母の母

氷野 陽馬

母の母

高三の冬。静岡に住んでいた母方の祖母が亡くなった。九十一歳だった。現場に立ち会わなかったのだが、老衰だったようだ。

幸せなことに、僕は今まで、家族が不幸に合うことがなく、葬儀というものとは全くの無縁だった。

正直、僕は母方の祖母のことをほとんど覚えていない。どちらの実家も二百キロ以上離れているというのに、家族全員で帰省するのは専ら父方の祖母の家で、静岡へは母が一人で向かうことがある程度だった。小学校にいた頃には家族全員で帰省したことはあったが、祖母に認知症の傾向がではじめるようになってからだろうか、そのような形になった。

祖母の夫、つまり祖父のことを、僕は全く知らない。両親からは、二人が結婚した半年後に亡くなってしまったとのことで、彼が本当にいたのかすら、僕にとっては実感できないことだった。

正直葬儀屋でのことははっきりとおぼえてはいない。始まる前には出席していた親戚たちに挨拶をし、葬儀が始まってからは数人のお坊様が経を唱えたり、親しみのない楽器を演奏したりしていたと思う。

葬儀場から移動しての、火葬場でのことだった。火葬炉へと祖母を見送り、一時間程度待機したあと、僕は初めてヒトの骨を見た。足から順に、長い箸で骨壷に入れいった。やがて、喪主の伯父が最後に軸椎を入れ終わった。

僕は改めて記憶の底の祖母を思い起こそうとしてみたが、ふと思い浮かんだのは、祖母ではなく母のことだった。僕は母の方を見た。母がどんな表情をしていたか今となっては覚えていないが、その時の僕は、無意識的に、母の死を想っていた。祖母への母の想いを、母への僕の想いへと投影していたのだ。かなりの確率で、僕は母や父を見送る立場にあるだろう。その時を思うと、涙腺が緩むのが感じ取れた。そして、一層、後悔のないよう人生を生きようと思った。

ヒトの死は、その事実以上の意味合いを持つ。そしてそれは、生の尊さをより一層高めるものだ。暴論かもしれないのだが、価値ある生とは、家族、もしくはそう思えるほど親しい友人とともに生き、失うに堪えないものを時に失いながら、生き続ける事なのではないだろうか、と僕は思うのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

母の母 氷野 陽馬 @JckdeIke1122

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る