ごんぎつね会談

天川

三人の困った大人たち

 『兵十は火縄銃をばたりと、とり落としました。青い煙が、まだ筒口から、細く出ていました────』


 ……………………


 スピーカーから流れていた朗読の声が終わる。


「……終わりかね?」

 白髪の男の問いに、斜め向かい側に座っている司会役ともいうべき女性が静かに頷いた。

 その部屋は密室、そればかりか公にはこの会合が持たれた事実さえ明かにされていない。此度の会談は、極秘中の極秘なのである。三人が座っているのは、その役職からすれば不釣り合いなほど質素なソファー。手元にはグラスが置かれていたが、その中身は会合のはじめから少しも減ってはいなかった。忌憚なき話し合いをしようという意図のもと、参加者の一人が秘蔵のワインを持参していたのだが、その議題の重さ故にさしものヴィンテージも喉を通らなかったようだ。


「それで、この童話を私たちに聴かせた意図というものを、聞いてもよろしいのかな?」

 もう一人の壮年の男が、やはりその司会役兼仲介役の女性に問いかけた。

 

「はい。些か飛躍してはおりますが、この物語は現在の双方の国の事情に類似性があると考えます。この出口の見えない問題のなんらかの光明になればと……我が国より持参いたしました」


「こんな児童文学が、かね?」

「…………」


 二人の男は、いかにも面食らったような顔をしていたが、今直面している議題は何かしらの突破口がなければ到底結論など出せない難問でもあった。なにしろ、この三者はいずれも当事国ではない国の人間である。

 向かい合って座る二人の男は、現在紛争状態にある両国の謂わば後見人ともいうべき国の人間。その、停戦合意に向けた困難な交渉の妥協点を見出そうと、こうして事前に会合を持つに至ったのである。しかし、これまでで会合は既に十回を超えており、それでもなお何の成果も見出だせていないという状況であったのだ。


 仲介役となっている帝国より出向してきた女性も、なんとかこの現状を打破すべく持ち込んだ窮余の一策が、この「ごんぎつね」であった。


「この物語は、我が国でも解釈の定まらない難しい内容として今も語り継がれております。お聴きの通り、単純な『正解』のある構図ではないからです」


「ふむ、云わんとしていることは、わかる」

「……この撃たれた狐が我が国、いや侵攻された国、ということかね?」


 女性は頷きながら答えた。

「異論はありましょうが、その意図で間違いありません」


 あまりに突拍子のない話ではあったが、このまま前回のように言葉を交わしていても新たな知見は生まれてこないであろう。ならばいっそ、この与太話のような提案に騙されてみるのも悪くないと、二人の男は共に思っていた。


「構図としては、この……兵十、と言ったかな? この男は間接的にだが復讐を果たしたとも取れる。この結果を望んでいたかはともかく」


「うむ。そういう意味では、撃たれた狐は不憫だが因果応報と言えなくもない、のかな。以前からいたずら好きとして知られていたのだから、この結果も当然の帰結というところか」


 物語の空気感とは似ても似つかない二人の解釈ではあるが、この見解なら一応の決着が付いたと言えるのだろう。しかし、物語に例えられた現実に残されたのは、両国民の怒りと悲しみである。どうしたって、このままという訳にはいかないだろう。


 案の定、侵略された側の後見国代表の男が、再び異論を口にした。

「しかし、こちら側の被害は既に甚大で国土も半分近く奪われておる。ここで銃を引けと言われても、今更止められんだろう」


 すると、侵攻国側の後見国代表の男は、それに異論を対してきた。

「それはこちらとて同じこと。事の起こりは、そちらの条約機構加盟が引き金となっているわけだからな……まあ、それも過去の歴史を見れば致し方ないことでもあろうが」


 原因論で語っても答えが出ないことは、これまでの会合で充分わかりきっていることだ。この困難な状況を打開するには、まず双方の共通の目的を見つけそれを満たす必要がある。そのためには、かなりの妥協が必須となるのだ。


 今まで何度も聞いた応酬が二、三度繰り返されると、再び沈黙が部屋を支配する。

 この方向での議論になると思考が硬質化してしまい結論が出ないのがわかっているため、もはや双方とも深追いしようとは思わないのだ。だが、こうして時間ばかりを費やすわけにもいかない。こういう時は沈黙が長引かないよう、仲介役女性が合いの手を入れることにしている。


「……かつて、内戦に明け暮れていたある国では、その停戦合意のために、世界でも類を見ない大いなる妥協策が採られました。人命を優先するならば、それくらいの手段が必要かもしれませんね」


 彼女が口にしたのは別の、内戦が続いていたある途上国の話。

 停戦交渉にあたって、現政権は反政府組織の責任を一切問わず、その上その反政府軍のリーダーを副大統領にまで就任させたという、世界を驚愕させた大妥結。それを成し得た国連平和維持組織の交渉官が話した内容は、

『紛争を終わらせるには必ず何等かの妥協が必要となります。今回は100という事です。ですが、その甲斐あって現在戦闘は起こっておりません』

 というものだった。

 遺恨の残るやり方ではあったが、それでも戦争状態は終結させることができた。今は、この稀なる前例を目指す他無いであろう。


「確かに、やり返せば済むというものでは無い。目には目を、と言って世界はここまで堕落したわけだからな……」

「それはも理解しているよ」


「しかし、一方的に侵攻されてそれを許せと言われても無理な注文だ。何らかの国際的な制裁ペナルティは必要だろう」

「制裁なら既に行われている……まぁ、あまり効いていないようだが」


 双方の言い分に、仲人たる女性が控えめに意見を述べた。

「国民感情については、お察しいたします。仮に大統領が停戦方針に承諾したとしても、今度は国民が黙っていないでしょう」


 彼の国は、長年の連邦統治に対して民族意識がくすぶっていたという背景がある。根が深い問題であり、例え国家間紛争が収まったとしても今度は国内で火の手が上がるかもしれないほどなのだ。

「言葉で説得したら五〇年はかかるだろうな」

「それまでに、またどれほど人命が失われるのか。……下手をすれば今度は国が割れるぞ」


 そして、再び重苦しい空気が部屋を支配する。

 ──やはり、いくら話し合っても堂々巡りのようだ。女性が持参した物語など、何の効果ももたらさなかったかと、本人も半ば諦め始めていた。しかし、意外にも二人の男性は再び物語に話の水を向けていた。話題の毛色を変えなければ、場が持たなかったのであろう。


「ところで、先程の物語の結末というか主旨は、当の帝国ではどのように受け取られているのですか?」

「あぁ、たしかに興味がありますな。聴いた限り……あまりにも投げられっ放しの結末ように思えるが」


 質問を向けられた女性は、控えめにを述べるにとどめた。

「お聞きいただいた通り、物語はあそこで終わっています。続きはありません。開かれたまま結論を出さずに終えることで解釈に幅をもたせ、考えることを促しているのだと思われます」


「子どもに、かね?」

「はい、児童文学ですので」

「……大人でも難しい問題のように思えるが」

「仰るとおりですね。だからこそ、との類似性を見出したのです」


 言いたいことはわかるが……。と言いたげな表情を浮かべる、男二人。


「子どもに、この答えを求めるのは、少々酷ではないのかね」

「ですが、これが世界の偽らざる縮図です。ならば、我々大人の責任として、次代を担う子どもたちに悩み抜いた背中を隠すこと無く見せねばならないでしょう。誤魔化しでも言いくるめでもなく……人間の知恵の存在というものを」


 そんな真っ当なことを言っていても、その実、彼女自身も望み薄であると思っていた。当事国は、彼女の帝国のように仏教国でもなければ八百万の神を信仰しているわけでもない。御伽噺のような供養や赦し、贖罪が実際に生まれるとも思えない。理想論を無視しては着地点を見誤る恐れがあるが、妥協無くして停戦はありえないだろう。


 正論とは自分の首をも締めるものだ。

 女性は言ってから、少々後悔も浮かんでいた。


 そんな女性の様子を察してか、向かい合った二人の男は今度は女性の方に水を向けた。そして、白髪の年嵩の男のほうが、口を開く。


「貴女は、どのようにお考えですか?」

「え?」

 そして、もう一方の男も続けて問いかけた。

「物語の生まれた国の人間である、貴女の意見が聞いてみたいのです」

 その問いに、女性は少し困った表情を浮かべ、一旦態度を保留した。

「私はあくまでも中立を守らねばならない立場です。この場で私的に意見を述べるというのは──」

 そう言って渋る女性に、二人の男はようやく砕けた雰囲気を出しながら、

「どうせ、他に誰も聞いてはおりません」

「そうですな、ここは是非とも第三者の意見が欲しい。……この、大きな子供二人に、母なる知恵を授けてはくださらんか」

 そう言って笑い、助けと云う名の介入を求めていた。


 母という例えをされて、女性はまたも少し躊躇する。

 彼女は未だ独身であり、母でもない自分に母親の役割が回ってくるというは皮肉なことではあった。しかし、実際に母となった自分がこの場に立っていたなら当事者意識の方が強く働き、冷静で客観的な意見は出せないはずだ。対岸の火事だからこそ、適切な支援ができるのであり、自宅が燃えていたらとてもそんな気持ちではいられないだろう。


 彼女は、あえて話の文脈や立場という軛を外して、普段思っていることを話し始めた。


「男女平等、女性同権を謳っていても、それが真の意味で達せられた国は残念ながらありません。それは、子を宿すことができるのは女性だけであるという根本に起因していると思われます」


 すると、一方の男性が珍しく愉快そうな表情を浮かべ、

「ん……? そちらの国ではなかったですかな? 男性でも妊娠できる可能性があるという研究がされていたのは」

「今は、そういう事は言わないでください」

「ははは、これは失敬」

 男二人は、そんな軽口を挟んでいた。


「おほん……。よろしいですか?」

 苦笑しながらも、女性はむしろ、ほっとしていた。

 ユーモアを失った人間から出る考えというのは兎角、視野狭窄であることが多い。真面目くさっていても、もはや解決など起こり得ないのだ。ならば、頭をカラにして何でも言ってみるほうが有益だろう。そのためのなのだから。

 

「この物語では、兵十とごん、双方とも母親の不在という共通要素が存在します」


 そう言うと、興味を持ったように姿勢が少し前に出る、男二人。

「なるほど、言われてみればそのとおりですな」

「兵十の母が存命なら、無益な殺生を諌めたかもしれんし、いたずら好きだというごんも、母狐から人間の特徴や危険性などは伝承されていなかった。そのために起こった悲劇、とも云えるわけですか」


 頷いて、女性は続ける。


「生命である以上、母親の存在は不可欠です。もし仮に、双方の母親が健在であったなら、物語の結末は多少なりとも違ったものになっていたと思いませんか?」


「ふむ」

「一理ある」


「母の愛、などというステレオタイプな感情論ではありません。実情として役割分担はされねばならないのが人間というものです。……これ以上、女性に負担を強いるのは私も気が進みませんが、一方で我が子を戦場に送り出さねばならない立場であるのも、紛れもない母親なのです」


 話の意図が見え始めてきたらしい二人の男は、頷きながら続きを促した。


「我が子を戦場に送ってはいけない、と云うメッセージは国や民族、感情を超えて普遍的に響くものだと思います。女性の立場から、この発信を広めていけば世論を動かせるのではないでしょうか」


 忘れがちなことではあるが、人間の半分は女性なのである。

 半数の意見が一致する要素といえば、もはやこれしか無いのかもしれない。


「いかにも────。今まで出てきた男の論理では、平行線のままだ。銃を収めよと言ったところで、男は戦うことを止めはしないであろう」

「戦うことが守ることだという本能に引っ張られておるからな。……つくづく、欠陥の多い性だ」

 自分たちが男性であることも含めて、彼らは自虐的にそう言った。


「母、か……」

 少し間をおいて、若い方の男が口を開いた。


「そう言えば、母君と呼ばれた人がおりましたな」

 その言葉で、三人共が同じ人物を思い浮かべていた。


 その人は、今は既に退任し一人の女性に戻った、ある国の元女性大統領。

 その女性と侵攻国の大統領は、お互い国のトップであるにも関わらず私用の電話で直接何時間も話すような間柄であったという。国のトップが外交ルートも通さず気安く電話で話し合う関係性というものに、内外からは批判の声もあったようであるが、この規格外の関係性こそが、かの大統領の暴走を抑えていたという側面があることは、もはや自明の理であろう。

 二人で交わされた内容はもちろん不明ではあるが、おそらくは母親のように愚痴や悩みを聞いてやっていたのではないか、という噂が囁かれていた。


 結果的ではあるが、女性大統領が退任しその関係性が途切れてしまったことが今回の侵攻の一つの要因でもあったのではないかというのが、三人の共通した見解であった。


「──大統領も、人の子であり子の親であろうに……権力とは人を狂わせるものでもあるのですな」

「権力か、あるいは過去の連邦の亡霊に取り憑かれておるのか……」


 亡霊、という言葉を聞いて、女性は不意に腑に落ちた気がしていた。

 非科学的ではあるが、人間の精神というものがそもそも非科学的でもあるのだ。供養をせずに惰性で動き続けていたために起こった過去の負の遺産でもある、この状況。ならば、一度立ち止まりしっかりと受け止め供養をすることが必要であろう。


「かの母君に、もう一度だけ動いていただくというのは……いかがでしょうか」

 中立の立場も忘れ、女性はそう口にしていた。

 そして、その言葉にゆっくりと二人の男は頷いていた。


「あの方の声であれば、大統領も耳を貸すかもしれんな。しかし、引退した母親に縋らねばならんとは……情けない子どもで、申し訳ないことだ。せめて、今度こそ彼女が安らかに休息できるように、我々も骨を折らねばなるまい」

 そして、ようやく出た一つの見解に……ぬるくなったグラスを誰からともなく手に取り、宙に掲げた。


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