【百合】残花――焦土に取りこされた五輪の花。少女たちは、敗戦後の焼け跡で生きることを諦めない
永倉圭夏
第一章 灰の街、寄り添う影
第一話 大空襲 三・一〇
折からの北西の風にあおられて「それ」は瞬く間に帝都東京を舐め尽くした。
真夜中、ひゅるひゅると微かな音を立て、何かが空から大量に落下する。
重たく硬いものが風となって、大気を切りさく音をたてて、屋根へ、庭へ、道へと降り注ぐ。
それは地面に触れた瞬間、「ボッ」と腹の底を揺らすような音を立てて、赤とオレンジの炎を噴き上げる。
――それはM69、ナパーム剤を詰めた六角柱の焼夷弾だったと、のちに知った。
十五歳の小夜は、訳も判らず枕を持たされ、三歳になる妹の静子を負ぶったまま逃げ惑う。
母や弟とは、とっくにはぐれてしまっていた。
今、この背中で怯え泣き叫ぶ幼い静子を守れるのは自分しかいなかった。急いで締めた背負い紐が背中にぎりりと食い込む。
ゴトン、と乾いた金属音が目の前に落ちた。
とっさに踵を返し、逆方向へと駆け出す。
振り返った背後で「死の声」が響く。
静子の背中を通して、熱の圧力を感じる。
良く乾いた薪を焚いたように、轟々と燃え上がる自宅のうどん屋。
庭先の小さな防空壕ではかえって危険だ。
店舗兼住宅の脇をすり抜け、小夜はただひたすらに走る。
防空壕へ飛び込めさえすれば、まだふたりとも助かるかもしれない。
叫び声や怒声が家々の燃える音に入り混じって聞こえる。
人波にもまれ、どこをどう走ったか、記憶は曖昧だ。
けれど赤とオレンジに輝く感情を持たぬ殺意に舐め尽くされた町の片隅で、崩れかけの防空壕が目に入る。
小夜は、押し合いへし合いする人々の中をかいくぐり、どうにかその入り口にたどり着いた。
幸運にも扉は、開いていた。
だがその瞬間、ドスンと肩に衝撃を受ける。
大柄な男に体当たりされ、前のめりによろけた小夜は、ふいに背中が軽くなったことに気づく。背負い紐がほどけていた。
はっと振り返る。
炎に照らされ、恐怖の表情で逃げ惑う人々――。
その中に、静子の姿はなかった。
「おねえちゃぁん!」
確かに、そんな叫びを聞いた気がした。
「静子っ! 静子ーっ!」
叫んでも、答えはない。
人と火の粉の濁流に呑まれた小夜は、その波に逆らって、必死で進もうとかき分ける。
「あんた、何やってるんだい!」
黒とオレンジ色に染め抜かれた顔も知らぬおばさんが、小夜の腕を掴んだ。
「そっち行ったら死んじまうよ!」
「妹が……! 静子がいるの!」
向こうへ進もうとする小夜の腕に、おばさんの指がぎちっと食い込む。
「あんたはあすこの防空壕に行きな! おばちゃんが探してきてやるよ!」
その声は、ひどく真剣だった。
「いいかい、あすこならまだ子供ひとりくらい、きっと入れる――さあ、お行き!」
おばさんは、ぐいと小夜の背中を突いた。
それはまるで、追い払うような、突き飛ばすような手つきだった。
「行けって言ってんだよ! あんたまで死んだら、浮かばれないだろ!」
防空壕に放り込まれた小夜。
そのときだった。
まるで、小夜を待っていたかのように、扉が閉ざされる。
内側に落とされた
小夜は、はっとなって扉にすがり、開けようと手を伸ばす。静子を探しに行かなければ。
だが、すぐに中の誰かが低い声で言った。
何もかもを諦めたような虚ろな響きだった。
「……もう、無理だ。開けたら、ここにいる全員が死ぬ」
小夜は振り返り、周りを見渡した。違う町内に迷い込んでしまったのだろう。知った顔はひとつもなかった。
その顔は一様に恐怖に怯えていた。
中には静子と同い年くらいの子供もいた。
小夜は、それ以上言い返すことができなかった。
ただ、手をぎゅっと握ったまま、扉の向こうを見つめるしかなかった。
「静子…… 静子……」
ただ、泣いていたと思う。
その後のことは、あまりよく覚えていない。
ただ、「開けて下さい、開けて下さい、助けて下さい」と外から懇願する女性の声が聞こえたのはうっすらと覚えている。
やがてその声も聞こえなくなった。
どれほど時間が経ったのか、轟々と轟く炎の音が遠のき、扉の外がすっかり静まり返ったのは夜明け近くだった。
小夜が再び外に出たとき、そこにあのおばさんの姿はもうなかった。
どこかへ消えたのか、それともあのまま――。
それは、今でも小夜にはわからない。
静子の亡骸は、ふたりが離れ離れになった場所から一キロも離れた場所に転がっていた、と隣組の相川さんはのちに言っていた。
▼次回 第二話 昭和二十年四月二日
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