第5話 スパルタ騎士と臆病な王子

セドリックの「馬術も教える」宣言から一夜。

私は、まだ薄暗い早朝の空の下、学園の広大な馬場へと引きずられるように連れてこられていた。


「さぁ殿下、こちらへ」


セドリックが指し示した先にいたのは、一頭の馬。

……いや、馬というより、もはや黒い魔獣。

漆黒の毛並みはぬらりと光を弾き、その筋肉はまるで鋼みたいに盛り上がっている。時折、苛立ったように蹄で地面を蹴り、鼻息荒く「ブルルッ」と威嚇してくる姿は、迫力満点だ。


(ひぃぃぃ……! おっきい……! こわい……!)


思わず後ずさりしそうになる私の肩を、セドリックががっしりと掴む。逃がさないという強い意志を感じる。


「彼が、これより殿下の相棒となる軍馬、『ナイトシェイド』です。気性は荒いですが、学園一の駿馬ですよ」

「そ、そうか……。頼もしい、な……」


顔、引きつってないかな、私。

セドリックに手伝ってもらって、なんとかよじ登るようにナイトシェイドの背に跨がる。視界がぐんと高くなって、くらりと眩暈がした。地上にいるセドリックが、あんなに小さく見える!


ナイトシェイドが、ぶるりと身震いしただけで、私の体は木の葉のように揺れる。


「ぎゃっ!」


思わず、情けない悲鳴をあげて、馬のたてがみにぎゅっとしがみついた。

その瞬間、下から氷のように冷たい声が飛んでくる。


「殿下。そのような情けない声を出さないでください。王子たるもの、常に毅然となさってください」

「む、むぅ……」

「背筋を伸ばして! 手綱は短く、しかし遊びを持たせて。視線は前へ!」


次から次へと飛んでくる、セドリックのスパルタ指導。

(鬼! 悪魔! 堅物騎士!)

心の中で思いっきり毒づくけど、彼の言うことは全部正しいから反論できないのが悔しい。


「い、いくぞ、ナイトシェイド……!」


私が覚悟を決めて、お腹を軽く蹴ると、ナイトシェイドはゆっくりと歩き出した。

――と、思ったのも束の間、急に速度を上げて、ぱかぱかと走り始める。


「わ、わ、わ、わ! 待って、待って!」


体が前後に激しく揺さぶられて、振り落とされないようにしがみつくので精一杯!

もう、王子様の威厳も何もあったもんじゃない!


「はぁ……」


馬場の真ん中で、セドリックが深いため息をついたのが見えた。

その呆れたような顔に、なんだか無性にカチンとくる。


(なによ! こっちは命がけなんだから!)


半ばヤケクソになった私に、セドリックは呆れながらも、根気強く声をかけ続けた。

「殿下、馬は乗り手の恐怖心を敏感に感じ取ります。力で抑えつけようとしてはいけません。彼と、対話するのです」

「た、対話……?」

「そうです。信頼を勝ち取れば、馬は最高の相棒となります」


信頼、か……。

私は、震える手で、ナイトシェイドの逞しい首筋をそっと撫でてみた。

びくっ、と彼の筋肉が強張る。


(怖がらせちゃったかも……ごめんね)


私は目を閉じて、心の中で彼に語りかけた。

『ナイトシェイド。私は、アルフレッド。君と、友達になりたいんだ。どうか、私を助けてくれないかな?』


すると、どうだろう。

あれほど荒々しく鼻息を鳴らしていたナイトシェイドが、ふっと静かになった。そして、私の手に、自分の頬をすり、と寄せてきたのだ。

温かくて、柔らかい感触。


「……!」


小さな、でも確かな心の繋がり。

その奇跡みたいな出来事が、不安でいっぱいだった私の心に、ぽっと温かい光を灯してくれた。

「よし、もう一度だ、ナイトシェイド!」

私は手綱を握り直し、前を向いた。

まだ怖いけど、でも、さっきよりずっと、やれる気がした。

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