【短編集】図書室で君を知る
雲霓藍梨
図書室で君を知る
今日は私達のクラスに在籍する、夏木悠馬の誕生日である——らしい。
一匹狼タイプの彼は一見不良っぽく、しかしぶっきら棒なだけでクラスメイトに手をあげたりはしない。危険な香りに惹かれる思春期の女子に、そんな彼はよくモテていた。
その彼の所には、何処から今日が彼の誕生日だという情報を嗅ぎ付けたのか、朝から引っ切り無しにプレゼントを渡しに来る女子が絶えない。
……はっきり言って、隣の席の私としては、彼女達が少し邪魔であった。
ホームルーム前は静かに読書に没頭するのが朝の楽しみな私にとって、この状況は些か集中出来ない為……というのは建前で、実際は、好きな人に堂々とプレゼントを贈る事の出来る彼女達が羨ましい、というのが本音だった。
図書委員である私は、不真面目な彼との接点など持ち得ない、と彼が転校して来た去年のあの日以来、ずっと考えて居た。
私は人と話をするのが苦手だし、そもそも目立つ彼と目立たない私では、話す機会なども無いだろうと思っていたのだ。
——それは、今年に入ってからの事だった。
いつもの様に放課後の図書当番をしていると、図書室にはあまりにも不似合いな彼がやって来た。
不似合い、とは思ったが、確か彼は学力は高い方だった事を思い出す。
今まで見掛けた事が無かっただけで何度か来た事はあるのか、迷い無くある場所に進んで行く。
その姿が本棚の陰に隠れたかと思うと、僅かしか経たずに戻って来た。
しかし、その手には何も持っていない。
疑問に思いつつも他の人の返却の手伝いをしていると、私の上に影が落ちた。
「……おい、」
「…何でしょう?」
手元から顔を上げれば、先程の彼が目の前に佇んで居た。
用の終わった生徒は彼にビクビクしながらも此方に礼を言って、足早に此処を去る。
——いつの間にか、図書室には私と彼の二人だけになっていた。
「UMAとかが載ってる本があっただろ。あの本は何処にあるんだ」
およそ人に物を頼む態度では無いが、今までの彼の態度を見る限り、そんな事は言っても無駄だろう。
聴こえない様小さく溜息を吐くと、私は他に人が居ないのを確認してカウンター内の席を立った。
彼しか居ないのなら、他に急ぎの仕事がある訳でも無いし、説明するより案内する方が早い。
「こっちにあるから着いて来て」
彼が先程入った所より二つ隣の書架。
その場所へと歩を進めて行くと、疑問に思ったのか声が掛かった。
「おい、前はあっちにあったんじゃねーのか?」
「それは去年までの話。今年度に入ってからは、少し場所が移動したのよ」
本の分類も少しずつ変わっていく。
何処ぞの御偉いさんが決めているのかは知らないが、新たに決められた十進法に従って、年度始めには本棚の整理が行われるのだ。
「今の場所は此処」
本棚の一部、あまり需要が無いと思っていた分類だが、彼はそれらを求める数少ない一人らしい。
初めてこんな顔を見た。
よく眉間に寄せている皺は無く、年相応の、もしくは若干幼い印象すら与える様な輝かんばかりの瞳で本棚を見つめる。
初めて近くで見るその表情に、小さく心臓が跳ねた気がした。
「——じゃ、用は済んだわね」
熱心に本を見つめる彼に背を向けて先の場所へ戻ろうとすると、後ろから声が掛かった。
「おい待て!」
「……何?」
まさか呼び止められるなんて思ってもみなかったから、振り返って細めた目で彼を見る。
「……テメーの名前を教えろ」
「…柊佳奈よ。
去年からクラス一緒なんだから、憶えておきなさい、夏木悠馬」
クラスが一緒だったという事に驚いたのか、彼は目を見開く。
呼び止められて礼を言われるでもなく、まさか今更名前を訊かれるなんて…。
自分でも目立たない、とは思っていたけれど、少しショックではある。
「そうか、」と呟いた彼に今度こそ背を向けて、その場を去った。
***
「柊、」
残っていた僅かな仕事も終え、カウンターの中で本を読んでいると、上から声が降って来た。
「何?」
「テメーは何時になったら帰るんだ?」
窓の外を見ると既に薄暗く、後ろの壁に掛かった時計の針は十八時半を過ぎていた。
「——もうそろそろ帰るわよ。当番の時間も終わりだし」
本に没頭し過ぎていたのだろう。
彼に声を掛けられなければ、危うく下校時刻を過ぎてしまう所だった。
「それより、夏木は本借りるんじゃないの?」
見れば彼の手には、やはり一冊の本が載っている。
「貸して、その本」
「ああ、」
貸し出し手続きをして、彼に本を手渡す。その時に少し触れた指先が震えたのは、一体どちらだっただろう。
「、それにしても、貴方がこういうのが好きだとは思わなかったわ」
「……ワリーかよ」
「いいえ、私はどちらかというと、宇宙の成り立ちとかの方が面白いと思う人だから」
「そうかよ」
話すのが苦手なのに、彼とは少し、話をしてみたいと思った。
それがどうして沸き起こった感情なのか、その時は知らなかったけれど。
「——でも、これだけ広い宇宙なんだもの。何処か遠い星に、私達の知らない生物が居てもおかしくないとは思うわよ」
先程までの興味無さ気な態度から一転、途端に彼が身を乗り出してくる。
「やっぱりテメーもそう思うか!」
それから約二十分。
最終下校時刻を知らせるチャイムが鳴るまで、彼は頼んでも無いのに未知の生物に関する熱弁を振るってくれた。
あれから彼は、私が週に一度の放課後の当番である日によく図書室を訪れる様になった。
今回の本はいつもと違う視点から切り出してきていたとか、仮説がしっかりと建てられていないだとか。
そんな話を二人きりになった図書室で、彼は語り聞かせてくれた。
二人の時じゃないと、他の人の迷惑だという私の意見を素直に聞いてくれたのには、今でも驚いている。
話す内容はどれも仮説の話ばかりなのに、真剣に語るその口調はある意味滑稽で。でも、それ程に熱中出来る物がある彼を、正直に羨ましいと思う。
***
いつ、私が彼を好きになったのかは分からない。
熱心に未知のモノに対する自らの見解を述べる姿を見ている間だったかも知れないし、初めて彼の無邪気な笑顔を見た時かも知れない。
それでも、いつの間にか気付かぬ内に彼の動作を目で追うようになっていた頃には、既に私は彼に惹かれていたのだろう。
放課となった今も、目の前で沢山の女子に詰め寄られている彼は、彼女達の気持ちを無下に出来ないのか、少々眉間に皺を寄せながらもプレゼントを受け取っている。
(——ぶっきら棒なのに、優しいんだよな)
彼の優しさは、罪だ。
普段素っ気ない癖に優しくされたら、誰だって勘違いしてしまいそうになる。
(こんな人の中に、私が混ざれる訳が無いだろ…)
いつもより重く感じる自分の鞄を持ち上げて、今日も委員会の仕事へと向かった。
今日に限って、放課後の図書室には私の他に誰も居ない。
昼休みの当番が片付け切れなかったのであろう返却済みの本の山を片付け終えると、後は何もする事が無い。
自分が読む本の、ページを捲る音。
それがする以外は、この部屋は無音と言っても差し支えないだろう。
(今日は夏木、来ないだろうな)
先程も女子に捕まっていたし、きっと今日の彼に此処に来る時間は無い。
約束している訳でもない。
いつも此処で会うのは、彼次第だった。
(脆い、関係だよな)
教室で話す事も無い私達は、友達とも言い難く、ましてや恋人なんて物とは程遠い。
いつでも崩れ去りそうな関係を再認識すると、胸が張り裂ける思いがした。
キーンコーン……
———結局、夏木は来なかった。
予想していた事だけど、せめて祝いの言葉だけでも掛けようかと思っていたからか、やり切れない思いが募る。
彼はきっと、もう帰ってしまっただろう。
待つのを諦めた私は読みかけの本に栞を挟むと、鞄にしまった。
誰も居ないのを確認して、戸締りをする。職員室に鍵を返すと、ひと気の無い校舎内を生徒玄関に向かって歩いた。
その足取りはいつもより重い。
ようやく辿り着いた玄関で靴を履き替えていると、横から声が掛かった。
「おい、」
なんで。
耳を疑った。
今日はもう、会う事は叶わないと思っていたのに。
目を見開いて顔を上げると、其処には声の持ち主が居た。
驚きに黙り込んでいれば「聞いてんのか?」と少々腹立たし気な声がした。
「なんで…夏木が此処にいるの」
「………テメーを待ってたんだよ」
「え……何の為に?」
逸らされた視線は、暗くてよく見えないが、所在無さ気に泳いでいる気がする。
「ここ、この前!借りた本の感想言おうと思ってたんだが…き、今日は図書室に行けなかったから、かかか帰り道にでも話そうかと思ってな、」
今まで共に帰った事などない。
それに、本の話をするのに此処まで動揺する理由が見付からない。
「——夏木、もしかして、理由は違うんじゃないの?」
「、っ」
息を詰まらせた彼は、僅かに肩を震わせた後、深呼吸をして息を吐き出して言った。
「…最近暗くなるのが早くなってきたからな。テメーも一応女だから、送ってやろうと思ったんだよ」
「っ、そっか…ありがとう」
照れて頬を掻く彼に、ドキンと胸が高鳴る。
——嗚呼、もうきっと、私はこの気持ちを抑えられない。
「夏木、話があるんだ」
「……分かった」
今度は彼の方が眉間に皺を寄せたが、とりあえず此処では いつ教師が見回りに来るか分からないからと、帰り道にある公園に行く事を提案した。
「——そういや、今日誕生日なんだって? おめでとう」
「ああ、」
二人並んで、すっかり暗くなった公園のベンチに座る。
街灯の光が、仄かに足元を照らしていた。
「よく話はしてたのに、誕生日すら知らなかったからプレゼント用意してないんだよね」
「別に…俺が言ってなかっただけだからな。——それより、話ってなんだ」
「ぁ、」
真剣な表情で、真っ直ぐ私の目を見詰められると、覚悟は決めた筈だったのに、声が出なくなる。
言ってしまえば楽になる。
でも、私だけに向けられる笑顔を失うかも知れないと考えると、私は言葉にするのを戸惑った。
(……でも、)
言わないと、君が気付いてくれる事はない。
「わ、たし…」
君の隣に居ながらも、ずっと君に想いを告げる他の女の子達に嫉妬し続けるだけなんだ。
「な、夏木の事が好き…、好き、なんだ……」
言ってしまった。
もう取り消す事は出来ない。
自分が唾を嚥下する音が脳に響く。
「……柊、頭上げろ」
少し時間が経ってから、返ってきた答えでは無い言葉に、私は恐る恐る顔を上げる。
「…まさかテメーに先越されると思って無かったんだが…」
怒りか羞恥か。
顔を赤く染めた彼は言った。
「俺も、お前が好きだ」
淀みなく。
私の目を見据えて。
「、っありが、とう…!」
「あっ、お、オイ!!」
彼の胸に飛び付くと、慌てた彼が受け止める。
彼の肩に顔を埋めたのは、泣きながら笑う情けない顔を見せたくなかったからだけど、思ってた以上に広い胸は、私に大きな安心をもたらしてくれた。
「夏木の誕生日なのに、私がプレゼント貰っちゃった」
「……プレゼント貰ったのは、俺の方だろ…」
互いに小さく耳元で囁いて。
「俺は大勢の女子からの贈り物より、柊からの言葉の方がよっぽど嬉しい」
サラッと言った彼だけど、頬の横にある耳は確かに熱を帯びていて。
やはり彼は彼なんだな、と再確認して心の中で小さく笑った。
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