◆3/闇の中へ

 建物の死骸――そんな言葉が頭に浮かぶ。

 フェンスの向こう、草木に食い荒らされた敷地は、生い茂る緑に呑み込まれている。コンクリート壁には、流れ出る血のように赤黒い染みが浮かび、崩れた屋根は風に煽られ、ギィギィと悲鳴のような音を出す。

 一面に広がる灰色の空は、周囲を薄暗く染め、今朝から続く雨は、篝の上に冷たく降り注いでいた。


 ほんの数時間前、訓練で軽く汗を流していた篝に、司令部から通信が入った。


「こちら機動課、明松毘かがりびです」

『司令部オペレーター、まゆずみです。緊急の出動要請がかかっています。ポイントH59105にある廃倉庫を調査中の、調査二課の隊員4名と通信が途絶。現地へ赴き、調査をお願いします。本任務の詳細は、追って端末へ送信します』

「了解しました」

 篝は短く答え、通信を終えた。

 早速、手持ちの端末を操作して、司令部から送られたデータを確認する。

 展開されたホログラムディスプレイに、調査二課からの報告書が表示された。


 ――調査報告

 

 XXXX年XX月XX日

 ポイントH59105にて、瘴気の吹き溜まりを確認。

 同ポイントは、過去に瘴気の調査実験に使用されていた。


 XXXX年XX月XX日

 二次関数的に瘴気量が増加。

 O.N.I発生の兆候はないが、付近一帯を封鎖し警戒にあたる。


 XXXX年XX月XX日

 瘴気量はさらに増加。

 O.N.I発生の閾値を超過。

 封鎖範囲を拡大。

 ※倉庫内で少女のような人影を見たとの報告あり。


 XXXX年XX月XX日

 瘴気量が爆発的に増大。

 ただし、瘴気の発生地点を中心に局所的な収束傾向あり。


 以上――。


「人影……?」

 報告書の注釈が、何故か気にかかった。

 この濃度の瘴気の中では、無対策の人間は30分も生きていられない。普通に考えるなら、見間違いの類と思うのが自然だが、なぜか胸の奥のざわめきが止まらない。

 それは、数多の戦闘を経験した篝の直感だった。

 

 その感覚は、倉庫に近づくにつれ強さを増していく。

 入口と思われるシャッターは少し開いていて、漏れ出た瘴気が地面を蛇のように這っている。

 蛇は周囲の植物に絡みつき、茶色く枯らしている。

 篝は左耳のカフス型通信機に指を添える。

「明松毘です。倉庫入り口に到着。今から中に入ります」

『了解……。異……常があ……れば、適宜報……告を……お願いしま……す……』

 司令部からの返答にザリザリとノイズが混じる。

「ノイズがひどいのですが、通信感度は大丈夫ですか?」

『……』

 声もなく、ただノイズだけが返って来た。

 背中を冷たい手で撫でられたような感覚が走り、唾を飲み下す音が、やけに大きく響く。

 篝は黒斧の柄を強く握り直し、ゆっくりとシャッターを潜り抜けた。


 瞬間――景色が一変した。

 視界の全てが、渦巻く瘴気に覆われる。

 甘く濁った腐敗臭が、鼻腔に絡みつき喉を焼く。

 重く――息苦しい――。

 肌にまとわりつく瘴気は生ぬるく、ぬめったような感触が這いまわる。


 地獄のような光景に、心に一瞬の空白が生まれる。

 すぐさま自分を取り戻し、周囲の状況を確認する。

「――!」

 人だ。

 視線の先に4人。

 点々と倒れているのが見えた。

「封鎖地点内に高濃度の瘴気を確認。また4名の負傷者を発見。救援を――」

 即座に通信を試みるが、耳を掻き毟るようなノイズ音だけが返ってきた。

「クソっ……!」

 心に焦燥感が募る。

 すぐさま駆け寄り、防護服のバイタルデータを確認すると、脈拍や呼吸に異常は見られなかった。

「良かった……」

 安堵の息が漏れる。

 それから順に、全員の生存が確認できた。

 しかし、どこか腑に落ちない。

「防護服は特に破損していないし、瘴気の濃度は異常だけど、防げないレベルでもない……」

 疑念が頭の片隅によぎるが、まずは救助を優先する。そう判断し、地面に倒れた調査員に手を伸ばした。


 ぴくり――と指が動く。

 防護服の奥から「うぅ……」と掠れた声が聞こえる。小さい、けれど確かに耳に届いた。


「大丈夫ですか!?」

 思わず声を張り上げ、肩を抱き上げようしたその時――。


 突如、調査員の体が跳ねる。

 地面を漂う瘴気が、まるで触手のように調査員に絡みつく。

「あがががぎいぃいぃああアアアア!!」

 奇怪な叫び声を上げる男。

 全身を脈打たせ、狂ったように手足を暴れさせる。

 防護服が膨れ上がり、内側から骨の軋むような音が聞こえてくる。

 やがて、膨張に耐えきれなくなった服は破れ始める。

 解れた隙間から、虫が湧き出すように瘴気が漏れ出していた。


 胸を突き出すように、男の体が反り返る。

「いいいいいいいイイイイイイイイィィ――‼」

 ひと際大きな、電子音のような無機質な悲鳴。

 その声は鼓膜を突き刺し、耳鳴りにも似た不快感を与えてくる。


 その時――。

 ボンッ‼

 大きな破裂音が響き、防護服が弾け飛ぶ。


 本能的に、距離を取るように跳び退った。

 眼前の衝撃的な光景に、黒斧を握る手に汗がにじみ、呼吸が荒くなっていく。


 そこには、一匹のオニ――。

 人間の成れの果てが、赤い眼で篝を捉えている。

「なに……これ……」

 締め付けられるような喉から、かろうじて一言、言葉を絞り出す。


 野獣のような唸り声が、ほかに3つ、背後からも聞こえてきた。

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