やわらかな土、消えない色
浅野じゅんぺい
やわらかな土と、消えない色
かっちゃんと僕は、何もかもが正反対だった。
僕はよく「面白いね」と言われたけれど、それはたいてい、「変わってるね」のやさしい言い換えだった。
かっちゃんは正真正銘の秀才で、成績も、ノートの字も、先生たちからの信頼も揺るぎないものだった。
それでも、なぜか僕らはいつも一緒だった。
誰に決められたわけでもないのに、気づくと隣にいた。中学でも高校でも、変わらずに。
*
れい子と付き合っていたのは、ほんの一時期だった。
ふたりとも、どこか自分の気持ちを言葉にするのが下手で、すれ違ったまま自然に終わった。
かっちゃんには何も言わなかった。言えるような関係でもなかった。
だけど、その数年後。
かっちゃんの結婚式で、受付でもらった席次表をめくった瞬間、僕の時間は、一拍ぶん遅れて止まった。
──新婦の名前が、れい子だった。
(ああ、そうか。あのとき、かっちゃんは……)
怒りでも嫉妬でもなかった。
ただ、誰にも拾われずに残っていた感情の欠片に、ようやく自分の手が触れた気がした。
*
それから数年後、彼は突然、病に倒れた。
連絡をくれたのは、れい子だった。
「もう……長くないの。会ってくれる?」
電話の向こうの彼女は、泣きながらそう言った。
れい子があんなふうに、声を震わせるのを初めて聞いた。
*
病室は、春先の曇り空みたいな光に包まれていた。
「かっちゃん……」
細くなった身体の中で、目だけは昔と変わらなかった。
まっすぐで、ずっと嘘をつけない目。
「来てくれて……ありがとな」
そう言って、彼は笑った。
弱々しくても、それはいつもの、僕だけが知ってるかっちゃんの笑顔だった。
少しして、れい子が「コーヒーでも買ってくる」と席を立ち、僕らはふたりきりになった。
*
「なあ、お前。高校のとき言ってたよな……『人を本気で好きになったことがないから、絵に熱が入らないんだ』って」
「……覚えてたんだ」
「覚えてるさ。あの頃のお前の絵、俺は好きだったよ。特に、色の使い方。俺には描けないやつだ」
僕は、視線を落とした。
「れい子のこと……お前、まだ……好きだったか?」
重い沈黙が、病室の中に落ちた。
時計の針の音が、やけに大きく聞こえた。
「もう、好きじゃないと思う。でも……あのときは、ちゃんと好きだった。自分なりに、ちゃんと」
かっちゃんは目を閉じて、うなずいた。
そして、ほんの少し微笑んで言った。
「それで、いいんじゃない? 届いてたと思うよ。ちゃんと」
「……届いてた?」
「れい子、言ってたんだ。『陽くんの目を思い出すと、自分をまっすぐに保てる気がする』って」
僕は声が出なかった。
何年も前にしまいこんだ想いが、ふいに呼吸をはじめるのを感じた。
「お前の絵も……そういう目をしてた。届いてたんだよ、ちゃんと」
かっちゃんはそう言って、僕の肩に軽く手を置いた。
その手の温度が、何よりも切なくて、あたたかかった。
*
その夜遅く、かっちゃんは静かに息を引き取った。
れい子の手を握ったまま、まるで眠るように。
*
葬儀のあと、僕はふと、かっちゃんの実家の裏の空き地を訪ねた。
あの頃、「秘密基地」って呼んでた草むら。今は、風に揺れる野花が一面に咲いていた。
やわらかな土の匂いが、胸を締めつけるほど懐かしかった。
僕はスケッチブックを取り出して、野花を描いた。
草を描き、風を描き、そして……記憶のなかの笑顔を、静かに描いた。
*
春になったら、この場所を庭にしようと思う。
彼が夢見ていた「静かで、あたたかな時間」を、少しでもこの世界に残すために。
庭の片隅には、あの絵を飾る。
タイトルは、もう決めてある。
──「カンパーニュ」。
それはパンの名前でもあり、僕たちが過ごした、素朴であたたかな日々の象徴。
*
そして、僕はもう一度、絵を描こうと思う。
誰かのためじゃなく、自分の心の温度を残すために。
かっちゃんが言ってくれたあの言葉を思い出すたび、筆が自然と動き出す。
色は、もう迷わない。
──僕は、絵描きとして生きていく。
*
君の声は、やわらかな土の下で、今も消えない色をしている。
やわらかな土、消えない色 浅野じゅんぺい @junpeynovel
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