第7話 盗賊A見逃される




「クロノ、後ろに下がれ」


「キー!」




振り返ると、黒髪の青年が、薄く笑いながら立っていた。

あのとき──胸を突かれ、死んで、勝手に名を付けられたあの男だ。

陽だまりのような笑顔と、意図の読み切れない穏やかな目つきが、変わらずそこにある。



「──てめぇ」


俺の声に、青年は肩をすくめるだけで、驚きもしなかった。


「覚えててくれたんだ。嬉しいな。ロク?」


彼が俺を見る目には、いたずらっぽさと淡い好奇心だけが混じっている。

だが、その背後に並ぶものを見た瞬間、冷や汗が背筋を伝った。


鎧を纏った兵士が数十。だがそれは普通の兵士ではない。目は虚ろで、動きは均質、まるで糸で操られた人形だ。

肩に残る血や泥の跡ひとつ残さず整然と並んでいる様は、恐ろしく人工的だった。


「驚いた? こいつら、僕のスキルで【作成】してるんだよ。便利でしょ?」


青年はぽんと胸を叩いてみせ、続けた。



「ロク?君は君で頑張ってるみたいだけど僕はあの【帝国】を支配しちゃったんだよ?」





その言葉は冗談めいているが、口元の笑みが全く冗談でないことを示していた。隣町を【支配した】──この世界では、それは単なる与太話ではない。



帝国を落として支配する……?



頭の中でゲームの知識が整理される。まさかこいつは‥そうか!

この場所の近くはある【イベント】が行われる近く。そうなるとコイツはその時に前帝王を…




「帝王、か……」



思わず漏らした言葉に、彼は軽くうなずいてみせる。



「ふふ、そうだよ。帝王って響き、いいよね。面倒な手続きも必要だったけど、僕にはちょろかったなあ?それに君は【帝王】って職業わかってるんだねえ?


やっぱり生かして正解だったね?」



俺の視線は自然と自分の胸元へ、そして足元のクロノへ移る。

クロノは小さく体を震わせながらも、俺の影に寄り添っている。

青年はそれを見て、眉をわずかに寄せた。



「で、君は今なんのクラスだっけ? 確か、盗賊……だったかな?この近くに【クラスチェンジ】出来る神殿はないよね?



それに君くらいじゃまたクラスチェンジ出来るぐらい成長してないでしょ?」



その一言で俺を見下してるのが分かり胸の奥に何かが疼く。俺とお前では違うのだと見透かされているようで腹が立った。



「盗賊だったけど今は……その、じゃあテイマーってところかな‥でもそのモンスターは‥んー、考えても分からないや!」



言葉を濁しながら青年は軽く片目を細めた。


彼の脳内で何かが計算されるのがわかる。



「でも職業は盗賊なんだよね‥今の僕じゃ君のスキルとかは分からないし……でも、まあいいや」



どうやら青年は俺のステータスを確認したんだろう。

ほんの短い間、彼の表情に興味がちらついた。テイムの存在は明らかに彼の好奇心を刺激したはずだ。

だがすぐに肩をすくめ、先刻と同じ無邪気な笑いを取り戻す。



「あ、君をどうこうするつもりはないよ?暇つぶしに生かしておいたこと、覚えてるでしょ? 今回は見逃してあげる。だけど──」


その「だけど」の先に含まれる脅しは明白だった。彼が振り返れば、整然とした兵士たちの列がじっと俺たちを見下ろしている。



「僕の邪魔をしたら面白くない結末にするからね?」



言葉は軽いが、刃物のように冷たい。彼は再び歩き出す。従属した兵士らも、主人に従うようにその場を離れた。振り返ることなく、彼は連れだっていく。最後に短く、けれどはっきりと告げた。


「また会おう、ロク。君の成長、楽しみにしてるよ?



あ、そうそう!それと僕の名前は【アルタイル】だよ?ちゃんと覚えててね?」






「……行ったな」


張り詰めていた呼吸を、ゆっくりと吐き出す。緊張で強張っていた肩が、ようやく元に戻っていくのが分かった。

背中で小さく鳴いたクロノが、俺の足元に顔を埋めてくる。あいつなりに恐怖をこらえていたのだろう。


「キー……」


「……ああ、怖かったな。お前もよく耐えた」


撫でると、クロノは目を細め、かすかに尻尾を揺らした。

だが、俺の心は落ち着くどころか、逆に波立っていた。さっきの光景が、何度も脳裏に焼き付いて離れない。



──帝国を支配した。

──帝王という職業を得た。

──俺を見逃した。



「……ふざけんなよ」


誰にともなく、吐き捨てた。

あいつは‥アルタイルは俺と同じ廃プレーヤーだった奴だろう。

だが、まさかもう帝王にまでなっているとは……。


見逃した、というより、眼中にないとでも言うような態度でいたが実質そうなのだろうな。




「‥くそが!」




悔しさと、得体の知れない不安が胸を締め付ける。

アルタイルは、確かに俺を“観察していた”。好奇心で覗き込み、興味を持ち、そして「今はいいや」と棚上げした。まるで、手持ちのコマが揃うまで保留にしておくような感覚で。



「ロク、どうする……?」


頭の中に、自分でも認めたくない声が響いた。

逃げるか、戦うか──そんな単純な選択肢じゃない。

アルタイルは一国の兵に匹敵する数の“兵士”を、あの短期間で作り上げた。しかも隣町を落とし、帝王になっている。下手に刺激すれば、一瞬で踏み潰されるのは俺の方だ。



今は、動くな……



無理に突っかかる時じゃない。

だが、ただ怯えて縮こまるつもりもなかった。

アルタイルが見逃したのは結局は俺が成長すればアイツにも旨味がある。俺の得た経験値や金銭、それがアイツの手元にも来るようなシステムだからだ。





「クロノ……行くぞ」


「キー!」


夜空を見上げる。アルタイルが向かった方角の先に、かつて俺が旅の途中で見かけた隣町‥帝国の城壁があるはずだった。

今はもう、あいつの支配下にある──。



握りしめた拳の中で、爪が食い込んだ。血の生温かさが、逆に心を冷静にしてくれる。


(いいさ……見てろ、アルタイル。今に──)


俺はクロノとともにその場を離れアルタイルに追いつく為の次の一手を獲得しに向かうのだった。

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