春の諸々

【光と影】

 眩い春光は夢のようだが、影にはひんやりとした現が、じっと居座っている。まるで冬の置き土産のような冷たさが、思い出したように春を切る。それは夢から覚める感覚に似ている。

 春を振り返る記事にて、影から見る春景色が美しいと述べたが、それは夢と分かった時にこそ夢の美しさを知ることと同じなのかもしれない。夢は現があるからこそ成立し、その美しさを際立たせる。春の美しさは、寒冷と風雨があるからこそ際立つのだろうか。

 思うに、春は思うほど色鮮やかではなく、また暖かくもない。そういった姿は極致であり、春の一点でしかない。爛漫に至るまでの、溶けて緩み、もぞもぞと動き、ぼんやりと霞や朧を纏い、時に冷たい顔を晒す。その全てに柔らかさが含まれているようで、そこにこそ春が潜んでいる。


【枝】

 冬には寒々しく山を覆い、硬いように見えた木の枝が、春には柔らかい印象で山を包んでいる。木の芽や花の蕾が膨らむ頃合いでなくとも、なんとなくふんわりと微笑んでいるように思われるのは、霞や朧が掛けられているからだろう。春の外気には様々なものが含まれ、清潔とは言い難い煩雑さをしているが、もやもやと見通しが悪く、輪郭を曖昧とするところに春が窺える。枝や梢の、はっきりと描写された線画のような姿を、絵筆ですうっと軽やかに引いたような印象にさせるのが、春の手法なのだろう。

 春の木々は飾られていくものだが、葉や花がついていない時も、冬より仄明るく、柔らかいように思われる。蕾や小さな芽が点々と付き、膨らみ、色づいていく様子には、楽しみがついて回る。いよいよ花が咲くという頃合いの、色づいた蕾を抱えた枝が連なり広がって、霞が掛かっているかのように空を覆う様は素晴らしい。わずかな立地の違いで花が咲いている、咲いていないと分かれている風景も、春が潮のように満ちていく様子を見られるようで面白い。樹木は大きな指標なのだ。


【雨】

 春の雨は、晩春の頃合いに降るもの、花を洗い流すような雨が良い。この頃の雨は粒が大きく、雨音もはっきりとしながら柔らかくて、聴いていると心が満たされていくようだ。穀雨の頃の雨が、最も心穏やかに聴けるのではないだろうか。

 この頃の雨は、たいてい通り雨である。ふと雨音が聞こえ出して、聞き入ろうと飲み物の一つでも用意して、飲み切る頃には去っている。雨音が止み、冷蔵庫から出る小さな音が代わりに沈黙を埋め、それが余韻のように思われる。

 雨が降って間もない頃に外へ出ると、草やコンクリートから匂いがふっと立ち昇っている。夏にはもっと濃くなるだろう匂いは、春だと雨後の冷たい空気が混じり、どことなく爽やかに感じられる。

 春の雨は地を潤しながらも爽やかで清く、瀟洒なものなのだろう。二十四節気に清明、穀雨とあるのも納得である。夢と現を曖昧にするような景色をした春が洗われ、夏の手前にさっぱりと姿を改める様は、なんとも気持ちがいいものだ。


【水】

 春の水は雪解け水である。透き通った水は美しいが、いかにも冷たそうで、手を入れたらきっと千切れそうなほど痛くなるのだろうと思われる。溶け出した水が勢いよく川を流れていく様は、夏の到来を感じさせる。

 水は、春を最も現わしているものではないかと思う。雪と氷が解けて水になり、空気に水が溶け込めば霞や朧を作り出す。春が深まるにつれて風雨がもたらされ、雨水は川で雪解け水と合流する。春は水と共にある。

 龍天に昇るという言葉があったり、四神の青龍が春に対応していたり、水溢れる春は龍とも関連があるらしい。冬眠から覚めるのは、龍もまた同じなのだろう。龍という生物が存在していなくても、龍のように大きな生物が動くような流れが、春は特に目立つのではないだろうか。

 春は水のように溶け出し、流れ、浸透し、満ち溢れる。そうして静かな水鏡を作り上げ、夏を待っているのだろう。


【春愁】

 春は明るく美しく、煌びやかで、期待や待望に満ちている。それらは花と合わせて開き、流れ出した時に乗って、遠くへ運ばれていく。

 けれど、ふと物影から春を眺めると、自分だけが冬に取り残されているかのような恐怖を抱く。開くようなものを持ち合わせていない空っぽの身体が、ただただ冷やされていくかのような心地がする。美しい景色が作り上げられていく傍らで、日陰に取り残された雪のように、停滞しているものもあるのだろう。

 環境の華やかさ、目まぐるしさについていけない日陰の雪が、冷たい不安を抱きながら、爛漫たる春を見上げている。その隔たりの奥底に、途方もない寂しさや恐れ、哀しみが暗澹としている。春の底は、そういう真っ暗な色をしている。冷たい水が染み込んで黒い。果たして、そこから萌黄が覗くことはあるのだろうか。覗いたところで、忘れ霜に蝕まれることなく、春を越えられるのだろうか。

 春はどこまでも柔らかい。夢も現も合わせ抱いて、自らの裡へ沈めてしまうほどに。そんな中で硬い足場を失っては、不安に溺れても仕方がない。やっとのことで水面に顔を出し、大きく息継ぎをした時、溺れる身をよそに上手く浮いて流れに乗る人を見れば、やっとの呼吸は嘆息へ変わるのだ。浮き上がれない自分は、莫迦みたいじゃないか、と。


【行く春】

 解けて流れ出し、雪の中から目覚めた春は、増していく水に乗って広まり、浸透し、やがて海のように湛えられる。その底や日陰では残っていた雪が消え、水面では風によって作られた花筏や波が光っている。

 川となって流れる間は一緒くたになっていた夢現が、夏の手前で二つに分かれているようだ。日向と影の境界線、水面と水底の境界線が引かれ、夏にはより明らかとなっていくのだろう。けれど、もう夢めいた美しさは洗い流されてしまい、日向にも影にも広がるのは現ばかり。宴のような綯い交ぜのひと時は終わり、明瞭で確固とした景色が広がり出す。それが春の終わりにして、夏の始まりなのだろう。

 微睡みと夢を洗い流して、満ち足りた春は去りゆく。春は夢、春は水。形を柔らかく自在に変えて、溶け込んで、穏やかに消えていく。

 目まぐるしく賑やかで浮き沈みがあり、夢も現も混ざり合う。流水の勢いに乗って通り過ぎ、何事も無かったかのような大海の姿で終わる。目くるめく狂騒、夢とそのまま繋がっているかのような幻想、夢現を分かつ透明な境界。走り続けた持久走の最後数メートルを一気に駆け抜けるような緩急。春の良さや美しさは、そういうところに凝縮されているようだ。

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