逢い引きの準備
それから数週間。ほのかの手が完治するまで、本当に黒斗に延々と世話を焼かれ、その都度彼女は逃げ出したり、勝手場に立てこもったりとさんざんな目に遭ったが、やっと包帯が取られた。
「やったぁぁぁぁ!! これで鍛錬できる! 体絶対に鈍ってるから、急いで元に戻さないと!」
「……いや、そこか」
黒斗にさんざん呆れられたものの、ほのかとしては体力が戻らないことには話にならなかった。彼女は陰陽師として致命的な術式が使えない陰陽師なのだから、せめて得物がきちんと使える状態にまで体力が戻らないことには、なんの役にも立たない。
(そもそもなあ……黒斗は玄冥の方からどこまで聞いているんだろう……)
以前に玄冥邸に拉致軟禁された際、ほのかは逃げ出すこともできずにただ黒斗を待つことしかできなかったが。そのときに出されたお茶もお茶請けも怖くて手を出さなかったが。黒耀は黒斗に五行相剋の突破方法を告げられていたら、彼女の手が完治した以上なにかされてもおかしくはなかった。
しかし黒斗はなにもすることはなく、呆れたようにほのかの鍛錬に付き合い、朝餉までふたりで汗を掻いていたのだ。
「ほのか、明日は予定が入っているか?」
「はい? 特にないけど。陰陽寮からなんか来たならともかく、実家からも特になんの話も入ってないし」
「そうか」
朝餉のお膳をいただいている最中、あまりに唐突過ぎる黒斗の物言いに、彼女は首を傾げた。やっと彼女はひとりで食事をいただけるようになり、嬉しくて嬉しくて、あっという間に平らげてしまった。療養中ずっと立てこもっていた彼女の面倒を見てくれていた勝手場の人々には、あとできちんと礼を伝えないといけない。
そんなことを彼女が思っている中、黒斗がポツンと言った。
「……この間、陰陽寮の仕事で出かけた先で、活動写真の半券をもらったが、行かないか?」
「活動写真? なんの演目?」
活動写真。最近流行りはじめた動く写真のことである。内容は活動弁士が滑舌よく教えてくれ、その内容を楽しみながら動く写真を眺める。
最初は実話を元にした活動写真が多かったものの、最近は創作活動写真が多く、舞台から活動写真に活動拠点を変える俳優も出てきたと聞く。それにほのかはそわそわして尋ねた。
黒斗はほのかが喜んでいるのを見ながら答えた。
「『南総里見八犬伝』だそうだ」
「見たい! ものすごく見たい! 明日行くの!?」
「一応明日の半券だが……」
「行きたい! ありがとう!」
ほのかははしゃぎながら、食事を終えるとお膳を勝手場にまで返しに出かける。その最中、仲良くなった勝手場の人に話をする。
「明日、黒斗と活動写真を見に行くことになったんだ」
途端に勝手場が色めき立った。その反応にほのかは困る。
「と、とうとう玄冥様……」
「あの方、本当に奥手というか、なんというか……」
「できたんですね、こういうこと本当にできたんですね」
もう好き勝手言われているのに、ほのかは困り果ててとうとう声を上げる。
「あ、あの!? どういう意味!?」
「朱明様、おわかりでなく?」
「これ普通に逢い引きでは?」
「あいびき」
「逢い引き」
そもそも今のご時世、男女ふたり、家族でもない限り一緒に歩き出す風潮はあまりない。あるとしたら、それは普通に逢い引きである。
言われた途端に、ほのかはやっと意味がわかり、ボッと頬を赤くする。
「あいつ、あたしと逢い引きしたかったの!?」
「わ、わかりませんけど! でも玄冥様、朱明様の療養の手伝い、私たちが替わりましょうかと何度も申し出ても全部断っていらっしゃっていましたし!」
「玄冥様なりに、なんとか夫婦としての関係を構築したかったのかと思うと、我々としても涙が出ましてね……」
「お帰り遅くなりますか? 遅くなるようでしたら、そのまま赤飯でも……」
「いらない! さすがに赤飯はいらない! あと多分遅くなるようなことなんてないから!」
ほのかは必死に言い募っても、女性陣はずっとによによしている。によによしているついでに、数人ばかりが申し出た。
「ですが、活動写真になりましたら長丁場になりますし、その間の服の用意をしたほうがよろしいかと」
「ええ……いつも通りじゃ駄目かな?」
「駄目ではありませんが……もう少し派手でもいいかと。銘仙は悪くないですが、逢い引きならばそれ相応の服装がございますし、髪型も少し編んだほうがよろしいかと」
普段から髪をいちいち編んでいたら、戦う際に頭が詰まった感じがしていまいち動きにキレがなくなるため、ほのかは高く結う程度にしか髪をまとめたことがない。女学生に人気の耳隠しとか夜会巻きとかは、彼女にとっては縁遠い髪型であった。
「でも……あたしあんまり慣れてない格好は……」
「服はもうしばらくしたら一緒に選びましょう。さあ、さあ」
「うう……」
そもそも別荘は、年若い五行の一族の夫婦が子作りのために滞在する場所である。そこでは即物的な関係が多く、わざわざ夫婦になるために時間をかけて交流する期間なんてものがほぼほぼなかった。
だが逆に言ってしまえば、このふたりを見て協力を申し出てくれる使用人たちが、年若くて右も左もわかってない男女に親身になって面倒を見、味方になってくれたのである。
……ついでに言ってしまえば、せっかくの若い身空ですぐ子作りしなければならず、若い頃におしゃれができない女性たちを大勢見てきたため、折角の逢瀬に一張羅を着せてあげようとする姉心やら母心やらに目覚めてしまった者たちが幾許かいたのである。
つまりは、着せ替え人形であった。
****
「うううううう……無理。絶対に似合わない」
「大丈夫ですよ、朱明様。充分にお似合いですから」
逢い引き用の服で選ばれたのは、ワンピースだった。芥子色をしたワンピースは彼女によく似合い、それに合う絹の靴下に革靴も用意してもらったが、ほのかからしてみれば脚がスースーして落ち着かないし、着物の帯のような頼もしさもなくて不安が募る。
なによりも、帯ならば刀を差せるが、この格好では差しようもない。
「刀持てませんけど!?」
「仕込み刀がございますよ」
そう言いながら日傘を差し出される。確かに柄にきちんと刀が仕込まれているものの、いつも持つものよりも細いためにただただ不安が募る。
「これで大丈夫なのかな……」
「たしかに朱明様も陰陽師ですから、魑魅魍魎や異形が現れたら、そちらの討伐のほうが先かもわかりませんが、ですがね」
「うん」
「逢い引きに成功し、玄冥様との仲を貫くことも、お役目として大切なことでしょう! 頑張ってくださいましね!」
そう使用人たちに握り拳をされ、なんとも言えなくなってしまった。
普段慣れない格好をし、なによりも脚を出し、黒斗がなんと言うのかが全く読めなかったのだ。
(……似合わないとか鼻で笑われたらあたしは黒斗を殴ると思う……)
今までほのかは、黒斗から大きく褒められたことは一度もない。学府を卒業してから、そこそこ一緒に暮らしていて悪い奴ではないとはわかったものの、あれに褒め言葉があるのかどうかすら、彼女にはわからなかったのである。
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