第七章 邂逅(かいこう)の森

🪭1. 邂逅の舞】

 鴉の口を借りて発せられた古風でそしてどこまでも物悲しい問いかけ。

 静は恐怖のあまり声も出せずただ後ずさることしかできなかった。

 目の前に立つ異形の鎧武者。

 その存在そのものが放つ圧倒的な威圧感と八百年という気の遠くなるような時間の重みが静の思考を完全に麻痺させていた。

 その怯えた様子が怨嗟の躯の気に障ったのか、あるいは静が纏う生者のそのあまりに無垢な匂いが彼の永い孤独を苛んだのか。

 怨嗟の躯がゆっくりとその右腕を上げた。

 黒く変色しまるで枯れ木の枝のように伸びた指先が静の心臓を正確に捉えている。

 肩に止まった鴉が再びその嘴を開いた。


『…答えぬか…ならば…その身をもって…知るがよい…』


『…我を…この永き眠りより…覚ました…その咎を…』


 声と同時に怨嗟の躯がその巨体に見合わぬ速さで静へと踏み込んできた。

 木の根に覆われた腕が静の喉元を目がけてまっすぐに伸ばされる。

 死。静の脳裏にその一文字が浮かんだ。

 その時だった。

 恐怖の絶頂で、静の身体が思考よりも先に動く。

 咄嗟にポケットからスマートフォンを取り出すと、それをまるで扇子のように右手でしなやかに構えたのだ。

 そして無意識のうちにその足は舞の型を踏み出していた。

 ギケイ流。祖母からそして母からその身体に叩き込まれた白拍子の舞。

 怨嗟の躯の剛腕が静の顔面を薙ごうとする。

 静は身体を独楽のように回転させその攻撃を紙一重でかわす。

 その回転に合わせて静が手にしたスマートフォンの画面がふっと点灯し、その冷たい光が暗闇の中に円形の美しい光の軌跡を描き出す。

 それはギケイ流の守りの型「円舞(えんぶ)」の基本の動きだった。

 次いで足元を払うように伸びてくる木の根の追撃。

 静は朱鷺が舞う姿を思い出しながら摺り足のような滑らかな運びで軽やかに宙へと跳躍する。

 その跳躍の頂点で彼女はスマートフォンを天へと突き上げた。

 画面の光が今度は縦に鋭い一閃の光の柱を描き出す。

 それは魔を断ち切るという破魔の型「天衝(てんしょう)」の構え。

 滞空する一瞬その姿はかつてこの奥州の空を舞ったという朱鷺の気高い羽ばたきにも似ていた。

 だが相手は八百年の怨念の塊。

 単なる体術だけで凌ぎきれるものではない。

 着地した瞬間、怨嗟の躯の本体が回避不能の間合いにまで迫っていた。

 その時、静の身体から淡いしかし純粋な光の奔流がほとばしり怨嗟の躯を激しく打ち据えたのだ。


「グォッ…!?」


 肩に止まった鴉の口から初めて声にならない苦悶の音が漏れた。

 それはもはや代弁ではない。怨嗟の躯の魂の痛みが直接鴉の声帯を震わせているかのようだった。

 静の舞がついにその力の片鱗を顕現させた瞬間だった。

 光に弾かれ怨嗟の躯は数歩後ずさる。

 そしてその体から黒い霧のようなものがまるで引き剥がされるようにして噴き出した。

 霧は一瞬苦しむように空中で蠢いたかと思うとまるで磁石に吸い寄せられるかのように一直線に舞を終えて呆然と立ち尽くす静のその手の中のスマートフォンへと吸い込まれていった。

 スマートフォンは一度ひときわ強い光を放った後ぷつりと画面を落とし、ただの冷たい機械の塊へと戻った。

 怨嗟の躯はよろめきながらも再び静を睨めつけた。

 だがその動きは先ほどよりも明らかに鈍い。

 魂のそれも重要な一部分を失ったかのようにその威圧感は削がれていた。

 肩に止まった鴉が混乱したように羽をばたつかせ甲高い声で鳴いた。

 その声はもはや古風な男の声ではない。

 ただの鳥のけたたましい鳴き声だけだった。

 怨嗟の躯は再び静に近づこうとするがその足取りは重い。


【🪭2. 目撃者】

 その全ての光景を森の闇の奥、古びた祠から少し離れた年経た木瓜もっこうの木の陰で一人の少女が息を殺してそのスマートフォンの画面越しに記録していた。

 河田映身だ。

 彼女はアプリの「神託」に従い仲間たちと共にこの森へ来ていた。だが儀式を始める直前言い知れぬ胸騒ぎを覚え一人だけ仲間たちから離れこの祠の様子を窺いに来てしまったのだ。

 そして見てしまった。

 地面が割れ木の繭が現れそしてその中から異形の鎧武者が姿を現すおぞましい光景の全てを。


 これがアプリが言っていた「古き悪しきあやかし」…!


 そしてその後繰り広げられた信じがたい光景。

 あやかしが転校生の藤沢静を襲う。

 しかし静はスマホを扇子のように操り信じがたい動きでそれをかわし逆に光を放ってあやかしを退ける。

 そして何か黒いものがあやかしから飛び出し静のスマートフォンに吸い込まれていく…。

 何が何だか分からない。だが一つだけ確かなことがある。


 アプリが言っていた通りあの鎧武者は「悪しきあやかし」だ。


 そしてそれを目覚めさせたのはあの転校生の少女に違いない。

 映身は恐怖で凍りつきそうになる身体を必死で抑えながら録画を停止し音を立てぬようゆっくりと後ずさり森の闇の中へとその姿を消した。仲間たちにそして「声」の主にこの恐るべき事実を報告するために。


【🪭3. 静寂の終焉】

 森の木々の間から鋭い声が響き渡った。


「そこまでよ!」


 声と同時に強烈な光の束が一直線に森の闇を切り裂いた。

 光の源から姿を現したのは息を切りらしながらもその瞳に鋭い光を宿した祖母の藤沢朱鷺だった。

 その手には白木の杖、そしてもう片方の手にはずっしりとした金属製の筒…高輝度の大型懐中電灯マグライトが握られていた。

 強烈な光に照らし出され怨嗟の躯は忌々しげにしかし明確な警戒心をもって朱鷺と対峙していた。

 肩に止まった鴉が朱鷺に向けて威嚇の声を上げる。

 だがその声は先ほどまでの気品のある男の声ではない。


 ただ「カァッ、カァッ!」という獣の威嚇の声だけが虚しく森に響いた。


 怨嗟の躯は声の出ない喉で何かを言おうとしているかのように苦しげにその首のない兜を揺らしている。


『…小娘…ソシテ…その女…』


『…今宵…ハ…これまで…ト…シテ…オク…』


『…だが…忘れるな…ワレ…は…必ず…戻ル…』


 その言葉はもはや鴉の口から発せられてはいなかった。

 それは怨嗟の躯の魂から直接その場にいる静と朱鷺の脳裏に叩きつけられる「」だった。

 そう言い残した瞬間怨嗟の躯の動きが一変した。

 その巨体はふっと重力を失ったかのように軽くなる。

 そして木の根に覆われた脚が音もなく地面を蹴った。

 それは跳躍というよりも飛翔に近かった。

 怨嗟の躯は近くの樫の木の太い幹を足場にさらに高く森の天蓋へと向かって跳ね上がる。

 その身のこなしはかつて壇ノ浦で船から船へと飛び移ったという伝説の「八艘飛び」を彷彿とさせた。

 おびただしい数の鴉たちもまた一斉に音もなく翼を広げた。

 彼らは闇の中を舞い上がる主君の後を追うように一つの巨大な黒い渦となって天蓋へと殺到する。

 その様はまるで怨嗟の躯が、無数の鴉の翼を得て伝説の鴉天狗そのものへと変貌したかのようだった。

 やがて森には再び不気味なほどの静寂が戻ってきた。

(第七章 完)

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