雪音は「あちゃー」と顔を歪ませ、手のひらを合わせて謝罪のジェスチャーをしながら言った。


「そっかー。ほんとごめん。今度から気を付けるね。」


奏雨は、律が自分のために気遣ってくれたことに感謝しつつも、雪音に謝らせてしまったことに申し訳なさを感じ、困った顔でブンブンと首を縦に振った。


律が雪音に視線を向け、


「で、なんかこいつになんか用か?紙とか端末に書いて見せてやってくれ」


と促した。

すると雪音は


「それなら大丈夫!」


と明るく言い、自分の端末を取り出した。

律や奏雨は黙ってその様子を見守るが、律は何かを察したのか、どこか優しい表情になる。


雪音は、さららが使っているものと同じ音声認識・テキスト変換アプリを操作し、マイクのボタンを押す。そこに声を吹き込んだ。


「奏雨くん、明後日のカフェの運営で相談なんだけど。」


そう言いながら、画面を奏雨に見せた。


奏雨はコクコクと頷く。

それを確認した雪音は、再びマイクに声を吹き込む。


「ドリンク準備やってほしいの!」


そして、また画面を奏雨に見せる。奏雨は、その文字を見て驚きを隠せない様子だった。



奏雨は元々、設営にのみ関わるつもりだった。

耳のハンディキャップがあるため、カフェでの席案内やオーダーを取るといった接客業務は無理だと考えていたのだ。キッチンも、ちゃんとした店舗であればデジタル化されていて対応できるかもしれないが、文化祭は所詮学生の行事。

何かと口頭でのやり取りで済まされることが多いだろうと予測していた。

自分のハンディキャップのせいで、他のクラスメイトの青春の思い出に煩わしいことを刻んでは申し訳ないと思っていたし、クラスメイトもそうやって自分に対応するものだと考えていた。だから、当日の当番はてっきり奏雨抜きで考えているのだと思っていたのだ。思わぬ提案に、驚きを隠せないのも無理はなかった。


雪音は続けて言った。


「今日まで色々考えてたから伝えるの遅くなっちゃってごめん。あのね……」


そう言いながら、手に持っていた一枚のプリントを奏雨に差し出した。奏雨はそれを受け取る。律も覗き込むようにしてそのプリントを読み始めた。


そこには、簡潔な箇条書きで運営方法が記されていた。


「1. 接客係が注文を取る」

「2. 受けた注文を専用のチャットルームに投稿する」

「3. タブレット端末でそのチャットルームのトークを見ながら、奏雨くんがドリンクを作る」

「4. ドリンクが準備できたら、テーブルの番号が書かれているおぼんにドリンクをのせる。」

「5. 準備が整ったらおぼんを決められた位置に置く」


雪音は不安そうに奏雨の顔を見つめた。


「これが一番シンプルで奏雨くんもできる方法かなって思ったんだけど……どうかな?」


律が、プリントから視線を奏雨に移し、


「いいんじゃね?」


と短く言った。

雪音は律の言葉に


「ほんとっ!?」


と、顔を輝かせて嬉しそうに声を上げた。

奏雨も、自然と笑みがこぼれ、大きく頷く。


雪音は心底安心したように、「よかった!」とそのまま嬉しそうに言った。

奏雨は端末に「考えてくれてありがとう。」と打ち込み、雪音に見せる。


雪音は笑顔で首を横に振り、再びマイクに声を吹き込んで画面を見せた。


「せっかくの文化祭だもん!奏雨くんも当日参加しないと意味ないじゃん?」


奏雨の胸に、熱いものが込み上げてきた。

結局、自分のハンディキャップを言い訳にして、文化祭への参加を諦めていたのは、他でもない自分自身だったのだ。消極的な性格だと言い訳して、みんなのためだと言い訳して、一歩踏み出すことを避けてきた自分を恥じた。


雪音はにこやかに言った。


「じゃあ当日これでよろしくね!もし、なんかあったらなんでも聞いて!」


その時、遠くで雪音の名前を呼ぶ声がした。

雪音はそちらの方向へ振り返り、軽く手を振って去っていく。


律は、奏雨の肩を肘で軽く小突きながら、「よかったな」と短い言葉をかけた。

奏雨は、口パクで「うるせー」と返し、律の肩を軽く叩いた。


そして、二人は再びアリスのカフェ設営へと戻っていった。

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