第6話 決着、そして別れ

 金曜日。

 坂宮議員は体育館で、自分の経験を話している。そこに全校生徒が集まり、集中して聞いている。校長先生の話だとどこか気の抜けた様子を見せる彼らだったが、今回ばかりは彼のユーモアのある話し方もあってか、皆が興味津々な様子で聞いていた。

 体育館の隅の窓から、内部の様子をじっと見つめる人物がいた。群衆が注目する中、壇上では国会議員の坂宮が演説を行っている。その人物の目は冷たく、しかしその唇には微かな笑みが浮かんでいた。

 「終わりだ、坂宮……」

 犯人は、懐から小さなリモコンを取り出す。指先がボタンに触れると、犯人はゆっくりとそれを押し込んだ。

 しかし、何も起こらなかった。

 沈黙が続く。壇上の議員は、変わらず未来への熱弁をふるっている。

 「……なっ」

 結城は困惑の色を浮かべ、リモコンを見つめた。その瞬間、背後から静かな声が響いた。

 「爆弾なら、起動しませんよ。電波妨害装置を仕掛けましたからね」

 振り返ると、そこには制服姿の少女――幸乃が立っていた。冷静な瞳が、犯人を真っすぐに見つめている。

 爆弾の写真を撮影し、爆弾に詳しいという山吹の仲間に分析してもらったところ、電波で起動するタイプの爆弾であることが分かった。素人の幸乃に爆弾解体は難しいし、かといって部外者が校内に侵入するのは難しい。そこで彼らは体育館内に電波妨害装置を設置し、爆破を阻止しようとしたのである。上手く行くかは怪しかったが、内心彼らは安心していた。しかし、まだ油断は出来ない。

 「……どうして、私の計画が……」

 「あなたはあの教壇のある場所で、奈桜を襲った。彼女が、仕掛けられた爆弾に気づいたからですよね。学校内で事件が起きたと知られれば、坂宮議員を狙う計画が進行中で、犯人が校内にいると分かってしまう。だからあなたは、奈桜を外へ運び出すことで、事件を隠そうとした……」

 額に、じわりと汗が滲んだ。

 「……違いますか? あの日の放課後にアリバイがなかった……結城先生」

 その名を呼ばれ、副担任である結城の表情が一変する。冷静さを取り繕ってはいたものの、怒りと驚きが混じった目で、幸乃を見つめた。

 「どうして私が犯人だと分かった? あのとき職員室を離れていたのは、私だけじゃない。磯田先生も、風谷先生もいたはずよ」

 幸乃は一歩、前に出る。

 「確かにそうですね。でも磯田先生は、私にこう言いました。奈桜が事件当日、体育館に向かっていた、と。もし彼が犯人だったら、自分が爆弾を仕掛けた場所に奈桜が向かったなんて、絶対に教えないはず。痕跡を必死で隠そうとしていたはずですから」

 「……なるほど」

 「一方の風谷先生は、足の怪我が理由です。バイク事故で足を骨折していて、今でも少し足を引きずってる。でも、真紀さんを襲った通り魔には、そんな特徴は見られませんでした。だから犯人ではないと判断しました」

 「じゃあ……消去法で、私を?」

 「それが、そうでもないんですよね」

 幸乃の声が少しだけ、鋭さを増す。

 「腕ですよ、先生。普段は左利きですよね。でも昨日、理科室で私にドーナツをくれたとき、右手で渡してきた。おかしいと思って観察したら……左手、少し動きが鈍いようでした。体育館で争ったとき、奈桜が抵抗して、利き手を負傷したんじゃないですか?」

 しばしの沈黙。結城は息を詰まらせ、幸乃を見つめ返す。その眼差しには、もはや隠しきれない怒りと焦りが混じっていた。

 そして、彼女はぽつりと口を開いた。

 「……よく分かったわね。そうよ、私がすべてやったの」

 張り詰めた空気の中で、静かに真実が露わになった。






 体育館裏には、誰もいないはずだった。だが、乾いた風の中、二つの影がぴたりと寄り添うように立っていた。

「君は賢い子だね、汐咲さん。委員長としても、よくやってる」

 結城が笑う。その眼差しは、教室で見るものとは違っていた。何かを見透かすような、冷たい光が宿っていた。

「……何が言いたいんですか」

 幸乃は声を震わせないように努めた。制服のポケットの奥、薄い刃の感触が心を強く保たせてくれる。

「確かにあなたは優秀よ。でも、そんな汐咲さんに教えてあげる。知らなくていいことだって、世の中には沢山あるのよ?」

 そのときだった。

「動くな」

 低く、鋭い声が背後から響いた。結城がすばやく振り返る。そこには、スーツ姿の男――山吹が立っていた。険しい顔に、手には拳銃。塾講師としてではなく、公安の捜査官としてここにいることは、誰の目にも明らかだった。

「……公安か。生徒の前で面白い茶番ね」

 結城の顔が歪む。次の瞬間、結城は素早く幸乃を腕で抱えて拘束した。

「動くな。彼女を人質にさせてもらうわ」

「ちょっと、離して!」

 幸乃の声が響く。山吹はじっとこちらを見つめていた。冷静な瞳の奥に、彼女の動きを待っているような気配があった。

「君に手出しはしない。大人しく先生の言う通りにしていれば――」

 だが、結城の言葉は途中で途切れた。

「ふざけないで……」

 小さな声。だが、その声には刃のような鋭さがあった。

「奈桜を……奈桜をあんな目に遭わせておいて……!」

 彼女の手が動いた。ポケットから飛び出した銀のナイフが、夕日の中で光った。

「やめたまえ!」

 山吹が叫ぶより早く、彼女は結城の腕を振り払った。そして、ナイフを結城の胸元へと突き立てようと――

「幸乃、やめろ!」

――声がした。そこに、新たな足音と共に現れたのは翔だった。息を切らし、必死の形相で幸乃に駆け寄る。

「やめろ、幸乃……! そんなことしても、奈桜は喜ばないぞ!そもそも彼女はまだ死んでいない!彼女が元気になっても、君がこんなことをしたら…!」

「でも……!」

「それだけじゃねえ……!オレだってこんなお前の姿を、みたくねえんだ!お前にこんなこと、してほしくないんだ…!」

 その言葉に、幸乃の手からナイフが落ちた。カチン、と乾いた音が体育館裏に響いた。さらに彼女の目から、涙が流れる。

 山吹が近づく。手早く結城を拘束すると、何事もなかったように淡々と言った。

「ここから先は、我々の仕事だ」

「……アンタは、一体……」

 翔が問う。山吹は一瞬、言葉を探したが、首を振る。

「ただの塾講師だよ」

 彼は端的にそう言うと、結城を引き連れて歩き出す。日差しに照らされた背中が、どこか孤独に見えた。

 その場に残されたのは、幸乃と翔、そして足元に転がるナイフだけだった。

「……ありがとう、翔くん」

「……幸乃がそんな顔するの、見たくなかっただけさ」

 翔は泣いている幸乃に手を差し伸べ、幸乃はその手をそっと掴んだ。そして彼女は、涙で濡れた目を閉じた。風が通り過ぎ、彼女の髪をなびかせた。






 病院の屋上には、うっすらと風が吹いていた。ベンチに座った幸乃は、制服の裾をぎゅっと握っていた。あれから、結城は逮捕された。どうやら子供の頃から暗殺者として育てられていたらしい。昔から活動していた割には若いと思っていたが、そういうことだったのかと合点がいった。同時に、彼女に対してどこか哀れみのようなものを感じた。

 もっとも、ほとんどの生徒は彼女の正体を知らない。表向きは体調を崩して休職したことになっているからだ。

「……来てたのか、幸乃」

 背後から声がした。翔だった。

「うん。ここは色々と落ち着くから……」

翔は無言で彼女の隣に座った。しばらく風の音だけが二人の間を流れる。

「……あのとき、本気で刺すつもりだったんだ」

 幸乃が言った。声はかすかに震えていた。

「自分でも、止められなかった。奈桜の顔が、頭から離れなくて……」

「……でも、やらなかった」

 翔は言った。はっきりと、まっすぐに。

「それで十分だよ。幸乃は、ちゃんと選んだ」

「だけど……」

 幸乃は口をつぐんだ。言葉が、重かった。自分がどこに立っているのか、わからなかった。

 同時に、彼女は自覚した。彼に対する意識が、ちょっとだけ変わったような気がすることを。単なるやんちゃな幼なじみから、それ以上の存在に。これが恋というものなのだろうか?恋愛に疎い彼女には分からなかった。

 そのとき、病院の非常口の扉が開いた音がして、車椅子が屋上に現れた。

「よっ……二人とも、揃って真面目な顔してさ」

 声をかけてきたのは、意識を取り戻したばかりの奈桜だった。髪はまだ乱れがちで、顔色も完全ではない。でも、その笑顔は以前と変わらないものだった。

「奈桜……!」

 幸乃が立ち上がる。走り寄って、奈桜の肩を抱くようにして膝をついた。

「お医者さんと話すのが長引いちゃってさ」

「よかった……ほんとに……よかった……!」

「泣かないでよ~」

「ごめんね…私があのとき、ちゃんと奈桜のことを探していたら…」

「ううん…私が巻き込まれたせいで、幸乃に心配かけちゃった。でも、嬉しかった」

「え?」

「幸乃が私を襲った犯人を必死で探って、そして追い詰めた。それだけ私のことを思ってくれていたんだなって」

 一呼吸置いた後、奈桜は続けた。

「私は、あの人に殺されなかった。それだけで十分。幸乃が、私のために怒ってくれたの、ちょっと嬉しかったし」

 沈黙が訪れる。やわらかな風が3人を包み込んでいた。翔がポケットから飴を取り出して、無言で2人に差し出す。

「なにこれ」

「いや、なんか甘いものが要る空気かなって」

「翔、案外気ぃ使えるね」

「案外って言うなよ」

 彼らが小さく笑う。屋上には夕方の光が差し始めていた。

「にしても幸乃、めんどくさくて真面目すぎるけど、結構強いよ」

「それ、褒めてる?」

「たぶん」

 奈桜のツッコミに対し、翔は笑いながら答える。その様子を、幸乃は優しい笑みと共に見ていた。





 数日後。

 幸乃は父と買い物に行き、隣を歩いていた。スーパーの袋には、冷凍の餃子と特売のいちご。のんびりとした会話を交わす父の声が、心地よいBGMのように耳に流れていく。

「……あっちの店、少し見てきていい?シャーペンが壊れちゃって、新たらしいの買いたいなって思っていたところなんだよね。すぐ戻るから」

「おう、迷子になるなよ」

 そう言って笑った父を残し、幸乃はエスカレーターでフロアを降りた。文房具屋の前を過ぎたそのとき、不意に視線がぶつかった。

――山吹だった。スーツではなく、私服だった。薄いグレーのパーカーにジーンズ、どこにでもいるような若い大人の格好。けれど、その目だけは変わっていなかった。

「……先生」

 幸乃は目を見開きながら言った。

「やあ、偶然だね」

 山吹は立ち止まり、穏やかに微笑んだ。公安としての仮面ではない、本当の山吹の顔。それが、少しだけ寂しげに見えた。

「塾……やめちゃったんですね」

 事件の翌日、幸乃が塾に行くと、山吹が突然辞めた旨を塾長から告げられた。別れの挨拶すら交わしていないことを後悔した反面、

「まあ、元々一時的な仮の身分だったからな」

「……そうだったんですね。ただ、ちゃんと……ありがとうって言いたかったんです。正直、怖いと感じたことも、一度や二度ではありませんでした。それでも先生のおかげで、学校を、皆を助けることが出来ました。本当に、ありがとうございます」

 そう言うと幸乃は頭を下げた。

「お礼を言いたいのは俺の方だ。真紀の敵を取れたのは、間違いなく君のおかげだ」

 山吹は顔をゆるめた。そして少し照れくさそうな表情をしながら、口を開いた。

「これからは、もう会えないと思うが…頑張れよ」

「……はい」

 そう言って、彼は人混みの中に消えていった。幸乃はその背中を見送りながら、ひとつ息をついた。その背には、未練も迷いもなかった。ただ、確かな一歩だけがあった。

 数分後、シャーペンを買い、父の元に戻った幸乃は、何も言わずに横に立った。

「お、迷子にならずに済んだか。ちゃんと欲しいモンは買えたか?」

「うん、何とかね。あと、会いたい人に会えて、スッキリした」

「え?」

「ううん。何でもない」

 父が首をかしげるのを横目に、幸乃はそっと笑った。

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委員長の推理日誌 ~2つの顔を持つ少女~ 朝明蓮 @ren-morning

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