第5話 被害者と加害者



「ちょっと待ちなさい。まだ話は終わってないのよ」

「話は帰ってからにして。遅刻しちゃうから」

「もう呪いを解く必要なんてないのに、どうして学園に通い続けるの?」

「どうしてって」


 リディアは鞄を引っ張られ母サーシャに引き止められていた。

 栗色の長い髪を三つ編みにしてぐるりと巻いて後頭部に纏めているサーシャは女性らしさと、可愛らしさを持ち娘から見ても護ってあげたいような雰囲気を持っている。


 もともと侯爵令嬢として大切に育てられたサーシャには、娘が思い通りにいうことを聞いてくれないことが信じられないのだ。


 親のいうことには黙って従う。

 それが侯爵令嬢としての嗜みであり、貴族として当然の摂理。


 でもその親に反抗して家を飛び出し父エディルと駆け落ちしたサーシャに思い通りになれといわれても素直に聞けるわけが無い。


「学園には勉強に行くんだから。それに友達もいて楽しくなってきたし」


 ようやく手に入れた普通の生活を満喫したいリディアには、母の心配や願いなど到底聞ける要求ではなかった。


「勉強は街の学校でもできるし、お友達なら家に遊びに来てもらえばいいわ」

「ママ。いい加減にして。本当に遅刻しちゃうから」


 ぐいっと鞄を引っ張るがサーシャは今日ばかりは絶対に引き下がらないと決めているようで、蒼白な顔で必死に「だめよ」と取り縋る。


 最近毎朝サーシャと玄関で押し問答して学園へ登校するのが遅くなっていた。

 今まではいい顔しないながらも、朝は「気を付けていってらっしゃい」と送り出してくれていたのに。


「街の学校は物足りないの!友達を呼んでもいいのなら、わたしフィルも呼ぶよ?」

「それはだめ!」

「だから」

「どうしてなの?どうして貴女はあの女の息子を友達だなんて」

「ママお願い。朝からこんなこと話して一日不愉快な気分で過ごすなんていやなの」


 顎を振って無駄だと解っていても宥めるために優しく母に語りかける。

 だが水色の瞳に強い光を宿してサーシャはリディアを真っ直ぐに見つめた。


「リディア。あの女とあの子がなにをしたのか思い出しなさい」

「思い出してるよ!ちゃんと。なにをされたのか。その上でフィルを友達だっていってるのに」

「どうしてなの?ママよりもリディアはあのフィル・ファプシスを信じて選ぶの?ママがこんなに心配してるのに。ママはこんなに愛しているのに」


 でた。

 ”ママは~している”が出たら後は泣き落としだ。


 今日は遅刻を覚悟してリディアは大きくため息を吐いた。


「止めて。ママ。いい加減に被害者ぶるのはよして」

「被害者じゃないの!」

「違う。ママは被害者だって思い込んでるけど、十分加害者だよ」

「私がなにをしたっていうの!?」


 金切り声を上げたサーシャはリディアの肩を掴んで軽く揺さぶる。

 自分が他者を傷つけたことが無いと信じ込んでいる母には加害者である自覚は無い。


「ママ落ち着いて。フィルとルクリアさんがわたしを誘拐したのはなんで?」

「それは、エディルを逆恨みして」

「違う。パパが手を広げたせいで不幸になった人が沢山いた。その中にフィルのお父さんもいたの。怨まれて当然だった」

「そんなことないわ。エディルはただ仕事をしただけよ」


 信じ切っているサーシャは眉を寄せて怪訝そうに否定する。


「人を蹴落として掴んだ仕事だよ。それは『ただ仕事をしただけ』とはいわない。じゃあどうしてパパは無茶な仕事のやり方をしたの?」

「それは家族を養うためよ」

「間違いじゃないけど、お祖父さまに認めてもらいたいとか、見返したいとかって気持ちがあったからでしょ」

「だってお父様はエディルの話を聞く前に屋敷から追い出して、二度と会わせないようにしたから。無理に縁談を決めて私を結婚させようとしたから」


 瞳に祖父への怒りを宿して鼻息荒く責めた。今でもその時の事を許せないのだとその目は雄弁に伝えてくる。


「だから駆け落ちしたの?」

「そうよ。お父様があの時エディルと話して、結婚を認めてくれれば家を出なくて済んだのに」

「努力したの?」

「え?」

「ママはお祖父さまにパパを認めて貰える様にちゃんと説得した?駄目だっていわれて泣いて、被害者ぶってただ責めただけじゃないの?」

「リディア?」

「家を出なくて済めば苦労せずに今でも侯爵家にいられたのにってどこかで思ってる。ママは自分で選んでパパと結婚したのに、失ったものの大きさを知って後悔してる。だから他の誰かのせいにして、自分は奪われたんだって被害者のふりをしてるんだ」


 そうしていれば楽だから。

可哀相だと思ってもらえるから。


「選んだのはママだよ。それだけは間違いないでしょ?」


 激しい恋をして、伴侶にとエディルを選んだのはサーシャだ。

 それだけは変えようのない事実。

 時が立ち、失ったものの大きさに恋の炎が冷めたとしても。


「ママとパパは努力をしなかった。だから今がある。方法は幾らでもあったと思う。それはフィルもルクリアさんにも同じことがいえると思うから」


 ルクリアは息子の将来のためと復讐を遂げる方法としてリディアの誘拐を計画した。

 それは大きな誤算を生み、逆に親子をも苦しめる結果となった。

 復讐するつもりが自分達の首を絞めてしまうなんて。


「わたしにも責任があった。よく知らないフィルについて行ったこと。それからドライノス先生の治療を拒んだこと。わたしがもっと早く行動すればみんなが救われたかもしれないのに」


 家族はあの時からリディアを中心に回ってしまった。

 もっと他の人生や可能性があったのに。


「みんなが被害者で、みんなが加害者なんだ。だから」


 放心しているサーシャの肩を引き寄せてリディアはそっと抱き締めた。

 薔薇の香水の匂いがする。

 甘くて上品な香りはサーシャに良く似合っていた。


 優しく背中を擦ると洟を啜る音が聞こえる。


「赦して欲しい。わたしもママもパパも、フィルもルクリアさんも。そしてお祖父さまも。わたしもみんなを赦すし、みんな大切な人だから」

「できないわ……。赦すなんて」

「できるよ。わたしの大好きなママは優しくて愛する気持ちを持ってる人だから。今はできなくても、努力していけば絶対にできる」


 肩に母の涙の温もりを感じリディアは大きく息を吐き出す。

 まるで子どものように泣きじゃくるサーシャの背中は小さくて、震える肩も薄い。刺繍や裁縫はできるが料理や掃除洗濯はできない母のために父はマーサを雇い、不自由させないように働いてきた。


 全てサーシャを護るため。

 幸せにするためだけに必死でエディルは愛してきた。

 独り善がりで弱いサーシャに寄り添う日々は苦労が多かっただろう。


 改めて母を慰めながら父を思う。


「お嬢様、代わりますよ」


 マーサが台所から出てきて微笑みながらサーシャの肩を抱いて支えると、母はぼんやりとした表情でリディアを見つめ弱々しく唇だけで笑う。


「ママ、マーサ行ってきます」

「気をつけて行ってらっしゃいませ」


 漸く登校できることに安堵し、リディアは笑顔で扉を開けた。


 庭を通り抜け門を開けると隣の住人が笑顔で挨拶をしてきたのでそれに応えてから道を駆ける。

 城壁目掛けてローブの裾を跳ね上げて進む。

 今更走った所で一限目には間に合わない。

 それでも言い訳として走ったけど間に合わなかったのだといえるだけのことはしたかった。


 時計塔の鐘が鳴り九つ数え終えると止まる。


「ああ、始まっちゃった」


 東門の衛兵が走って行くリディアを見て笑い「気をつけて行くんだよ」と声をかけてくれた。

 それに大きく頷いて見せ鞄と息を弾ませる。

 川の流れる橋を抜け広場に出ると遠くに知識の通りの入り口が見えてきた。

 ここからは少し上り坂になっているので足を緩め早足にする。


 西の街道に繋がっている入口から大きな荷車を曳いて驢馬が二頭並んで入ってくる。山盛りの野菜を乗せて市場を目指す。その後ろから籠を背負った人や、旅人とだと分かる服装の人達が続々と入ってくる。


 ディアモンドはやはり王都で、どこからこんなに人が湧いてくるのかと驚く。

 リディアは知識の通りに辿り着き、その道を登りながら職人街に出入りする人の多さに苦笑する。

 職人たちは朝が早く、通いの者や遣いぱっしりの少年達が毎朝入り乱れて活気があるのだ。専門店が多い知識の通りには、それを求める人達とそれを売る者達でやはり人が多い。


 豊かさの象徴。

 やはりリディアはこの街がこの国が好きだ。


「王女ロッテローザ様の結婚が決まったらしいな」

「ショーケイナの王子なら不足は無いが」


 道具屋の主人が開店準備の途中で知り合いの男と世間話をしていた。

 王女ロッテローザは今年十六になったばかりなので、リディアと同じ歳だ。王族はもうその歳で結婚する事になるのだなと思うと不憫に思えた。


 ショーケイナは隣国で古くからの王国主義を貫いている硬い国だ。

 隣国の王子がどんな人なのか解らないが、フィライト国民であるリディアにはロッテローザの愛らしさと心優しき人柄に憧れる所があるので幸せになって欲しいと願わずにいられない。


 王子がどうか素敵な人でありますようにと念じながら道具屋の前を通り過ぎた。

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