逢い引きの行方

 当日。使用人たちに用意してもらったワンピースを着て、あまり履き慣れていない絹の靴下に革靴を履く。

 普段であったら髪を高く結うだけにもかかわらず、そのときは使用人たちに束髪に髪を結ってもらい、髪留めとして躑躅色のリボンでまとめられた。

 これで仕込み剣を入れた傘を持つと、玄関で待つ。


(そういえば、歩いて出かけるのか、車で行くのかどうか、聞いてなかったなあ)


 彼女はそう思いながら、玄関でもたれかかって待っていたところで、「……ほのか?」と声をかけられた。

 着流しに襟巻きをして、帽子を被っている。ひとつ間違えたら遊び人の風情に見えかねないが、黒斗が着ると、謎めいた文豪風に見えて様になっている。

 黒斗は黒斗で、ほのかのワンピース姿を頭のてっぺんからつま先までまじまじと眺めていた。それにほのかは慌てる。


「……刀は仕込み剣持ってきてるから、大丈夫だし! 浮かれてないから!」

「そうか、似合うと思うが」

「……あんた、褒める言葉使えたの」

「お前は余計なことしか言わないな」

「失礼ね、あたしだって他に言えます! ええっとね……」


 なんとか素直に「似合う」「文豪みたいで素敵」と言えればいいのだが、ほのかの場合は、本当に珍しくきちんとした褒め言葉を言う黒斗の言葉のせいで、語彙がどこかに行ってしまっていた。


「遊び人じゃなくってよかった!」

「……なんだ、そりゃ。まあいい」

「う、うん」


 結局はまともな褒め言葉ひとつ伝えることができず、がっくりとしたまま、出かける。

 途中までは車で送ったものの、大通りが見えてきたら黒斗は「ありがとう、ここから先は歩いて行く。帰りはまた歩いて帰るからいい」と運転手に伝えて、降りた。

 そして黒斗は軽く腕を差し出したので、ほのかは首を傾げた。


「なに?」

「掴まれ。ほのか、お前履き慣れてない靴を履いてるだろ。靴擦れつくらないようにしたほうがいい」

「ああ……」


 ほのかは日頃から足袋に下駄を履いているものだから、絹の靴下も革靴もあまり馴染みのあるものではない。おまけに普段から腰に差している刀がないために、腰回りは妙に落ち着かないのだ。いくら仕込み剣のある傘を携えているとは言っても、普段腰に提げているものよりも軽くて落ち着かない。

 結局はほのかは差し出された黒斗の腕に掴まって、ふたりで活劇写真の劇場へと足を運んだのである。


****


 演目は素晴らしいものだった。

 スクリーンに映し出される写真の美しさもさることながら、活劇弁士の弁舌の爽やかたることこの上なく、夢中で見入っているうちに、あっという間に時間が過ぎてしまったのだった。


「面白かった! いやあ、信乃役の人が格好よかった!」


 見に行ったほのかは、かなり満足感溢れる顔でにこにこしている。それに黒斗も頷いた。


「新進気鋭の役者だそうだ。最近は活劇写真専門の役者も増えてきていると聞く」

「はあ……あれだけ演技上手い人たちが皆活劇写真に行っちゃったらどうなるんだろうね?」

「さあな。昼食だが、店を予約しているがどうする?」

「外で食べるの? なにを食べるの? 洋食? 和食?」

「もう少し歩いた先に、すき焼きの店を予約しているが……歩けるか?」

「まあ、なんとか」


 鑑賞中も気にしていた革靴だが、しばらく履いている間に固い革もどうにか足に馴染んでくれたようで、もう黒斗の腕にしがみつく必要もないのだが。

 ほのかはふと思いついて「うーんと、慣れない」と答えた。


「そうか? どこかで履き物を調達するか?」

「あーあー……そこまではする必要がないよ。でもあんたの腕を貸して。それでなんとか歩いていけるから」

「そうか」


 そう言いながら、ほのかは彼の腕に自分のものを絡めた。腕を絡めていて驚いたのは、彼は着物越しでも存外筋張った感触をしていて、女の腕とは全然違うということだった。ほのかもずっと刀を振って鍛錬を重ねているし、腕にはしっかりとした筋肉が乗っているが。それでも全体的に筋張った体つきはしていない。


(男の人ってこういうものなのかな。黒斗はもっとこう、へなちょこだと思ってたのに)


 腕を絡め、彼も男だったということに今更ながらに気付いた。そもそも彼女は彼に対する気持ちに気付いたとしても、なにもしていない。どうすればいいのかがわからない上に、五行相剋をどうすればいいのかわかっていないのだから、どう反応するべきかを彼女はわかっていなかったのだ。


(……そうだね、あたしがいくら腕っ節が強くっても、あたしは術式が使えない。なにかあったら黒斗に助けてもらうしかないんだから。もっと、頼らないといけないね)


 そうこう言っているうちに、目的のすき焼き屋に到着した。

 紙鍋の中で食べるすき焼きというものは興味深い上に、出される肉は、割差しを使っているのを差し引いても非常に脂が甘い。それを彼女は嬉々として食べていた。


「おいしい! 卵がなんというか、甘い……?」

「卵は甘いというよりも旨いのだと思うが。旨味が濃いと、わずかの塩味で味が引き立つと聞いたことがある」

「ああ! それそれ! 本当においしい!」


 一緒に添えられていた野菜も全て味が濃いことに驚き、卵も含めて全てをペロリと食べ終えてしまったときには、既に空の真上に出ていた太陽も少し傾いていた。


「ごちそうさま! おいしかったぁ……」

「大袈裟だな。うちの使用人たちの料理でそこまで大騒ぎしたことないだろ」

「いやいや。別荘の人たちのご飯も本当においしいけど……ここで食べる食事は特別でしょ」

「特別?」

「うん。あんたとこうやってふたりっきりで、身内がいない場所で食事をするなんて、そうそうない話だからさ」


 そうしみじみと言う。食事の際、あの手この手を使って、なんとか子作りさせようとしていたのを、ほのかは知っている。でもほのかが一度唇を大きく腫らして以降は、その手段を取るのを諦めてくれたみたいだが。

 だが、今はほのかの怪我も完治した以上、また手段を選ばず子作りをさせようとしてくるかもしれないとなったら、気が休まるものでもなかった。

 ただふたりで一緒にいて、その時間を大事にしたい。それすらいけないことなんだろうかと思わずにはいられなかった。

 そのほのかの言葉に、「はあ……」と黒斗が溜息をつく。それにほのかが目を細める。


「なによ、子供じみてるって?」

「そうじゃない。ただ」

「なによ」

「……申し訳ないと思っただけだ」

「なにが」

「正直、今日は宿に連れ込もうかと思っていた」

「サイテー」

「ああ、最低だと思っていたところだ。すまん」


 ほのかの批難の声に素直に応じる黒斗に、ほのかは彼を凝視する。


「あんたは結局あたしをどうしたいのよ」

「……どうしてお前は朱雀の血族なんだろうと思ってる」


 答えになってない答えをもらい、ほのかは困惑したまま黒斗を見た。

 この部屋は個室であり、ときおり廊下を従業員たちがパタパタと歩いて行く気配だけがする。だがいきなり部屋に踏み込んできて、「お客様、飲み物はいかがでしょうか!?」と声をかけてくる者はいなかった。

 その中、黒斗は淡々と続けた。


「俺はいい加減お前をどうにかしたいが……お前にまた傷ついてほしくない」

「あたしこの間まで手を切ってたじゃない」

「……あれは魑魅魍魎のせいだ。魑魅魍魎で傷を負ったのなら、注意しろとは思うが……自分を責めたりはしない。でも。前に口を吸ったときは違う。俺がお前を傷つけた。それに……父がお前をさらった。そのときにぞっとしたんだ。お前になにか盛られるんじゃないかと。なにも盛られなかったからよかったが……あのときが一番生きた心地がしなかった」

「あんた、結構自分勝手なことしか言わないのよね。あたしの傷よりそういうことばっかり」

「……怪我するのは仕方がないが、傷ついてほしくないと思うのはいけないことなのか?」



 その黒斗の訴えを、ほのかは物珍しいものを見る気分で眺めていた。


「なんだかね、その話聞いてたら」

「なんだ、また混ぜっ返すな」

「まるであんた、あたしのこと欲しそうに思うから」


 ほのかの喉からつるりと滑って出てきた言葉に、黒斗は驚いたようにほのかを見た。それにほのかは、やっと意味が通じたように、ピシャンと背筋を伸ばした。


「……本当に?」

「本当に」


 既に知り合って数年経ち、便宜上夫婦としてひとつ屋根の下で暮らし、同じ部屋で眠っているとは思えないような、歯がゆい空気が部屋中に漂っていた。

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