忘れ墓(仮題)②
墓地で田蔵の話しを聞いていたら、気づけばあちこち蚊にやられていた。まったく痒くて仕方がない。ということで、一度宿に帰ることにした。ここは自分の地元ではあるが、実家はすでに取り壊されている。祖父母の逝去と共に両親は町の中心のほうへ家を移したのだ。そのため今回は宿を取った。かなり古い建物だったが、趣があって良い雰囲気の宿だ。こういうのは嫌いじゃない。
田蔵とは夜にまた墓地で集合する約束をして、それまでの時間は件の幽霊について考えを巡らせてみることにした。
まず、田蔵の話をまとめるとこうだ。
①この墓地には昔から名前の彫られていない墓が存在している。
②その墓には幽霊が出る。
③幽霊の正体は分からない。
④その幽霊は「わたし、だれ?」と尋ねてくる。
簡単にメモに書き付けて、愛用のペンを机に置く。組んだ両手をぐっと天井に突き出し、軽く背中を伸ばしてからひとこと呟く。
「なんだそりゃ」
墓地に幽霊が出る、というのは分かる。死んだ者が集う場所に幽霊が出るってのはもはや定番の話。墓地といえば幽霊。幽霊といえば墓地。
だが、今回の件をそんなありきたりの話に収めるには、ちとおかしな部分が多い。
まず、幽霊の正体がわからないこと。普通幽霊といえばその場所に所縁のある存在がいるはずだ。橋から身投げをした人間の幽霊は橋の上に出る。井戸に落ちて死んだ人間の幽霊は井戸のそばに出る。あの墓地に出たのだから、それはあの墓地に埋葬された人間と考えるのが妥当だろう。だが、田蔵は分からないと言う。いや、そもそもあいつ、自分の眼でその幽霊を見たのか? 話を聞く限り当事者っぽくはなかったが……まあ、これはまた夜にでも聞こう。
次。幽霊が「わたし、だれ?」と聞いてくること。これも分からん。こちらに尋ねてくる系の怪異は確かに存在する。「わたし、綺麗?」とかが有名。だが「自分は誰か?」とこちらに聞いてくるのはどういうことなんだ。記憶喪失? 幽霊が? もしくは……試している、とか。「わたし、綺麗?」に「綺麗」と返したら「これでも?」とマスクを取って口裂けの顔を見せてくるように、「わたし、だれ?」に「お前は○○だよ」と答えたら何かが起こる、とか。仮説はいくらでも立てられるが、今のところ質問の意図が分からないので何とも言えんが。
最後。やっぱり墓。名無しの墓だ。墓の形をした何も彫られていない石。だが、あそこにある以上は墓なのだろう。これは、なんだ? 俺の記憶が正しければあれは俺の幼少期からあったはずだ。だが、俺が子供の頃に幽霊が出るなんて噂はあったか? 覚えている限りではないはずだ。そもそもそんなおもしろそうなオカルト話に幼少期の俺が食いつかない訳が無い、と思う。たぶん。忘れているだけの可能性も十二分にある。
つまり、現状の大きな疑問は3つ。
①幽霊は何者なのか
②なぜ「わたし、だれ?」なんて奇妙なことを聞いてくるのか
③あの墓はなんなのか
新しく煙草に火をつけて、所々シミの浮いた天井に昇る煙をぼんやりと眺める。自分の口元が緩んでいるのがわかる。まさか自分の地元にこんなおもしろそうなネタが転がっていたとは。決して派手ではなさそうだが、それでも次に載せる小さい記事くらいには使えるだろう。多少脚色したって別に構わない。
田蔵の言ったことが本当か嘘か、夜になればわかる。幽霊が本当に出たなら大儲け、だ。
短くなった煙草をまた灰皿に押し付けて、畳に転がった。い草の香りがする。開けた窓から、煙草の煙と入れ替わるように、虫の声と風が葉を揺らす微かな音が流れ込んでくる。人間がほとんどいない田舎はこんなにも静かだ。静けさは微睡みを誘い、思わず欠伸が出た。
本番は夜。俺は夕飯の時間までひと眠りすることにした。
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