第6話 贅沢な悩み
薬品棚の在庫を確認しながら足りない物は紙に書いてメモを取る。
医務室の棚にある薬でよく使用されるのは傷薬、それから胃腸薬、そして解熱鎮痛薬。フリザード魔法学園の医務室には非常に沢山の種類の薬が置いてあり、中には幻覚剤や飲んで気持ちよくなる系の薬もあるので、必要か?と毎回聞きたくなるがそっと棚に戻しておく。
減っていない所を見ると実際必要ないのだろう。
「終わ──っと」
セシルは医務室に繋がるドアを開けかけてアイスバーグの他に人がいる事に気付いた。
医者の前に座っているのは親しくなろうと押しかけた女生徒ではない。
セシルの良く知った顔。
リディアだ。
「先生。絶対わたし、病気なんだと思う」
真剣な顔で真っ直ぐ見つめられ、アイスバーグは困ったように微笑んだ。
なんだか面白そうなのでそのまま黙って立ち聞きすることにする。
「う~ん。病気ではないと思うよ」
「だって!痛かったし、いきなりこんなに大きくなるのってやっぱりおかしい。みんなもっとゆっくり大きくなるんでしょ?」
どうやら今の悩みは大きく育ち過ぎた胸にあるらしい。
つい最近まで悩みが幼児体型だったくせに、逆に大きくなりすぎて持て余してしまっているようだ。
贅沢な悩みである。
さてアイスバーグがどうリディアを納得させるのか見ものだなとセシルはほくそ笑む。
「そうだね。確かに殆どの子はゆっくり育つけど、テミラーナくんは止まっていた成長がいきなり始まって急激に大きくなったんだろうね」
「本当に病気じゃないの?」
リディアは自分の胸を見下ろして残念そうに確認する。
病気であったなら治ると思っている様子にアイスバーグが苦笑した。
「悩むほどの大きさではないと思うよ。テミラーナくんの年齢でそれくらいの大きさの子は他にもいるし。今までの状態の方が異常だったんだから。それが本来あるべき姿なんだよ。そのうちに慣れるから」
「むー。先生、診ても触ってもいないのに病気じゃないなんてどうしていえるの?」
「え?」
「ちゃんと診て触って判断して」
「あのねぇ」
どうやら失敗したらしい。
蟀谷を押えてアイスバーグが言葉を探しあぐねている姿に笑いを堪え切れずにセシルはドアを開けて「降参!もうリディア。やっぱりおもしろいや」と出て行く。
きょとんとした顔のリディアが直ぐに赤くなり「いつからいたの!」と叫ぶ。
「最初からかな?」
「ひどい。わたしは真剣にアイスバーグ先生に相談してたのに!面白いとか」
「だって。見て触ってから判断してって、アイスバーグに気があるのなら迫り方としては間違ってないけど。絶対リディアは違うでしょ?」
「わたしは変な意味でいったんじゃなくて、診察して下さいってお願いしてただけだよ」
滅相も無いと首を振り否定するが、微妙にズレているリディアの言動は相手が異性であれば言質を取ったとみなされてなにをされても文句はいえない。
だから自覚が足りないといっているのに。
男心の繊細な機微など理解できるほど経験も知識も無いのだから仕方が無いのかもしれない。
「アイスバーグとしては明らかに病気じゃない女子の胸を堂々と見るわけにはいかないってば」
「テミラーナくんが見た感じ、どこか他の人と違う部分があるのかな?」
「違う部分?」
「例えば形とか色とか、なにかでき物ができているとか」
「他の人のあんまり見たことないから解らない。そうだ。セシル見せてくれる?」
「なんで?」
突然の見せて発言に面食らい身を引くと、リディアは頬を膨らませて「だって」と理由を述べる。
「ケインさんには見せたんでしょ?それに減るもんじゃないからっていってたじゃない」
「えー。いやだよ。タダで見せるなんて」
確かに減る物ではないが、見せてくれといわれてどうぞと答える方がどうかしているだろう。
見せてなにか得することがあるのなら別だが、それ以外で請われる度に見せていたのではただの変態である。
「お金出したら見せてくれるの?」
「金額によるかな。じゃあ、あたしに見せたらいいよ。リディアが」
「どうして?」
「あたしは寮に住んでて色んな女子の胸を、もう目が腐るほど見せられたから」
なるべく人の少ない時間帯を見計らって行くのだが、女は長風呂でなかなか上がって行かない。
端っこの方で身体と髪を洗って湯船には浸からずにさっさと出ても、脱衣所に下着も着けずに歩き回っている女子もいるので見たくなくても目に入ってくる。
「あ。そうか。寮はみんな同じお風呂だもんね。じゃあセシルに見てもらえばわたしの胸が他の人と一緒かどうか解るかも」
じゃあとその場でワンピースのボタンを外し始めたので、笑いながら止めさせる。アイスバーグがコホンと咳払いをしたので、ようやくリディアが気付いて立ち上がった。
「奥のベッドを使って。ちゃんとカーテンは引いてね」
「開けっ放しじゃここで見せてもらうのと変わんないよ」
「だからだよ」
リディアの身体の変化が異常ではないのだと納得させるにはセシルが見て問題ないと教える必要がある。
アイスバーグが確認して大丈夫だといった方が安心するのだろうが、病気ではない女の胸を見ることがドライノスに対しての裏切り行為になるとでも思っているのか。
「まったくややこしい」
一番奥のベッドへリディアの背中を押して入れ、カーテンを引いてセシルはベッドの端に腰かけた。
「胸が大きくなったって喜べばいいのに、悩んでどうするのさ」
「今まで話したことない男の子が馴れ馴れしく話しかけて来たり、なんか気持ちが悪い目でジロジロ見て来たりするの。女の子は嫌味をいってくるし、冷たい目で睨んでくるし。こんなことなら前の方がよかった。クラスだってセシルとノアールは同じなのに、わたしだけ離れて」
ポロリとこぼれた涙を手の甲で拭ってからボタンを外し、また流れた涙を今度は腕で擦ってボタンを外す。
どうやら悩み事は胸だけではないらしい。
「リディアが可愛くなったから男子は仲良くなりたいって思って近づいてくる。それを見て女子は僻んでるだけ。ノアールと仲良くなって直ぐの頃の女子と一緒だよ」
「違う。みんなが見てるのはわたしじゃなくて、胸なんだもん。そこにはわたしの顔なんかないのに。そこばっか見る!」
白い衿の付いたワンピースの胸元をぐいっと広げて忌々しげにリディアは見下ろす。前は無かった深い谷間に恨みでもあるかのようだ。
いや、あるのだろう。
「リディア落ち着いて。いうほど大きくないから。大きい人なら他にも沢山いる。例えば三年のコーネリアとか、四年のリンダなんかは針刺したら破裂するんじゃないかってぐらいだし。二年で言ったらフラニーはすごいよ。靴紐を結ぼうとしたら胸が邪魔で後ろにひっくり返ったって話もあるし」
今まで無かったものがあるからみんなが注目しているだけだ。
ただ同じ年頃の女子の平均よりは大きいが。
「解ってる。物珍しくてみんなが見てることくらい」
「すぐにみんな飽きるよ」
「早くわたしのことなんか忘れて欲しいよ」
赤くなった目を擦ってリディアはすんっと洟を啜る。
きっと時間が経っても十代の男からは変わらず好奇心と邪な目で見られるのだろうが、今はそのことは黙っておく。
吸いついてきそうな肌理の細かい肌と、柔らかな肉の盛り上がりが広げられたワンピースの胸元から覗いている。
セシルは手を伸ばして肌着を避け、その下にある胸を覆っている下着を除けた。
「やっぱり、わたし、変なのかな?」
真っ白い肌の下には青い血管が透けて見える。
大きい割には綺麗な椀型をしている胸と綺麗で可愛らしい先端がついている――どの少女の物とも同じ物。
「変だね」
「え!?」
青くなった少女にセシルは真面目な顔で頷いて見せる。
「みんなと同じなのに、病気だ、変だっていって悩んでるリディアがおかしい」
「じゃあ。わたし」
「気にしすぎ」
明らかにほっとした顔でリディアが胸を押え俯いた。
泣いているのかと覗き込むと顔を真っ赤にしていて今更なにを恥ずかしがっているのかと苦笑いする。
「どうしたのさ?」
「……病気じゃなかったんなら見せ損だったなって」
「だからアイスバーグが病気じゃないっていってたのに。信じなかったのはリディアだよ」
「そうなんだけど」と呟いてリディアは急いでボタンを止める。
一番上のボタンを留めて襟を整え、眉をほんの少し寄せてから思いつめたような瞳を注いできた。
真っ直ぐ見つめてくる緑の瞳には迷いと、決意と、不安だろうか。それぞれの感情が混ざり合ってきらりと輝く。鋭い光がセシルを射抜いた。
「最近。セシルわたしのことリディって呼ばなくなったね。セシルにリディって呼ばれるの、好きだったのに」
聞きたいことがある時は回りくどいことをせずに単刀直入に言葉を口にする。
布石も何もなく突然本題を投げ入れてくるリディアのやり方は、返す言葉を用意するのが難しい。
だから取り敢えず一歩引いて茶化して誤魔化す。
「そんな可愛いこといわれたら殆どの男はいちころだ。あたし以外にはいっちゃダメだよ?」
「……クラスが離れたからだけじゃなくて、最近セシルはわたしと一緒に居てくれなくなった。わたし、なにしたの?いってくれなきゃ解んないよ」
ふざけないでと睨んでリディアは答えを要求する。
別に避けていたわけでは無いが、自分から近づかないようにしていたのは事実だ。
そして意図的に呼び方を変えたのも。
「あたしの問題だね。だからリディアはなにも悪くない」
「悪くないの?ほんとに?」
「そうだよ。ドライノスがまるで奴隷のようにあたしを朝から晩まで扱き使うから、リディアと一緒に居られる時間がないんだ。だから怨むならドライノスを怨んでよ」
実際朝早くから私室と化した準備室に呼びつけられ、昼食の時間や午後の授業が終わった後もなにかと用事を言いつけられて動き回らされているのだ。
明らかに助手としての仕事ではないことまでやらされている。
弟子になったつもりなどないのに。
いつまで続くのか。
いい加減終わりにして欲しい。
早く迎えに来て欲しいのに。
セシルの願いなどきっと御見通しで。
それでも迎えはまだ来ないのだ。
「さあ。リディアそろそろ帰らないと。遅くなる」
「……うん」
まだ納得していない顔をしているが素直に頷いてリディアはカーテンを押し開けて外へと出た。
椅子から立ち上がってアイスバーグが「大丈夫だったろう?」と笑顔でローブと鞄を持って近づいてくる。
リディアが頷いてローブを羽織って、鞄を斜め掛けするとぺこりと頭を下げてドアへと向かった。
「送って行ってあげたいけど、門限まで間に合わないから」
「大丈夫。暗くなるまでには少し時間があるし」
医務室はいつもアイスバーグ目当ての女子が詰めかけている。
くだらないお喋りで時間を潰して彼女たちが満足して帰るのは夕方の鐘が四つを報せた辺りだ。
リディアは相談事の内容を気にして女子が帰るのを待っていたのだろう。
鐘が五つ鳴ったのは随分前だ。
茜色に染まった道を帰っている間に日が暮れて、通りは薄闇に包まれてしまう。
ディアモンドの治安は悪くないが、犯罪件数が低いわけでもない。
「あのね。セシル。相談があるんだけど」
「だめだよ。一日に一回しか相談は受け付けないように決めてるんだ。だから今度。ゆっくり聞いたげるから。今日は帰りな」
「……本当に今度聞いてくれる?」
「大丈夫、ちゃんと聞くから。あ!ちょうど良い所に」
医務室の向こうにある階段から上がってくる人物を見つけてにやりと笑う。
セシルとリディアの姿を認めて途中で上がって来ていた足を止めて顔を歪めたのを見逃さない。
しまったという表情に満足してリディアの背中を押し出す。
「今から帰るんだよね?フィリー。リディアを送ってってよ」
「セシル、ダメだって。大丈夫だから」
慌ててリディアが首を振り、背中を押す手から身を捩って逃げ出すと玄関の方へと逃げる。
セシルは手を伸ばして鞄の紐を掴む。
「遠慮しなくてもフィリーも帰るついでなんだからさ。いいよね?」
灰紫色の瞳はちらりとリディアを見てからセシルへと移る。
薄い眉を下げてやれやれと頭を右に傾けて「いいよ」と渋々了承した。
これで安心してドライノスの所へ戻れる。
用事を済ませて寮に戻ってゆっくりしたい。
「じゃあね。リディア。また今度」
ぽんと肩を叩いてセシルはフィルを振り返り片目を瞑って見せる。
「送り狼にならないようにね」と釘を刺しておくが、遠慮と意気地の無い性格を知っているのでそれは逆に牽制というより激励の意味を込めているのだが。
伝わったのかフィルは苦い顔を一瞬浮かべて、リディアの傍に行き「帰ろうか」と微笑んで歩いて行った。
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