第6話
新生活が始まって一週間が経った。なかなか忙しかったように感じる。小野三船先輩という人物に出会ってから、何かと調子を狂わされがちな気がする。ただ、海下先輩に福田先輩。どちらとも仲良くやっていけそうな気はする。
教室の机に寝転ぶようにしてスマホをいじっていると、視界の隅から鈴音さんが入ってくるのが見える。朝練でお疲れのようだ。
「鈴音さん、おはよう。」
「あ”~紗奈ちゃんおはよ~。ぢがれだ~。」
「授業中は寝ずにね。」
鈴音さんは倒れ込むようにして自分の席に座った。今日も校庭を走り回ってきたのだろうか。
「そういえば鈴音さん、お姉さんが部長なんだってね。」
「え、どこで聞いたの?そうなんだよ!だから私も負けらんないぞって頑張ってるの!」
姉に対しては対抗心を燃やしていたのか。部長に対抗心を持つとは、姉妹抜きにしても、なかなか威勢のよい1年生だ。彼女は見ていてとてもおもしろい。
ふと教室を見回してみると、他の生徒たちもすっかり新生活に慣れたようで、男女共にいくつかのグループが形成されているように感じる。4人で固まっている女子のおしゃれグループや、メガネをかけた2人組の男子オタクグループまで。良い感じにクラスに馴染んでいるようだ。
馴染んでいるようだ、ではない。私はこの一週間のほとんどを部活に明け暮れていたせいで、最初の友達作りに失敗してしまったのではないだろうか?冷静に考えてみれば、たまたま隣の席だった鈴音さんを覗き、まともに話したことのある生徒は一人だっていない。これは今後困りの種になりそうだ…。幸い、鈴音さんがいてくれるおかげで、私はクラスで一人ぼっちにならずに済んでいることが唯一の救いだろう。
「みんな席に着いてくれ。」
知らない声が前方から聞こえる。この一週間で担当教師には全員会ったはずだし、聞き慣れない声がすることに違和感を感じる。前を向き直すと、生徒が教壇に立っていた。
「今日の1時間目は、委員会などの担当を決めてくれと、山田先生から頼まれている。申し遅れた、俺は
そう言って名前を黒板に書いた。名前にふさわしい明るい好青年だ。というか、いつのまにクラス長なんて決めたんだ?
「早速、本題。まずは図書委員会に所属する生徒から決めようか。チャイムはまだ鳴ってないが、さっさと終わらせてあとは休み時間にしよう。誰か、立候補はいるか?」
そうして突然始まった委員会決めは、根本くんの進行の下滞り無く行われた。当然、私は文芸部が忙しくなりそうな予感がしているし、そもそもどの委員会にも所属するつもりはないので、実質全て休み時間だった。それは鈴音さんも同様らしく、カバンを枕にして爆睡していた。しかし、最前席でよくもまあこんな堂々と寝れるものだ。
2時間目からは通常の授業が行われた。今週からいよいよ、カリキュラムが本格スタートする。10分の休み時間までたっぷりと睡眠を取った鈴音さんを起こし、わかりやすいと噂の、現代文の授業が始まる。
わかりやすいと評判なだけあって、たしかに教え方はとても上手だった。黒メガネ先生、あの堅苦しさからは想像できないような、現代文という科目に対して一種の敬意のようなものを感じ取れるような、そんな授業だった。
そうして放課後。実質初回の授業を無事に終え、身体に少し疲労を感じる中、文芸部室へ向かう。
「お疲れさ…まっ!?」
コンコンとノックをし、いつものようにガラガラと扉を開け部室に入ると、福田先輩が私の顔を見た途端、椅子を蹴り飛ばすようにして立ち上がり、勢いよく私へ抱きついた。流石に驚いて大きな声を出してしまった。
「なっなんですか先輩?」
福田先輩は抱きついたまま何かを言おうとしている。少し休憩の時間を設けてあげよう。
そのまま10秒は過ぎた。そうしてようやく彼女は口を開き、一言囁いた。
「…あり…がと。」
その後もしばらく抱きつかれたまま時間が経過する。
「あら!なにしてんのさ君たち!」
小野先輩が来るなり、彼女は何事も無かったかのように私から離れ、いつもの定位置に座った。
「おいおい、いつの間にそんな関係になったんだ。聞いてないぞ?」
海下先輩はまたしても自分だけ置いてかれている状況に不服なようだ。作業をしながら茶々を入れる。
「少なくとも、海下先輩よりかは仲良しになりましたかね。」
「朝山…。」
「ほらほら朝山ちゃん煽らないのっ!部員同士が仲良しなのは良いことじゃない、ね?微笑ましい限りよ☆」
そう言って満点笑顔を見せる小野先輩。そうだぞ、仲良しは良いことだぞ。
(プリンのことは忘れないけどね、朝山ちゃん。)
耳元で囁かれた。げっ、しっかり根に持たれてる。本当にすみませんでした。合わせる顔がありません。
そうして全員が定位置に座った。どうやら私の席は扉から一番近い、海下先輩の隣になりそうだ。この席に不満はない。海下先輩にちょっかいをかけることもできるし、全員の顔がまんべんなく見渡せる。何より、小野先輩のご尊顔を正面から見ることができるのだ。
「さて、今日も今日とて作業しますか!」
パンと手を叩き小野先輩はネリネの作業を始める。そういえば、私はまだネリネの内容をほとんど知らない。こんな私が今役に立てることなんかあるのだろうか?
「あの、私、ネリネについて概要は聞いたのですが、内容についてはまだ聞いたことがありません。部員になったことですし、説明していただけませんか?」
内容さえ知っていれば、何か役に立てるかもしれない。私の言葉を聞いた3人は顔をお互い見合わせ、誰が説明しようかという空気を感じる。
「説明は小野先輩で良いんじゃないですか?」
「ま、言われてみればそうね。総括は私なわけだし。な~んか一緒に創作物を作っていくと、誰がリーダーとか無くなっていくのよね~。」
そう言うと小野先輩は立ち上がり、私の後ろにあるホワイトボードを引き出してきた。というかこんなところにホワイトボードが隠れていたのか。背景と同化していて気づかなかった。
「えっへん。それでは、プロジェクトネリネの内容、あらすじについてざっくりと説明させていただきます。進行は私、小野三船が担当いたします☆」
一体どこから取り出したのか、指示棒を持った小野先輩はホワイトボードの前に立ち、勢いよくホワイトボードを半回転させる。
半回転されたホワイトボードには、おそらくマインドマップと思われるものが緻密に書かれている。これは読み解くのにかなり時間がかかりそうだ。
「一つ一つ解説していたら明日になっちゃうので、今回は大枠だけを説明するわね。」
そう言って指示棒でピシッと真ん中の”主人公”と書かれた部分を指す。
「これが主人公。この人は記憶喪失の男の人。今まで自分が何をしていたのか、自分の名前すら思い出せないの。残されたものから推測するに、年齢は30代後半。そんな彼は、自分自身を見つけ、思い出すための旅をしているの。要は、本当の意味での自分探しの旅ね。そんな彼の生き様は、私たちと読者に委ねられているってわけ。読者もこの主人公と迷ってもらえれば、それはもう大成功!」
それからはしばらくネリネについての説明がされた。小野先輩の解説はとてもわかりやすく、複雑なマインドマップを手に取るようにして理解することができた。途中で海下先輩や福田先輩の補足も入った。おそらく、自身が担当している部分には補足を入れたかったのだろう。
隠された伏線、衝撃の真実、盛り込むだけ盛り込んだな、と思わせるこのシナリオは、実に完成度の高いものに仕上がりそうだ。3人の持っている力について、私はようやく理解に及んだのかもしれない。いや、この程度で理解したと考えるのは少々おこがましいにも程がある。
「それじゃあ、また明日。」
この日はネリネの説明だけで1日が潰れてしまった。しかしそれだけ、濃密な時間を過ごせたと思う。改めて、あれは本当に3人だけで作ったのだろうか?実はプロが混じっているのではないだろうかと疑ってしまうほど、洗練されているように今の私には感じ取れる。
電車に揺られながらネリネについて考えを巡らせる。私が参加できる部分は果たしてあるのだろうか。話を聞いたことで、余計に自信が無くなってしまった。なにしろ、私は普段本を読まないどころか、映像作品にすらほとんど触れてこなかった。構成やテーマなんて言われたってわかりっこない。こんな私が文芸部にできることは…1つくらいしかないかもしれない。そう、書類整理だ。ちくしょう、海下先輩には完敗だ。悔しい。
家に到着し、制服を脱ぎシャワーを浴びる。ドライヤーをかけソファに腰掛ける。今日の夜ご飯はサラダとサラダチキン。
スマホを弄りながらサラダチキンを頬張っていると、小野先輩からメッセージが届く。
〈Mifune:今日はお疲れ様~!ネリネの話、真剣に聞いてくれてありがとね☆〉
〈朝山紗奈:いえ、先輩たちの実力を思い知らされました。私にできることは、書類整理くらいかも。〉
〈Mifune:そんなことないでしょ~ 福田ちゃんとも上手くやってくれたみたいだしね (^^) 〉
〈Mifune:実はわかってたんだ~、朝山ちゃんが2人と仲良くできるってさ〉
一体何を…。
〈朝山紗奈:どういう意味ですか?〉
〈Mifune:言ったでしょ、私の直感は当たるんだって☆〉
直感、ねえ…。私としてはまだ腑に落ちない部分が多い、小野先輩の直感。信じてみてもよいのだろうか。
〈朝山紗奈:私には、まだよくわかりません。〉
〈Mifune:(*^-^*)〉
一体なんの絵文字だ、これは。たしかに小野先輩はいつもこのような顔でニコニコしているが。
〈Mifune:そうそう、本題なんだけどさ〉
〈Mifune:見てもらった通り、いきなりネリネに参加するのはちょっとハードルが高いと思うの〉
〈Mifune:だから、まずは簡単な小説から書いてみない?〉
〈Mifune:最終的にはネリネに参加してほしいんだけどネ!〉
小説を書く?彼女たちからしてみれば当たり前のことかもしれないが、私にとってはできるかどうかもわからないことだ。簡単なもの、と言っても、何一つ書きたいものなんて思い浮かばない。
〈朝山紗奈:私は書類整理に専念しようかと思います。お気になさらず。〉
〈Mifune:そう言わずにさ!お願いお願い(*-ω人) 〉
…。
〈朝山紗奈:検討します。〉
〈Mifune:\(@^0^@)/ 〉
〈Mifune:それじゃ、おやすみなさ~い♡〉
そうしてメッセージのやりとりは終わり、私はスマホを閉じた。
私は文芸部に入ったのだ。小説の1つや2つ、書かなくては部員の資格すら無いのかもしれない。ただそうなれば、小説を書く人の思考回路から理解することを始めなくてはいけない。何をどうして、文字という形に残して物語を紡ぐのだろう?後世に残したいから?楽しいから?それともただ、暇つぶしに?
この堅苦しい考えからまずは抜け出すことが先決かもしれない。今日はもう寝てしまおう。
食べかけのサラダチキンを冷蔵庫に入れ、私はベッドへ飛び込み、ゆっくりと眠りについた。
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