第21話 手話の歩み、台本の奇縁
前回から数日が経ち、学園内は文化祭の準備で活気づいていた。
放課後、あちこちから部活動やクラスの喧騒が聞こえてくる中、奏雨は廊下を荷物を運びながら歩いていた。
その途中、ふと視線を温室のほうへ向けると、温室の近くにあるベンチに、さららが座っているのが見えた。彼女は、手元に白い紙の束を持ったまま、ぼうっと遠くを見つめていた。まるで思考を放棄したかのように、その表情には何の感情も浮かんでいない。
奏雨は、荷物を一旦その場に置き、ゆっくりとさららに近寄ってみる。
コツ、コツ、という僅かな足音に、さららはふと気がついた。視線を向けて奏雨の姿を捉えると、先ほどまでの無表情が嘘のように、その顔がパァッと明るい笑顔に変わる。まるで花が咲いたかのように愛らしい笑顔で、かわいらしく手を振ってきた。
さららは、まず手話で「どうしたの?」と奏雨に話しかけた。
その流れるような動きに、奏雨は嬉しさを覚えながら、手話で応じた。
「手話、上手になったね」
すると、さららは手話をしながら、どこか得意げに、そして少し照れたように音声でも話し始めた。
「カフェで教えてもらってから、もっと知りたくなって。ちょっとずつ覚えてるの。」
長文になるとまだたどたどしい彼女の手話だったが、その一生懸命さが奏雨には痛いほど伝わってきた。奏雨は、そんなさららを優しいまなざしで見つめた。彼女が自分のために、手話を学んでくれていることが、何よりも嬉しかった。
奏雨は、さららが持っている紙の束を指差したあと、手話で
「これはなに?」
と尋ねた。
「あー、えーっと……」
さららは、どんな手話をしたらいいか悩む様子を見せた。言葉に詰まり、困ったような顔をして、とうとうがっかりと肩を落とす。そして、慣れた手つきで端末を取り出し、いつものアプリをタップ。そこに声を吹き込んで、奏雨に画面を見せた。
そこには
「文化祭でやる演劇の台本」
と書かれていた。
ここからは、奏雨も端末での会話に切り替える。
「どんな劇やるの?」
奏雨が尋ねると、さららはすぐに文字を打ち込んだ。
「歴史に基づいたやつらしくて、ざっくりいうと中世の人たちの話。恋愛がメインなんだけど、戦闘シーンもあるみたいなんだ」
奏雨は画面の文字を読み、首を少し傾げた。続けて打ち込む。
「歴史?」
「その……前に歴史学の先生が授業で言ってたの覚えてる?昔の書籍はファンタジーなものが多いってやつ。それでとある書物には、昔は本当に魔法とか非科学的なものが沢山あったけど、転生者によって平和が訪れたことで衰退していった。ってやつ」
さららの言葉に、奏雨は記憶を探るように少し考える。
その授業は記憶になかった。
「それは……知らない…かも。不勉強で……申し訳ない。」
さららは、なるほどと頷き、少し申し訳なさそうに端末に打ち込んだ。
「あ、もしかしたら奏雨くんお休みしてたかも」
奏雨は納得した表情を見せる。
「そっか。星宮はそれでなんの役なの?」
奏雨の質問に、さららは端末に声を吹き込むのをためらった。
彼女の指が画面の上で戸惑うように彷徨う。
不思議に思って奏雨がさららの顔を見る。
さららは、気まずそうに、そして少し恥ずかしそうに、ゆっくりと手話で言葉を紡いだ。
「魔法……少……女。」
その瞬間、時が止まったかのようだった。そして、奏雨は、堪えきれないといった様子で、声を上げて大爆笑した。
「ははははっ!」
さららは、奏雨の声を聞いたのは初めてだった。
予想もしなかった出来事に、一瞬、目を見開いて驚いた顔をする。
だがすぐに、端末に声を吹き込んで、恥ずかしそうに抗議した。
「もう〜笑わないでよ!」
奏雨は、自分が声を出して笑っていたことに気がつき、慌てて手のひらで口を押さえる。
すぐに端末で打ち込んだ。
「ごめん、声変だったでしょ?」
さららは、さも当然というように、全く気にしていないという顔をして端末を返した。
「変じゃなかったよ?」
その言葉に、奏雨はホッと胸を撫で下ろす。家ではともかく、学校では人前で声を出すことを常に気をつけていたのに……。さららと距離が近くなったからか、完全に気が抜けてしまっていた、と反省した。
奏雨は話を続ける。
「魔法少女って、星宮そのまんまだね」
「だから困ってるんだよ!!」
さららは、頬を少し膨らませて、困ったように訴える。
奏雨はそんな彼女の様子に、小さく笑みをこぼした。
「本当に魔法使わなきゃいけないわけじゃないし、いいじゃん。」
「それはそうだけど……」
さららは、まだ少し納得がいかないように下唇を突き出す。
奏雨は、そんなさららの様子を見ると、フフッと小さく笑って「楽しみにしてる。」と端末に打ち込んでさららに見せた。
さららは、その言葉に嬉しそうに、でも少し怒ったように手話で「あ!り!が!と!」と、一文字ずつ丁寧に返答をした。
久しぶりに二人に訪れた、学生らしい穏やかな時間だった。
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