真剣な君のその瞳に惹かれた

 カキーン


(あっ、またやってる)


 授業中、教師の話を聞かずに眺めていた空に、白い球が飛んで行く。

 その球を飛ばした犯人の方に目を向ければ、見慣れた顔が笑ってた。


 彼の名は、田嶋いつき


 2年A組の人気者で野球部のエース。

 人当たりの良い彼の周りに人は絶えないけど、最近は何かと同じクラスの藤田と夏木と一緒に居るのを見掛ける。


 最近は前にも増して逞しくなった様に見えるのは、気のせいじゃないのだろう。

 時々、野球をしていてもこうはならないだろうと思われる傷を作って来るけれど、巻き込まれ体質の藤田を庇ってだろうか。

 それとも本人にその気は無さそうなのに、よく喧嘩を売られている夏木に巻き込まれて、だろうか…。

 私は彼に何も聞けずに居た。


 ——私はいつも彼を見ているだけで、話した事があるのはクラスが一緒だった1年の時だけなのだ。




 放課後。

 私は今日も美術室に居た。


 二つ上の先輩達が卒業してからというもの、幽霊部員の割合が圧倒的に増えてしまった美術部は、毎日部活に顔を出すのは今となっては私くらいの物だ。


 お陰で何時でもグラウンドの彼の姿を眺める事が出来るのだけれど。



「あれ?渡辺さん一人?」

「……へ?」


 誰も居なかったはずの部屋に私の物じゃない声がして、思わず間抜けな音が口から漏れた。


「へ?じゃねーだろ。質問にはちゃんと答えろよ」

「な、夏木君…!」


部屋の入り口の方へと視線を向けると、去年から田嶋とつるんでいる姿を良く見掛ける二人組が其処に立っていた。

手に、段ボール箱を抱えて。


「あぁ…うん、今日も一人だよ。他の人は、あまり部活に来ないから」

「そっか…」


 私は椅子から立ち上がると、彼らの方へ寄った。


「それ、先生に言われて持って来てくれたんでしょ?」

「う、うん…何処に置けば良いのかな?」


 大方、教室に残っていた所を先生に見つかって荷物を運ばされる事になったのだろう。「明日は結構荷物届くからね」と昨日言われたのを思い出す。

 箱を二つずつ重ねて持っている二人を見て、持つのがキツそうな藤田から一つ受け取る。


「あ、ありがとう」

「いや、どうせこの荷物は私が使う物も入ってるだろうし」


 受け取ったのは小さな箱だったけど、ずっしりとした重量を感じるそれは、絵の具でも入っているのだろう。


「じゃあ、此処に置いてくれるかな」


 美術室と繋がる準備室へと入って、部屋の真ん中に置かれた机に箱を降ろす。続けて二人も荷物を置いた。


「そういえば、さっき渡辺さんは何描いてたの?」

「……気になるの?」

「あー、うん。渡辺さんはどんな絵を描くのかな?って」


 俺は絵心ないから上手いか下手かは分からないけど、と彼は苦笑する。


「…分かった。見たいなら、見ると良いよ」


 あまり気乗りしなかったが、描いていた途中の絵を二人に見せる事にした。


「あれ、コレって…」

「もしかして、田嶋…か?」


 絵を見て、驚いた様に目を丸くする二人。

 まあ、こんな反応でも無理ないだろう。


(やっぱり友人が描かれてるのって、どう反応すれば良いか分からないよね)


 私は自分の胴の長さ程はあるキャンバスに、野球をしている田嶋の姿を描いていた。


「これはコンクールには出さない作品だけどね。流石に本人に許可貰ってない物は出せないし」

「そうなんだ…」

「お前、目、良いんだな。此処から描いてるんだろ?」


 窓の向こう、グラウンドを見て獄寺は言った。確かに、私は他の人より多少、視力に自信がある。


「まあ、正確に測った事は無いけど、1.5以上はあるんじゃないかな」

「……にしても、なんで田嶋なんだ?他にも人はいっぱい居るだろ」

「そういえば…」


 私の方に、二人の視線が注がれる。

 問われる視線に仕方なく答える事にした。


「田嶋はピッチャーだから同じ所に居る事が多いから、描きやすいんだ。それに、見ていると分かるけど、グラウンドに居る人の中で、一番いきいきしてるから」


 私が彼を目で追う様になったのも、それが理由だった。

 主に風景画を描く私は、顧問に言われて人物も描いてみる事になり、グラウンドの中で一際輝いて見える彼を見つけたのだ。


「確かに、田嶋は野球してる時が一番楽しそうだよね」

「そうだな」



「じゃあ、お邪魔しました」


 二人の訪問者が去って行き、再び部屋に沈黙が訪れる。


(続き描くか…)


 静かになった部屋に、筆を滑らす音だけが響いた。



***



「それにしても、やっぱり田嶋ってモテるんだね」

「俺にはその感覚が分からねーけどな」


 俺達は美術室を後にして、自分達の教室へと戻っていた。


(渡辺さん、確実に田嶋の事好きだよな…)


 部屋に入った時に見た、グランドを眺める彼女の表情。

 野球をしている田嶋の姿を語る、彼女の声音。


 それらは正しく恋する乙女、その姿で。

 恋愛なんかに興味ない、って思ってるのかと思う様な人だったから意外だった。


(少し応援してあげたいな)


 不器用だけど優しい、俺が困ってる時に助けてくれた事もある彼女。

 友達作りが苦手なのか、昔の俺みたいに一人で居る事が多い彼女。


 彼女の恋を、少しでも手助けしてあげたいと思った。



***



「よっ、久し振りだな!」


ぽたっ


 絞り出した絵の具はチューブの口を離れ、パレットの上へと余分な量の色を落とした。



「へー、美術部なのは知ってたけど、やっぱ渡辺って絵上手いのな!」


 何の前触れも無く放課後の美術室へと突然やって来た彼はそう言うと、私が現在取り掛かっていた風景画へと目をやった。


「あ、ありがとう。……田嶋、今日の部活は?」

「ん?ああ、今日はミーティングだけ。まあ、いつもだったら終わったら自主練してるんだけどな」


 ずっと見ていたから、その事は知っている。

 それなら何故、貴方は此処に来たのかと問えば、その理由を答えてくれた。


「この間、藤田と夏木が此処に来ただろ?その時に渡辺が書いた俺の絵を見せて貰ったとか言ってたんで、俺も見せて貰おうかと思ったのな!」


 言ったのか、藤田のヤツ。

 他人の絵を本人の知らない所で描いていた事なんか、あまり本人に知られたくは無い、のだけれど。


「……田嶋が気にしないって言うなら、別に良いけれど」

「気にしないって、何をだ?」

「——いや、何でも無いよ」


 許可もして無いのにあまり関わりの無い他人に絵のモデルにされるなんて、普通は嫌なはず。そう思ったから藤田達にだって見せたのは渋々、といった形だったのに、事もあろうに本人にそれを伝えるなんて、そう言う考えは彼らに無かったのだろうか。


「んで、その絵ってのは何処にあるんだ?」


 見せて欲しい、と催促されたので、今更隠す事も無いかと開き直って乾燥棚に置いていたキャンバスを近くにあったイーゼルへと立て掛けた。


「うおっ、ホント俺そっくりだな!コレ、此処から描いてたんだろ?渡辺、良く見えるなー」


 田嶋がボールを投げた直後のフォーム。

 真剣な表情をしたその姿が、其処にある。


「田嶋って、野球してる時が一番良い表情してると思うんだ。何よりも一生懸命さが伝わってくるし、一瞬一瞬を全力で生きてる感じがして。グラウンドの中で一番光ってると思う」

「………なんか、其処まで言われると恥ずかしいな」

「あっ……ご、ごめんっ」


 本人を前に、私は何て事を語っているんだろうか。

 指摘されて気が付いて、私は熱を持った顔を隠す様に俯いた。



「その……良かったらなんだけど、」


 暫く互いに何を言えば良いか分からなくなってしまい、沈黙していたのだけれど。

 その妙な気恥ずかしい静寂を打ち破ったのは、歯切れの悪い田嶋の言葉だった。


「こんな所からじゃなくて、もっと…近くで描いてみる気はあるか?」


 勢い良く顔を上げた。

 その視界に映り込んだのは、赤く染められた彼の顔。


(そんな表情でそんな事……。期待、しちゃうよ)


 ドクンドクンと煩く胸が鳴る。

 きっと今、私の顔も真っ赤だろう。


「田嶋が、良いって言ってくれるなら」

「っああ!それじゃあ決まりだな!」


 でも、危ないからフェンスの中は辞めといた方が良いかもな…。

 なんて少し残念そうに見えるのは、私の気のせい、じゃなければ良い。


 窓越しの恋は、一つの絵がきっかけで手の届く物になったんだ。

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