最終話 『魔法使いの遺言』
階段を下りた先、遺跡の地下は、意外なほど整っていた。
崩れかけた壁、蔦に侵食された柱の間に、整然と並ぶ棚や机。
それらには、ガラス瓶、魔術具、使い古された羽ペン——そして、おそらくこの部屋の持ち主であろう魔法使いが、骨の姿で椅子に座っていた。
「ここは彼の、魔法使いの研究室……だよね?」
リム=テスカが慎重に足を踏み入れながら、壁に描かれた図形を指さした。
それは術式の断片だった。防御魔法の一部、あるいは召喚術の改良案。使いかけのまま放置された様子に、妙な生々しさがある。
「魔法使いってこういうとこで地味に暮らしてんのか……意外だな」
ブラン・ブラッドがぶつぶつ言いながら、部屋の奥へ目をやる。
そこには、一際大きな石台があり、その上に木製の宝箱が鎮座していた。
「おっ、あれだな? ダンジョン名物!」
「待って、ブラン。下手に触らないで——」
「いーや、こういうのは開けてナンボだろ!」
その瞬間、宝箱の周囲に描かれていた、赤黒い魔法陣が淡く輝いた。
霧のような煙が渦を巻き、そこから音もなく、骸骨の戦士が二体、地面から這い出してくる。
「またそうやって呪いを踏み抜くんだから!!」
「え、俺のせい!?」
スケルトン——だが、ただの骸骨ではなかった。
肩には朽ちた鉄の鎧をまとい、錆びた剣や斧を両手に構える姿はまるで歴戦の衛兵のようだった。
その空洞の目が、青白く光っている。
「通常種より、魔力残留量が高い……強化型の守護スケルトンだね」
「……ってことは! お楽しみの時間だなぁッ!」
ブランが叫び、大楯を構えた。斧はまだ背にある。まずは正面の一体に体当たり。ごうん! と音を立ててスケルトンとぶつかり合う。
ガキィィン!
スケルトンの剣が盾に弾かれ、火花を散らす。だが、押し返すにはパワーが足りない。相手は骸骨ながら、驚くほどの膂力を持っていた。
「ティボン、回り込める!?」
「やってみる!」
ホビットの盗賊が滑り込むように左手側から走る。が、もう一体のスケルトンが彼の動きを察知し、鈍重ながらも巨大な斧を振り下ろす——
「くっ!」
ティボンが咄嗟に跳ね退く。刃が床を砕いた。
その隙を見逃さなかったのは、リムだった。掌を地にかざすと、低く魔法詠唱の囁きが響く。
「土よ、束となりて敵の歩みを拒め……《足縛りの土塊》!」
床の湿った土がまとまり、スケルトンの足首あたりを巻き込む。骨の脚が一瞬沈み、動きが鈍った。
「今だよ! クレア!」
神官のクレアが前に出る。聖印に祈りを込め、掲げる。
「浄化の光よ、骸の歩みを断て! 《聖撃》!」
眩い光がクレアの掌から放たれ、スケルトンの頭部を直撃。骨が砕け、片目の魔力が掻き消える。
しかし、スケルトンは倒れなかった。赤黒い瘴気が再び骨の接合部をつなぎ止める。
「再生してる……!? 呪縛系かも!」
「つまり、叩き潰せばいいってことだな!」
ブランが、ようやく大楯から斧へと持ち替える。ティボンが小声で囁いた。
「ブラン、奴の動きが止まった今だ。後ろを取れ!」
「おお、任せとけ!」
大声とともにブランが突進。ティボンが直前に相手の足元へ短剣を投げつけ、視線を引きつける。
——その一瞬で、ブランの斧が唸った。
「血まみれ斬り・骨用バージョンッッ!」
ごぉぉん! とスケルトンの胴体が真横に割れ、瘴気が弾け飛ぶ。今度こそ、動きは完全に止まった。
もう一体も、クレアとリムの連携でじわじわと追い詰め、最後はティボンが背後から頭蓋骨にナイフを突き立て止めを刺した。
長い戦いだった。
全員が息を整え、静かになった研究室に、魔法陣の光がようやく消えた。
「……やっと、終わったね」
リムが、額の汗を拭いながら呟く。
「宝箱、調べても大丈夫か?」
ブランが問うと、ティボンが慎重に罠を確認してから、蓋を開いた。
中には——金貨が十数枚、光る小粒の宝石、そして丁寧に束ねられた数冊のノート。
「……これ、魔法の実験記録だ。しかも、かなり古い魔術理論が……」
リムがノートをめくりながら顔を上げる。
「遺跡の持ち主、ただの研究者じゃなかったみたい」
「じゃあ、俺たち、またやばいの掘り当てたってこと?」
ティボンが肩をすくめる。
——静寂の中で、宝石がかすかに光を放った。
階段を一段ずつ上がるたび、空気が少しずつ澄んでいく。
薄暗い地下から、一階の中央広間へと戻ると、天井の裂け目から差し込む陽光が目にまぶしかった。
砕けた石床の間に草が生い茂り、かつての威厳を忘れ去られたこの遺跡にも、今は穏やかな午後の風が吹き抜けていた。
「ふーっ……やっぱり陽の光って最高だな……」
ブランが大斧を立てかけ、背中から重い楯を降ろしてごろりと仰向けに寝転がった。
「背骨いかれてそうな音したけど、大丈夫……?」
リムが怪訝そうに見下ろすが、ブランは両手を広げて空を見たまま、満足げに笑った。
遺跡の片隅、かつて祭壇か台座があったらしい石の上にティボンが腰掛け、鍋を振るっている。
香草と塩で調えた干し肉と根菜を炒め、最後に「保存食のくせに旨味がある」と自慢のかつお節をひとつまみ。
「じゃーん! 初ダンジョンお疲れめし、完成です!」
風のようにすばしこく配られる皿を手に、クレアが微笑む。
「……神に感謝を。肉に感謝を。ティボンのかつお節に、渋々感謝を」
「渋々ってなに!? これがなきゃ完成しなかったのに!」
「まあまあ、ティボンの料理が無事なだけでもありがたいでしょ。今日は調理中に爆薬に火をつけてないんだし」
「うん、たぶん……初めてじゃない?」
リムがノートを抱えたまま笑う。
魔法使いの遺した羊皮紙の束は、古文書に近く、ところどころはすでに文字がかすれていた。
いずれ学者に見せるべきかもしれないが、ひとまずはリムが保管することに全員が同意していた。
「魔術理論や錬金素材のことが書いてあるみたい。でも一部、封印魔術に関する記述も……。軽々しく扱うべきじゃないね」
「持ち主はもう骸骨だったしな。なあ、それってつまり呪われてる可能性とか……」
「言わないでティボン、食事がまずくなる」
鍋の底をさらいつつ、空になった食器をかき集めるティボンが肩をすくめる。
陽はまだ高いが、森の道は思いのほか足場が悪い。パーティは残りの道程を考え、装備を整え始めた。
「リム、ノートは防水袋に入れておくといいわ。雨に降られたら厄介よ」
「わかってる。クレアも、足元気をつけて」
「ありがとう。あと、ティボン。包丁を使うなら、少し離れてくれますか」
「愛だよ、これは」
「それは違うと思う」
ひとしきり笑い合った後、全員が腰の装備を締め直す。
初めての本格的なダンジョン探索。地下階層の遺構、スケルトンとの苦闘、そして想定外の魔法研究の痕跡。
低層とはいえ、得られたものは小さくなかった。
ブランが呟く。
「……また来ようぜ、ここ」
「うん。次はもっとチカラをつけて、ね」
そんな会話を背に、パーティは石畳を歩く。森の道へ戻り、日が暮れる前に、ふたたびロストベルの街へと——
光と、においと、喧騒にあふれた場所へと帰っていく。
『青の帳(とばり)亭 冒険譚』 ——今日も誰かが爆発寸前、それでもだいたいなんとかなる不思議—— 渋谷重國 @shibuya-4992
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