第5話 仮面の学校
「なるほど…。空き地で襲われたと思われていた君の友達は、本当は学校にある体育館で襲われ、その後あそこに運ばれたのか」
低く、どこか喉の奥に重みを残すような声で、公安の山吹が言った。2人は塾を終えた後、情報共有のためにカラオケルームで密会することとなった。
「ええ。つまり犯人は、犯行現場を隠したかったんです。そうでなければ、わざわざ遺体を動かすなんてことはしないでしょう。学校が犯行現場であることを知られて困るのは——そう、先生や生徒、つまり学校関係者しか考えられない」
幸乃は、制服のスカートを指でいじりながらも、その瞳だけは鋭く、揺るがなかった。中学生とは思えぬ落ち着いた声色に、山吹は目を細める。
「確かに、な。……君の推理は、理屈が通っている」
「それだけではありません。体育館の演台の下に、何か黒っぽいものが仕掛けられていました」
山吹の眉がわずかに動いた。
「黒っぽい物、だと?」
「はい。黒くて、四角い、そしてどこか禍々しい代物でした。明後日、坂宮議員の特別授業が体育館で開催される。そのことを考えれば、自然と答えは一つに絞られます」
彼の沈黙が数秒。カラオケルーム内に流れるVTRが大音量で空しく響いていた。
「……爆弾、か」
「ええ。これを仕掛けているところを、偶然落とし物を探しに来た奈桜が目撃してしまった。だから犯人は彼女を襲ったんです」
山吹は深く息を吐いた。その目に、いつもの冷静さとは違う緊張がにじんでいる。
「……上手いことを考えたもんだ」
「え?」
幸乃が首を傾げる。
山吹はポケットから煙草の箱を取り出し、それを指で弄ぶだけで火はつけなかった。
「ちょっと、ここは禁煙ですよ」
「分かってる。彼のような国会議員はガードが固い。公の場では常に警備がつく。何年か前、彼は選挙演説中に暴漢に襲われたこともあったな。以来、より一層用心深くなった。だが——」
煙草の箱をしまい、彼は再び空を仰ぐ。
「学校という空間では、逆に気が緩む。街中の演説と違って、入ってくるのは基本的に限られた関係者だけだ。しかも子供たちが多い。子供に命を狙われるとは、普通考えない」
幸乃の目が光を帯びる。
「つまり、無意識のうちに隙が生まれる、と」
「ああ。過去に彼が出身高校の野球チームを激励に行ったときも、警備なしでふらっと来た。物々しい空気が嫌いなんだろう。今回はそこを突かれた」
小さく息を呑んだ幸乃が、視線を地面に落とす。
「……でも、どうするんですか?私は爆弾の解除なんてできませんし、かといって外部の大人が学校に入れば、余計に怪しまれてしまう」
その問いに、山吹はしばしの沈黙の後、ぽつりと応えた。
「爆弾については、私の方で策を考える。専門の技術班を極秘で動かすことになるだろう。……だから君には、学校内に怪しい人間がいないか、引き続き探ってもらいたい」
「怪しい、人間ですか」
「ああ。俺が考えるに、犯人の条件は二つ。一つ目は午後六時ごろ、アリバイのないことだ」
「アリバイ、ですか」
「ああ。彼女が襲われたのは放課後、それも生徒の多くが帰ったあたりの時間だろう。それが大体午後六時頃だったはずだ。
きっと犯人だって、学校内が現場であること、そして学校関係者が犯人だと疑われているのは想定外のはずだろう。いや、俺達が学校を探っていることにすら、気づいていないかもしれない。だから犯人側がアリバイを偽装しているとは考えにくいんだ」
「確かに…」
幸乃は深く頷いた。
「二つ目は車で通勤していることだ」
「車で、ですか?」
「いくら被害者が小柄な少女とはいえ、普通に持って運ぶわけにはいかないだろう。いくら人通りが少ないとはいえ、学校から例の空き地までは距離もあるから、目撃されるリスクも高い」
「これらの条件を鑑みると、犯人は先生…ということになりますよね?」
生徒の中に怪しい人間がいるわけがない。
藁にもすがるような思いで、彼女はそう信じたかった。しかし山吹はそれを一刀両断するかのように続けた。
「…いや、生徒も完全には信用するな。協力者として動いていたり、知らず知らずのうちに奴の手駒になっていたりする可能性もある。僅かだが、犯人に何かの用事が入って身動きの取れない間に、協力者の生徒が行動を起こした、なんて可能性もあるからな」
「わかりました」
幸乃の返事は、短く、だが強かった。
反面、先生だけでなく同級生も疑わないといけないことに、心苦しさを感じていた。
翌日、学校にて。
周りの生徒や教師の様子は普通である。だが幸乃は疑心暗鬼に陥っていた。何食わぬ顔して、悪事を企んでいる人がこの中にいるかもしれない。その仮面の下に、恐ろしい素顔を隠している人がいるかもしれない。
しかし不安になってばかりもいられない。幸乃は早速、容疑者の一人である風谷に鎌をかけてみることとした。
「風谷先生、すみません。ちょっと聞きたいことがあるんですけど…」
幸乃の声は思ったよりも硬かった。緊張と、わずかな警戒心がその眉間に浮かんでいる。
「どうか、したのかい?」
眼鏡を上げながら風谷が振り向く。穏やかな笑顔。けれど、その裏に何があるかまでは読み取れない。
「一昨日の放課後って、確か職員会議があったんですよね?」
「う、うん」
わずかに間を置いたその返答。幸乃の目が細くなる。
「そのときに出席していなかった先生、もしくは途中で離席した先生はいらっしゃいませんでしたか?」
「そうだなあ……」
風谷が腕を組んで思い出すように天井を仰ぐ。
「確か磯田先生と結城先生は、出席していなかったと思う」
「磯田先生と、結城先生が?」
「ああ。磯田先生は部活の生徒と大事な面談があるって言っていたな。結城先生は急ぎの事務仕事があるって言ってた気がする」
「そう、ですか…」
幸乃は胸を撫で下ろした。磯田から聞いた内容と一致している。少なくとも今のところは、彼が本当のことを言っているとみて間違いなさそうだと考えた。
「あと…正直なこと言うと、僕も途中退席したんだよね」
その一言で、空気がぴんと張り詰めた。
「え?」
「途中でお腹痛くなってさ、5分くらいだけトイレに行っていたんだよ」
風谷は苦笑しながら頭をかく。だが幸乃の視線は、先ほどよりも冷たく鋭い。
「そ、そうですか…。そのとき、怪しい人とかは見ませんでした?」
「いいや、見ていないよ」
風谷先生にも、一昨日の放課後のアリバイはない。つまり、担任である彼も容疑者の一人であるということだ。
幸乃は軽く口元を引き結んだ。心の奥に渦巻く疑念を抑え込みながら。
「どうした、幸乃?」
「少し…お話がありまして」
幸乃は先日も会話した体育教諭の磯田に質問した。どこかに向かっていたようだが、磯田は一旦足を止めた。どこか疲れたような目で、幸乃を見つめている。
「一昨日の放課後、怪しい人影を学校内で見たりはしませんでしたか?」
「いいや、見ていないが。ただ強いて言うとすれば、体育館近くのトイレで用を足していたとき、体育館の方から物音が聞こえた気がするな」
訝しげな表情を見せつつも、磯田は答えた。
「物音、ですか?」
「ああ。まあすぐにやんだから、気にせず戻ったけどな」
「そうですか…。ところで、昨日は教室で面談をしていたとおっしゃっていましたが、どなたとだったんですか?」
できるだけ自然に、幸乃は言葉を紡いだ。しかし胸の奥では警鐘が鳴っていた。先ほどの風谷の言葉との矛盾は特になかったとはいえ、磯田が嘘のアリバイを作っているかもしれない。そう思わずにはいられなかった。
「ごめんなさい、変なことを聞いてしまって。忘れてください」
問いかけの直後、空気がわずかに凍った気がした。幸乃は、磯田の顔色を伺いながら慌てて取り繕った。何か、触れてはいけないものに触れてしまった気がしたのだ。
磯田は小さくため息をついた。
「……中一の田中くんだよ。知っているだろ?」
「え、ええ」
幸乃の脳裏に、田中の姿が浮かんだ。バスケ部の期待のホープ。だが、確か数週間前に足を怪我して入院していたはずだ。
磯田は続けた。
「彼と面談していたんだ。足の怪我が回復したけど、部活に復帰するかどうかって話をしていた」
「そう、だったんですね」
「……なんで、こんなこと聞くんだ?」
磯田の声に、少し棘が混じっていた。鋭くもなく、ただ、警戒するような気配が漂う。
「いえ…ちょっと」
これ以上深入りすれば、気づかれる。奈桜を襲った犯人は学校内にいる——それを悟られれば、こちらが危険になるかもしれない。
磯田は一瞬、幸乃の目をまっすぐに見たあと、視線を逸らすようにして言った。
「そうか……怪我といえば、お前の担任の風谷先生も、大丈夫なのか?」
「ええ、まあ。まだ少し足を引きずっているみたいですが、日常生活に大きな支障はないみたいです」
「そうか。それはよかった。じゃあ俺は朝から授業の準備があるから、ここを離れるぞ」
磯田の言葉には、心からの安堵とも、ただの形式的な同情とも取れぬ曖昧な響きがあった。
この人は、味方なのか。それとも——。
幸乃は胸の奥で疑問を飲み込みながら、静かに彼の背中を見送った。
放課後の校舎は静まり返っていた。夕暮れが差し込む廊下に足音が響くたび、幸乃の心臓が小さく跳ねる。理科棟の最奥、実験室の前で立ち止まり、軽くノックすると、中から椅子のきしむ音が返ってきた。
「どうぞ」
やわらかくも芯のある声。幸乃が扉を開けると、そこには白衣姿の結城先生がいた。実験器具の間に置かれた簡易デスクの上には、教務書類が山のように積まれている。
「一昨日の放課後、どこにいらっしゃったか、お聞きしてもいいですか?」
言いながら、幸乃はなるべく自然に問いかけたつもりだった。しかし、自分でも声がわずかに震えていたことに気づく。結城は書類に視線を落としたまま、肩だけで笑った。
「一昨日の放課後、どこにいたのかって?……それは、ここよ」
そう言って、少し顎をしゃくるようにして実験室全体を示す。
「実験室……ですか?」
「ええ。あそこにいると集中できるの。だから、事務仕事がたまってるときなんかは、ここで缶詰になるのよ。……悪い?」
幸乃は首を小さく振った。
「いえ、そういうわけでは……」
こういうとき、もっと自然に聞き出せたらと、自分の能力のなさに小さく嘆きながら、幸乃は恐る恐る言葉を続けた。
「そのとき、不審な人物とか……見かけませんでしたか?」
「さあ……見てないけど」
あっさりとした答え。嘘をついているようには見えないが、だからこそ踏み込むのが怖かった。
「で、ですよね……」
沈黙が落ちる。実験室の時計の音がやけに大きく響いた。そのとき、不意に結城が顔を上げた。
「……もしかして、芽吹さんの件と関係してるの?」
鋭くも柔らかな眼差しが、幸乃を射抜いた。
「い、いえ……」
思わず視線をそらす。声が裏返ってしまったのが情けない。結城は一瞬だけ何かを考えるように目を伏せたあと、ふっと笑い、引き出しから小さな包みを取り出した。
「あの事件はここから離れた住宅街で起こったんでしょ?この学校で聞き込みしても意味ないと思うわ。まあ……彼女のことで、あなたも参ってるでしょうしね。……これ、どうぞ」
右手から差し出されたのは、小さな紙袋に入ったドーナツだった。ほのかに甘い香りが漂う。
「内心、だいぶ参ってそうだから。たまには糖分、取った方がいいわよ」
そして、いたずらっぽく片目をつぶる。
「あ、ちなみに“学校にお菓子持ち込み禁止”とか、そういう無粋なことは言わないでね?」
幸乃は一瞬、言葉を失ったが、やがて小さく頷いた。
「は、はあ……」
渋々といったふうを装いながらも、温かい手触りの包みを受け取る。ほんの少しだけ、緊張がゆるむのを感じた。
先生は、何かを隠している? それとも……。疑念は、ドーナツの甘い匂いにもかき消されず、幸乃の胸の奥に、じっと残り続けていた。しかしこれ以上探る余地はないと感じた彼女は、理科室を後にした。
理科室の扉を静かに引き、幸乃は廊下へ出た。放課後の日差しが、窓から差し込んで床に伸びる。今日の授業が終わり、人気のない廊下には、時間が止まったような静けさがあった。
だが、その静寂を破るように、彼女の前に立つ影があった。
「幸乃」
その声に、心臓が一つ跳ねた。翔だった。教室ではいつも騒がしい彼が、今は真剣な目をして彼女を見つめている。
「お前、何かあったのか?」
幸乃は一瞬だけ言葉に詰まり、それから微笑んだ。努めて、何もないふりをする。
「ううん、何もないよ」
平静を装った声が、どこかぎこちない。翔の目が細くなる。
「な……何か知ってて、それを隠してるのか?もしかして、奈桜の件と何か関係があるのか?」
その名前を出され、幸乃の肩が小さく震えた。通り魔事件――奈桜が傷つけられた、あの夜。真相を探る中で、幸乃は薄々感じていた。犯人は――この学校にいるかもしれないと。だが、それを翔に言うわけにはいかなかった。
「何も関係ないよ」
「ほんとのことを言ってくれ!何か、あんのか?」
翔の声が一段強くなる。心配というより、今は何かを確かめるような、そんな強さだった。
「何でもないわよ!」
声を張ったのは、幸乃自身だった。自分でも驚くほどの声量に、唇を噛む。翔の顔に、たしかに傷ついた色が浮かぶのが見えた。だからこそ、これ以上ここにはいられなかった。
幸乃は翔の前をすり抜けるように走り去る。後ろから呼び止める声が聞こえた気がしたが、耳をふさぐようにただ前だけを見ていた。
胸の中には、申し訳なさが渦巻いていた。
翔は、心配してくれている。それは分かっている。でも――彼に話していいことじゃない。話した瞬間、何かが壊れてしまう気がする。
そして同時に、心の片隅に浮かぶ小さな疑念。
――もしかして、翔の行動には、何か裏があるのではないか?
幼馴染を疑うその考えに、自分で驚く。でも、あの目の真剣さも、問い詰めるような強さも、どこか不自然だった。
幸乃は、理科準備室の窓に映った自分の顔を見つめる。
何が真実で、誰が味方で、誰が敵なのか。
その境界は、すでに曖昧になりかけていた――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます