第7話

授業のカリキュラムは退屈なほど予定通りに進んでいく。4月も後半。昔とは気候が変わってしまった日本では、すでに以前呼ばれていた夏というものに差し掛かっているのかと思えるほど、暑さが続いているように感じる。単純に私が暑さに弱いだけかもしれないが。夜はまだ涼しく、散歩をするにはちょうどよいだろう。まあ、散歩なんてしないのだが。


5月に入ると中間試験というイベントが待ち構えている。そのことからか、生徒たちの授業に対する熱がいつもより増しているような気がする。止めてくれ、こっちでも熱くなるのは。


西棟階段を下り、3階北棟へ行く。文芸部室に足を運ぶ動作もすっかり慣れ、最適化が進んでいるのを感じる。幸い1-8は端っこの教室で北階段が近いので助かっている。



部室に入ると、いつものように海下先輩と福田先輩が作業をしている。この2人はいつも私より先に部室にいるが、ちゃんと授業を受けているのだろうか?


「福田、ここの設定資料ってどこにあるかわかるか?」

「えっと…これ。」

「すまん、ありがとう。」


新入部員歓迎会という名目の交流会を行ったことが功を奏したのか、2人の距離感は前よりも近づいたように感じる。海下先輩は以前より福田先輩のことを認めているように感じるし、福田先輩も男子が苦手だと言っていた割にはしっかりと受け答えをしている。一時はどうなることかと思ったが、丸く収まったようで安心した。


「朝山、この資料ちょっとまとめといてくれ。」

「はい。」


私はネリネの内容を知ってから、3人の見る目が変わった。この3人は、ちゃんとすごい人だったのだ。同列に考えていたことが少々恥ずかしい。私は後輩なので、後輩らしく後輩らしいことを淡々とこなそうと思う。そうして、渡された紙の整理をいつもの席に座って始める。


「よー君たちやってるねえ!」


数十分ほど経った後、小野先輩が合流する。彼女は私たちを見渡した後、私の前で立ち止まる。


「小説、できた?」


ニコニコと昨日送ってきた絵文字の顔をする小野先輩。


「いいえ。私は検討すると言っただけですので。第一、書くにしても一晩で書けるわけないじゃないですか。」

「えー!あれってOKって意味じゃないの~?ちょっと期待してたのに~。」


そう言って肩を落とし、彼女は向かいの席に座った。


「そのうち朝山ちゃんにもネリネに参加してほしいし、良いステップアップになると思うんだけどなあ。」

「ちょっと待ってください。朝山が参加するってどういう意味ですか?もしかして…。」


海下先輩が青ざめる。なんだ、そんなに私がネリネに参加することが気に食わないのか。それとは対照的に明るい顔の小野先輩。


「そう、その「もしかして」をするつもりよ!」

「え”っ!」


福田先輩も唸り声を上げた。なんだ、てっきり部員として認められているのかと思っていたが、どうやらそうではなかったみたいだ。



「朝山ちゃん、勘違いしないでね!2人とも、朝山ちゃんに参加してほしくないってわけじゃないの。でしょ?2人とも。」


小野先輩は私の心を読めるのか?そう言ってもらえるのは安心だが。


「じゃあ、状況をちょっと整理するわね。みんな座って~?」


今日も再び、小野先輩の一言によってネリネについての会議が始まる。


「ネリネには、最終的なエンドが分岐する、マルチエンディングを採用していることは覚えているわよね?エンド1は私、エンド2は海下くん、エンド3は福田ちゃんが主に担当してる。物語には、エンドに向かうための導火線が必要なの。今回の場合、エンドが3つあるってことは、導火線が3つ必要になるってわけ。でもね、ここで一つ重大な問題が発生するの。」


3人はより一層真剣な顔になる。そして小野先輩は解説を続ける。


「読者に最初に読んでもらうのは1冊の本。つまり、この1冊に3つ分の導火線を引く必要がある。そうしないと、矛盾が生じちゃうからね。すべてのエンドの伏線やきっかけ、動機がゴチャゴチャにならないようにしっかりと物語を構築していく必要があるの。」


「小野先輩は、そこに朝山のエンドを追加しようと言うわけですね?」


海下先輩がため息をつきながらそう言った。


「エンドが増えたら…またシナリオ…見直さなきゃ…。ああ…。」


福田先輩は顔を手で覆い被せて唸り声を上げている。なるほど、だいたい把握したぞ。


「わかりました。要するに、小野先輩の無理強いを通すとなると、今までの作業がおじゃんになる。もうすぐ5月になるのに、今更そんなことは出来っこない、ということですね?」


「朝山、理解が早くて助かる。だからお前は雑務を…。」

「ストーップ!それ以前に、私たちはこのプロジェクトをどういう形にしたいか、忘れてないよね?」


小野先輩が立ち上がってそう言うと、2人は静かになった。


「…私たちの、集大…成。」


福田先輩が小さく呟いた。


「福田ちゃん、そう!そうなのよ!私はネリネを集大成として完成させるには、朝山ちゃんの力があってこそだと思ってる。」

「でも、朝山は小説ひとつ読んだこと無いような奴ですよ?僕たちのシナリオを理解できるとは思えません。…そもそも、どうしてそこまでして朝山にこだわるんですか?新しいエンドを追加したいんだったら、他にいくらでもマシな人はいるだろうに。」


海下先輩、私にだって心はあるんだぞ。目の前にいてこの会話を聞いているということを忘れないでほしい。ただ、彼の意見は最もだ。大いに同意できる。悔しいが。


「私は朝山ちゃんにしか出来ないと思ってるの。やるって決めたからには、最後まで突き通すわよ!」


いや、まだ決まってないんですが、小野先輩…。ただこうなったら、近い未来、私がネリネに参加することはもはや避けられないだろう。私も覚悟を決めなくてはいけないのかもしれない。


私は小野先輩に続いて立ち上がり、3人を見渡し、宣言をする。


「よくわかりました。私、まずは小説を書いてみることにします。」


海下先輩は呆れたような顔でこちらを見ている。対して、小野先輩は期待の目を私に向けている。


「海下先輩、福田先輩、小野先輩。おすすめの本をそれぞれ1冊ずつ私に貸してください。参考にしながら、短編を書いてみます。その出来次第で、私がネリネに参加するかどうかは決めてもらえればと思います。これでどうですか、海下先輩?」


海下先輩は少し考えた後、許可を出してくれた。


そうして小野先輩はニヤリと笑った。


「まあ、まずはそうするのが無難かもね、朝山ちゃん?」


昨日の先輩とのやり取りの通りになってしまった。まったく、私の心は小野先輩にどれだけ読まれているというのだろうか。


その後、本棚から3人のおすすめの本を借り、少し重くなったカバンを肩にかけ一足先に下校した。海下先輩は本を選ぶ時、かなり真剣に考えてくれていた。そういう部分に関しては、素直にありがたみを感じる。小野先輩と福田先輩は始めから決まっていたかのようにすぐに本を渡してくれた。まだタイトルも見てないが、一体どういうジャンルの本なのだろうか。帰るのが少し楽しみだ。


いつもは部室にいる時間に家に到着するのは、ちょっとした特別感がある。鍵をガチャリと開け、一言。


「ただいまー。」


テーブルに3人から借りてきた本を並べる。福田先輩、海下先輩、そして小野先輩。

『向日葵の向こうへ』、『シャーロット探偵:殺人狼編』、『メメント・モリ』


2冊は、前に福田先輩と海下先輩が話していたときに挙げていた本だろう。シャーロット探偵は本を読まない私でも名前を知っているくらいには有名だ。海下先輩は悩んだ末、王道を選んでくれたのだろう。感謝だ。


向日葵の向こうへは福田先輩のおすすめだ。なんちゃらトリックがどうのこうのと言っていたものだろう。


そして小野先輩が貸してくれたのは、メメント・モリという本。「死を忘れることなかれ」という意味があるラテン語の言葉だが、一体どういう内容なのだろうか。前情報が無いため考察する余地は一切ない。そして、分厚い。


ひとまず、王道そうなシャーロット探偵から読んでみるとするか。私は本を手にとり、ベッドに腰掛けた。



読み始めて3時間は経っていたらしい。時計を見ると20時を過ぎていた。海下先輩はどうやら短編を選んでくれたようで、あっという間に読破してしまった。お腹が鳴ったので、昨日食べかけたサラダチキンを冷蔵庫から取り出し咥える。


推理小説というのは案外おもしろいものだ。ハマる理由がわかったような気がした。なにせ、シャーロット探偵の推理力の高さは非常にスタイリッシュに描かれており、この格好良さに惹かれる人が多いのも納得できる。また、終盤のどんでん返しも予想外だった。時間も忘れて読んでしまったあたり、さすが王道と言ったところか。


さて、続いては向日葵の向こうへを読んでみようと思う。これはシャーロット探偵より分厚く、読み応えがありそうだ。



なるほど、これがなんちゃらトリックというやつか。完全に騙されていた。シャーロット探偵のときとはまた違ったどんでん返しで、これはこれで面白いものだ。こういう展開が好きな人は、どんでん返しが起きた時の驚きを楽しみにして読むのだろう。それにしても主人公が犯人だったとは…。


ふと時計を見ると、午前3時半を過ぎていた。しまった、まだ風呂にも入っていない。


急いで制服を脱ぎ、シャワーを浴びパジャマに着替える。そうして飛び込むようにしてベッドに入った。



ジリジリと鳴るアラームで目を覚ます午前7時。私の日常が決定的に崩れた瞬間にも思えた。ぼんやりとした視界の中、私はうるさく鳴り続けるアラームを止め、机に戻す。寝不足というのはこういうことを言うのか。私はへとへとと学校への支度を始めた。


「おはよ!うわ!紗奈ちゃんすごい顔!どうしたの!」


机に突っ伏していると、鈴音さんから声をかけられそちらを向く。


「少々寝不足でね。本を読み漁っていたら3時半になっていた…。」

「すっかり文芸部員って感じだね!私の方は、ダンスメンバーのオーディションが始まったんだよ!レギュラー取れるように私めちゃ頑張る!紗奈ちゃんも頑張ってね!」


そうだ。本を読んでいるだけで意気消沈していては駄目だ。私は小説を書くために本を読んでいるのだ。目的意識を持たなくては。


〈朝山紗奈:すみません、今日は部活休みます。本をまだ読み切れていないので。〉

〈ジュン:OK〉

〈Mifune:(。・∀・)ノ゙〉


グループに送信すると、すぐに海下先輩からの返信と小野先輩から絵文字が返ってきた。未だ福田先輩からのメッセージを見たことはないが、既読は3。反応が早くて助かるな。


その日は放課後すぐに家に帰宅し、小野先輩のおすすめであるメメント・モリを読む。この本は他二冊に比べてかなり分厚く、読むのに時間がかかりそうだ。しかし、ゴールデンウィークも近づいてきているし、その間には読み切れるだろう。


今回はしっかりとスマホのアラームを設定しておいた。本の世界に入り込んでしまうと、つい時間を忘れてしまう事が判明したため、念の為だ。



スマホの通知が鳴る。5分の1ほど読んだところか。アラームはやはり、私の体感時間よりも早く鳴った。時間は相対的なものだ。


と、思っていたらアラームではなく、小野先輩からのグループメッセージだった。


〈Mifune:みんな、そろそろ中間試験だね☆忘れてない?〉


〈ジュン:もちろんですよ〉


〈Mifune:朝山ちゃん以外は知ってると思うけど、試験期間の1週間前から部活動はできなくなるの〉

〈Mifune:この期間は、みっちりと試験対策をしましょう!と、いうことで〉


ということで?


〈Mifune:第一回勉強会を開催しようと思いますっ!q(≧▽≦q) 〉

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