第2話 御園先輩と私
潮の匂いが鼻を突いた。誰かがわたしを呼ぶ声がする。
「ともみぃー、いつまで寝ているの! 早く起きなさい!」
母の声だ。ふかふかのベッドから飛び起きた。「夢……」
まるで現実のような夢だった。指が微かに震えているほど、まだ怖くて夢とは思えない。
大きく深呼吸する。
やはり、窓が開いたままだった。一瞬、攫われた連れ出されたが、戻されたのかも、と思ったが、そんなことはあり得ない。
やはり、夢だったに違いない。
引っ越したばかりの慣れない家。祖父の実家での記念すべき第一目の朝である。離れの倉庫だった場所をわたしの部屋にして貰った。渡り廊下を歩いて自宅の棟へ移動する。
チーン。
仏鐘の音色が仏間より響いてくる。大きい音を鳴らした年代物の扇風機が廊下に風を送っている。
仏間に顔を出す。
「お婆ちゃん、おはよう」
背の小さい祖母が手招きする。
「あぁ、朋美ちゃん、おはようさんね。ほら、手を合わせていきなんしゃい」
しずしずと仏間に入る。
「ほら、畳の縁は踏まない」
祖母は色々な仕来たりにうるさいけれど、基本、優しい。仏前に座り同じように手をあわせる。祖母が目をつぶるが、わたしは仏壇が物珍しく顔をあげ、ご先祖さまの写真を拝顔する。
ずらりと並ぶ白黒写真。大人に年配者の顔、顔、そこに交じって、祖父に似た眉をした若い男性の遺影があた。
おそらく、わたしと同じ歳ぐらいである。
昨日見た時から、気になっていたので聞いてみた。
「お婆ちゃん、この若い人は誰?」
「大伯父の龍之介おじいさんよ。若くて亡くなったのさ。強かったんやなぁ」
「強い?」
「今年、五十年ぶりに水神祭が復活するのは聞いたか?」
「うん。村の人が船を漕いだりするやつでしょ」
「そうさ。船と走りの競争さぁ。それが久方ぶりに行われるんよ。でさ、それで二年連続高校生で一番を取ったんよ。朋美ちゃんと同じ城山高校の生徒だったんやで」
「へぇ、で学生服を着てるっていうことは、事故か何かで亡くなったの?」
祖母は静かに頷いた。
凄い人が自分の家系にいるものだと感心した。
「水神祭、今度は何事も起きんようにな、成功するように祈ってぇな」
祖母は意味深な言葉を吐いた。
写真の若い人は、船戸龍之介、彼は祖父の弟で、水神祭の儀式中にあるレースに参加した。中学を卒業したら参加資格があり、当時、二年連続優勝、高校三年の時に事故で亡くなった。
一人漕ぎで和船を操る雄姿を収めた写真を祖母が嬉しそうに見せてくれた。
「懐かしいなぁ」
「ともみぃー、いつまで寝ているの!」
母の声がした。祖母が早くご飯を食べなさい。と背中を押した。
ご先祖様への挨拶が船戸家の毎朝のしきたりであった。
食卓のテーブルには、ご飯に味噌汁が用意されていた。
「今日の始業式、車で送ってあげるから、食べたら用意しなさい!」
隣室で化粧をする母の声が聞こえる。ここは母の実家で、娘が戻って来たということで、祖父母は嬉しい限りのようだ。
わたしの引っ越しは急遽決まった。
三月末に父の会社が倒産した。家は大変だったが、そのまま、合格した公立高校へ何気なく通っていたが、会社の整理が終わると、両親は私へ一つの決断を迫った。
『和歌山に引っ越すことになった。父さんは、母さんの実家の漁師を継ぐ決心をした。和歌山の高校へ編入試験を受けてくれないか』
家が無くなるのだから、このまま東京にいる訳にも行かなかった。転入高校が決まると、両親と一緒に和歌山の実家に引っ越した。正月に遊びに来ていた祖父の家が我が家になった。
焼き魚を食べながら、リビングに入って来た祖母に聞く。
「お父さんとお爺ちゃんがいないんだけど?」
「今日から、沖に行きさったわ」
身嗜みを整えた母が隣室がやってくる。
「今日から本格的に漁に行ったのよ。お母さんも今日から仕事だからね! あと十五分で用意しなさい!」
「えっ、そんなの無理!」
パンと違って齧りながら学校へ行くこともできない。白飯をかきこんで、部屋に戻る。
「これ! ハシタナイ!」
祖母の声を後目に、初めての制服に袖を通す。胸には青い名札。一年生の名札の色は青。転校先は県外出身の生徒も通う進学高と聞く。やっと慣れた学校を、又初めからやり直しなので、二度目の緊張を体験することになる。
鏡を見ておかしなところはないか確認する。肘に痛みがあった。怪我をしているようなので、絆創膏を貼る。
鞄を持って庭に出る。
祖父が購入してくれた新車のクラクションが鳴った。急いで助手席に乗り込む。
「行ってきまーす」
祖母が手を振る姿を、窓から顔を出し振り返りながら手を振り返した。右へハンドルを切る。
祖父の実家は目の前が海である。海沿いの道を更にハンドルを切って、凄い急勾配の坂道を上りだす。
高校は駅と共に高い場所にあった。
母の運転する車で、通学中の生徒を追い越しながら、坂道を上る。台地の高台には、戦国時代、お城があったそうだ。丁度高校が城の跡地になる。つまり、高台の街は城下町みたいだ。
わたしは、この街で三年の間に絶対、買い食いしたり、ファミレスで食事を、友達と一緒にやろうと決めていた。そのためには、引っ込み思案の性格をなんとか克服して友達を作らないといけない。
坂道先に、私立和歌山城山高校の校門が見えた。
車のまま入場し、駐車場に停車する。
母と一緒に職員室までやって来た。
「お母さまはここで、結構ですよ」職員の言葉に母は、「よろしくお願いします」と頭を下げる。
わたしの方を向いて、小声で言った。
「林先生にきちんと挨拶するのよ。転入のお世話してもらったのだから、それから部活にも精を出しなさい!」
林先生とは、わたしの編入を強く推してくれた先生だ。一年生の担任でもあるから、先生のクラスになれれば嬉しいし、そうなると思っていた。
しかし、母と別れ、案内されたのは、別の担任のいる先生のクラスだった。そんなこともあるかもしれない。大人の事情は子供が思う考えるほど甘くなく、ドラマニックでもない。
教室では、新しい新参者を迎える儀式が行われた。今居る生徒への自己紹介である。予め口下手であることを伝えられていたのに、挨拶をさせられた。一言も発せられずに、替わりに先生が紹介してくれた。
最悪だ。
体育館での始業式、誰にも話しかけられずに終わる。終わりの会。そして、わたしの初登校は、一言も発せずに、無事終えた。
それにしても、始業式でも林先生の姿を見なかった。せめて、先生に挨拶だけでもしておかないと。
放課後、母にも言われた通り文芸部を捜した。職員室で訊ねると北校舎の四階にあると言われ、早速向かう。
校舎を徘徊し山側にある建物へ、林先生からの手紙では、『文芸部で待つ』とあった。きっと会えるはずである。
直ぐに部室は見つかって、大きく深呼吸してから扉をノックした。
「どうぞ」と女性の返事がした。
「失礼します」と引き扉を開けて入る。
室内には長い綺麗な黒髪に眼鏡をかけ、マスク姿の女子が一人着座していた。
わたしを見ると、スッと背筋を伸ばし立ちあがる。胸には赤い名札がついているから、多分三年生だ。
「勘崎朋美さんね!」
突然に名を呼ばれ、運動部のように俊敏に扉近くに駆け寄って来た。
直ぐに両の手を持ち、強く握りしめられた。
「文芸部の部長をしている三年の御園苑子よ。林先生から聞いてるわ。貴女が来るのを待っていたの!」
「は、はい……、あ、ありがとう……ございます」
「ごめん。マスクを着けたままで……」
彼女はマスクを取って、顔を露わにする。
目鼻口も整っていて女優のようだ。思わず見とれてしまう。
「改めて、高校一年で流星ミステリ文学賞を受賞したプロの小説家作家、筆名は『神崎友美』本名、勘崎朋美さんね」
すらすらと語られる口調は、本当に女優だ。
「林先生が学長に掛け合って、特別転入枠で編入した逸材。知ってるわよ! 私、貴女の作品読ませてもらった。ほんっとうに凄い! 風前の灯、一年生が四人集まらないと廃部と去年言われ、四月、五月と勧誘をしたが集まらず、もう駄目だと思った矢先、この文芸部にやって来てくれた強力助っ人! はい。早速この入部届に記入して!」
ペンを持たされ入部届に記入させられる。
まぁ、入部はするつもりだったから何も問題はないのだが、部員がわたしと部長だけというのに驚いた。
「あの、部員さんはいないのですか? 二人だけですか?」
「あぁ、私が部長になってからは、本格的に執筆活動を課題したところ、ハンパ連中は全員辞めてしまった。でも、勘崎さんが入ってくれたら、あと三人ぐらい余裕で見つかるだろう。なにせ、流星ミステリ大賞だからね!」
それが原因で前の学校では、お高くとまってるとか言われ、友達が出来なかった。
「あの、わ、わたし……、学校では出来るだけ、作家だってことは隠したくて……」
「そうだ。次回作はもうできているのか!」
全く聞く耳はないようだ。
「あの……、今の処、予定はないんです……」
「そうか、残念だ! でも、貴女なら直ぐできる」
何かペースが掴めない。勢いで押し負ける。それでも、辺りを見渡し、部室に林先生がいないことだけは確かめた。
「あ……、あのぉ、林先生に……ご挨拶したいのですが……、何処にいらっしゃるかご存じでしょうか?」
その問いに御園の眉が大きく歪んだ。
入部届を手にすると、何も言わずに、奥にある棚に一旦直した。
それからゆっくりと振り返り、わたしの顔をじっとみると、悲しそうな瞳をした。
「林徳子先生は死んだわ……」
「えっ」
とんでもない言葉を発する御園に思わず耳を疑った。
「あの、え……、そんな、じょ、冗談ですよね……」
御園はゆっくりと首を振る。
「林先生は、ボート部の顧問も兼任していて、そのボート部の合宿で殺された。聞いてなかったの?」
言葉を失うわたしに御園はゆっくりと説明を始めた。
ボート部の顧問、芦田先生が行方不明になり、林先生が代役を務めることになった。その理由は、林先生が地元出身で、祖父が水神祭の実行委員だったことが原因らしい。
ちなみに、今回、再会される水神祭の実行委員には、芦田、林、両名の先生は名前があった。
失踪したボート部顧問がどうなったのか、先生は顧問となり、その謎を探るつもりだったようだ。
しかし、一週間前の合宿で事件は起きた。御園は死因については調査中だという。
「先生は貴女が来るのを待っていた。ボート部で起きた謎を是非解いてもらうって。ミステリ作家なら、謎解きは私たちより得意だろうってね。そう言ってた」
御園は真顔で眼は全く笑っていない。
林先生がわたしに謎の解明を頼もうとしていたこと、そして、死んだことは紛れもない事実だと思えた。
「でも……、殺されたのなら警察が捜査中ですよね……。なのに先輩が調査をするってどういう意味ですか?」
必死のわたしは、自分でも驚くぐらいに御園に平気に問いかけていた。
「警察の見解はでていないわ。初めは他殺だろうって色々調べていたみたいだけど、多分、事故死で確定ってところ。でも、事故なんてあり得ない。わたしは絶対に殺人だと思っている」
林先生が亡くなったこと事態に心が痛む。
それ以前に、別の先生の失踪や、警察の捜査に先輩は異を唱えるような言い方をする。
「あ、あのぉ……、事情がよく呑み込めないのですが……、つまり、先生はボート部顧問失踪の謎を解こうとして殺された。その失踪の謎が死に関係していて御園先輩が調査をしているという感じなんですかね?」
林先生が一週間前にわたしに送ってくれた資料は、もしかして、この謎に協力して欲しかったからだろうか――。
「さすが、勘崎さん! 話が早い。先生が解けなかった謎も貴女ならきっと解ける。すぐに現場に案内するわ」
強引に御園に連れられて部室を出た。
「直ぐ近くなんですか?」
「学校からはそう遠くない。歩いても行ける距離よ」
学校の校門を出る。
そのまま駅前へ向かい、商店街を抜けていく。城下町だった古い街並み、その佇まいは今も残っていた。初めて通る街を物珍しそうに眺めながら、わたしは、御園に連れられ、街からはずれて、いつしか山道を歩いていた。
道中、事件のあらましを聞いた。
元々ボート部顧問で美術の顧問も務める芦田先生が謎の失踪を遂げたのは新学年がスタートして一か月と少し経った頃、ゴールデンウィーク中だったらしい。林先生と芦田先生は、非常に仲が良く、お似合いのカップルだったらしい。ちなみに、芦田先生は御園に言わせるとオジサンらしい。
噂では結婚も間近だと言われていたとかいないとか――。
「芦田先生は見つかっていないのですか?」
御園は首を横に振る。
「林先生は芦田先生が失踪する前に色々相談を受けていたそうなの、だからこそ、失踪は自分がきちんと相談に乗ってあげられなかったせいだと悔やんでいた。私、芦田先生が何を相談していたのか、林先生に聞こうとしたんだけど、勘崎さんが来たら話すの一点張りで結局聞けずじまいだったの」
わたしにだけ話そうとした理由は何だろう。本当にミステリ作家だからとか、辞めて欲しい。
わたしは警察ではないし、探偵でもない。
「それで、林先生の死因は何ですか?」
「おっ、探偵らしい情報収集だな」
「そんなんじゃありません。気になっただけで……」
「うん。直接の死因は失血死。けれど、失血するに足る怪我があった。頭蓋骨陥没に頸椎損傷、はじめ、警察の見立ては、頭部を固いもので殴られたと結論づけた。ただし、途中訂正、高いところから頭から落ちたと変化した。どうも、落下で生じる衝撃が頭蓋骨と首に現れていたそうよ」
「高いところから落ちたのですか?」
「あぁ、そうなると、色々問題があるんだが」
「問題って?」
「死体は合宿五日目の朝、コテージのベットで発見されたんだ。そうなると、何者かがベットに死体を運んで寝かせたってことになるの」
なるほど、それは他殺を疑うのは当然だ。わたしは喉が緊張で渇き、唾を何度か飲み込んだ。
三か月前に一度、学校に面接に来た。その時に会った元気な林先生の姿からは、思い悩んだ姿は想像できなかった。
確かゴールデンウィークの前だった。となると、芦田先生が失踪する直前だったのだろうか。先生が、その後に事件に巻き込まれ、亡くなってしまう想像なんてできなかった。いや、今も悲惨なそんな最後が先生に起こったなんて想像もできない。
山道の木々が切り開かれ、海岸沿いが再び見えた。海が見えると、そう遠くまで行った気はしないが、時計を見ると、もう三十分は歩いている。
背のある杉の木に囲まれた駐車場に御園は入っていった。そこは多数の立派なバンガローが建ち並ぶ、キャンプ場であった。
ボート部が合宿を行っていたという問題のキャンプ場に到着したのだった。
受付に顔を出し、従業員に事件現場を見せて、と頼む。
すんなりOKがでた。
「貴女が林さんが相談したかった人ね」
従業員の女性が何処まで知っているか分からないが、御園にアイコンタクトをする当たり、御園は意外に行動的に思える。
「はい。やっと、来てくれました」
「じゃあ、鍵を取って来るから待ってて」
女性が離れた大きなログハウスのような事務所に走って行く。
「先生の件で何度も足を運んだの、だから、半分顔パスなの」
御園の顔が利くのは状況を知る上では非常に助かる。ただ、探偵の話は書くが、探偵の真似事が出来るのとは話が違う。
「先輩……改めて……、あ、あの、言っておきますが、わたし、推理とか事件の解決とかできないですよ……」
振り返った御園の目は冷たく、そんなことは分かってるとでも言うようだった。
「それでも聞いて、足りないところは私が補うから、お願いだから」
その一瞬に絶望の表情が読み取れた。彼女が元気な理由、その裏にある全てが終わったような先ほどの顔は、何を意味するのだろうか。
解決できないと言って、そんなことは分かってると言う。なら、なぜ連れて来たのだろう。
事務員が戻って来て、そのまま、フェンスで仕切られた敷地内へ鍵を開けて入れてくれた。ここのキャンプ場は、外から自由自在に入れるわけではない。ただ、三メートルほどのフェンスの上を越えれば可能だ。
わたし達は、薄茶の天然木で出来たバンガローが並ぶ場所へとやって来る。
遠目からは質素に見えたが、近づくと普通の家と同じで外も窓から見える内側も合板で補強されてしっかりしている。
逆に高級感さえ漂っていた。一番、最奥にあるバンガローで事件は起きた。
その場の鍵を開ける。
室内は、薄黄色の木の肌を研磨した壁に、美しい輪のデザインが光輝くフローリングのデザイン。ここで一晩過ごせたら快適だろうなと思える。
建物内部も細部まで清掃されており、テーブルも床も光っている。
「あの日以来、警察から出来るだけ保存を頼まれましたから、宿泊客はまだ通してない。本来、泥を落として靴のまま上がってもらうんだけど、今日も靴は脱いであがってね」
この綺麗な部屋は事件当時のままらしい。
御園が慣れた感じで、靴脱ぎで靴下になり、そのまま室内へ入った。
「こっちに来て、勘崎さん」
御園に呼ばれ、靴を脱いで室内に進む。
「林先生の遺体は、この二段ベッドの上で見つかったの」
ベッドを覗き込む。シーツや布団はなく、ただの板張りになっている。
「部屋は内側から施錠され、鍵は室内の机に一本と、合鍵が先ほど、彼女が取りに行ったログハウスに一本あっただけ」
「密室ってことですか?」
「そうよ。監視カメラを確認した警察が、ログハウスにある合鍵を誰も持ち出した形跡がないと結論づけた。この部屋に入ることができたのは、林先生の鍵だけ。でも、その鍵は彼女が亡くなった時、テーブルにあり、バンガローは施錠されている。当然、全ての窓が内側から鍵が掛かっていた。すなわち密室で林先生は亡くなったということ」
御園は説明する。
最悪である。
自分の知っている先生、わたしを呼んでくれた先生が、密室殺人で殺されたというのだ。
「どう思う」
聞かれても困る。
御園はゆっくりと話し出す。
「私も色々考えた。犯人が林先生を殺し、鍵を手にして外から締めるとする。そうなると、鍵は室内には置いていないことになる。でもテーブルにある。ということは、犯人が鍵を内側から締めたなら犯人は出られない。この部屋の様子を見て、ミステリ作家の勘崎さんなら、なにか犯人の手口を発見できない? 密室殺人のトリックがわからない?」
御園が問う。
施錠された密室での遺体発見。
自殺以外は考えられないから、不思議さがあり、ミステリーとなる。
小説を面白くする手段としては、非常に楽しい命題で、数々の作家が色んな謎解きを考え出した。だが、現実の殺人となると全く糸口は見当らない難儀な代物である。
扉や窓を確認してみるが、鍵を外から締める方法などは、とんと考えつかない。
御園を見て頭を下げる。
「先輩、ごめんなさい。わたし……、分かりません」
「やっぱり、無理かぁ。悪い悪い、本当に悪い」
御園は従業員の彼女に頭を下げた。
「色々と厄介なことを頼んですいませんでした。やっぱり、高校生には解けないようです。先生が、勘崎さんならとおっしゃってたので、もしかしたら何か分かるかもと思っていたんですが、ごめんなさい」
御園は深々と頭を下げた。上げた顔は泣いていた。
「ごめんなさい……」
ハンカチを出して目尻を拭く。先輩はずっと、わたしを待っていた。
心の奥底に何も出来ない自分が腹立たしく思う。
わたしは、部屋を出て行こうとする二人に向かって、言葉を掛けた。
「トリックを解くことに固執するから、よくないんだと思います。視点を変えることが時に重要です」
「密室に固執してるってこと?」
「はい」
「意外と、謎は単純だったりしますが、手がかりがないと辿り着けないものです。ミステリーで言うハウダニット、つまり HOW = 殺害方法、が分からなかったとしても、他にフーダニット、WHO = 誰が。ワイダニット、 WHY = なぜ? という、問題で、林先生を殺した犯人にアプローチすれば、きっと何かが判ります」
言ってしまって後悔する。
二人の期待を受けて続きを話す。
まるで、自分が書く推理小説のように――。
「その後、他からのアプローチで、知りたかった殺害方法も分かる場合があります。御園先輩、林先生は芦田先生失踪の謎を追いかけていたと言ってましたよね。そこにこの事件の謎を解く鍵があるんじゃないですか。まずは同じようにそれを調べることを提案します」
御園は涙を拭いた。目は赤く腫れているがもう泣いてはいない。
「勘崎さん、詳しく教えて、何探ればいい?」
わたしは口にしたことを戻せずに、いらぬことを話したと天井を仰いだ。だが、御園先輩の苦労や期待を考えると、林先生の為にわたしも何かしたいと思えて成らなかった。
「まず、直前に先生が調べていたことが分かりませんか、事柄や場所など何か、林先生が調べていたことが詳しく分かれば、わたし達もそれを調べたいのです」
御園は力強く頷いた。従業員の女性も「私もこの事件は解決して欲しい。だから、協力は惜しまない」とわたしを試すように、太鼓判を押した。
御園は天井を見た。
「林先生……、泣き続ける『泣き岩』、戦国時代に攻め滅ぼされた城の跡地にある『城山高校』、街を守るために侍が戦った合戦場だった場所に建てた『キャンプ場』、ボート部が練習を行う『大口の入り江』、先生が亡くなる前の四日間は、そのあたりを充填的に調べていた……、そうボート部員が言っていた」
わたしは御園の話す場所は、城山高校と、今居るキャンプ場以外は全て初耳であった。林先生は、芦田先生の失踪を調べていたはずなのに、なぜ、城や合戦場などを調べていたのだろう。
「『泣き岩』と『大口の入り江』って何ですか?」
「どちらもボート部の練習場の近くにあるの。このキャンプ場から、海側に降りた砂浜の先よ」
昨晩見た夢に、ボート部の三人の先輩が出て来たのを思い出さ板。何か意味があるのだろうか、ふと、そんなことを考えながら、事務員に感謝を伝え、キャンプ場を離れた。
わたしはいらない期待を御園先輩にさせてしまってないか、都合のよい言葉を並べてだ。
御園先輩に続き、山道から脇に抜ける。背の高さ以上ある葦の林が茂る。でも、人がギリギリ行き違いできる幅だ。
そこを抜け下り坂を降りる。
日除けの屋根に柱に付いた東屋が建ち並ぶ砂浜に出た。
それぞれにテーブルと丸い石の椅子が設置されている。遠くの東屋には、オレンジのジャージを着た学生が並んで立っていた。
「あれがボート部の面々、で、この入り江が『大口の入り江』と呼ばれている場所なの、左右から岬が伸びて、自然に外海の波から守られている。右の岬は小高い山になってるでしょう。あの岩山、海面近くに大きな穴があいてるの。見える?」
確かに穴が開いている。何か既視感がある気がした。
「あそこに海風が吹き込むと男の人とか女の人とかの泣き声のような音を鳴らせるの。だから、『泣き岩』って呼ばれている」
わたしは耳を澄ませてみるが全く聞こえない。
「駄目よ。夜十一時とか、朝の五時とかに決まって鳴るから、今は聞こえない。海風の仕業というけど本当の原因は良く分かってない」
御園が、入江の北に浮かぶ二艘のボートを指差した。
「ボート部が練習してるわ。あそこが出発点、こっちの私たちのいる南の岬まで、この広い入り江が練習場になってるの」
ボート部!
思わず目を凝らすが、豆粒のような小さい船に乗っている人の姿など、ここから見えるはずもない。
わたしは誰を捜しているのだ。
ピー、という笛の音が海辺に響いた。
機械仕掛けの動きのように船から延びる八本のオールが綺麗にシンクロを始めた。
徐々に二艘のボートが水面を滑り加速していく。
「男子クォドルプルのタイムトライアルね。四人の漕ぎ手と一人の指示者が乗るボート競技よ」
御園先輩がすらすらと話すのを聞いて少々驚く。
「先輩ってボートにも詳しいのですか。もしかして、ボートが好き……とか……なのですか」
「何言ってるの! 運動部も、運動部の人間も嫌い。私はね、林先生が何を調べていたか知りたいから、林先生がボート部の顧問になったなら、ボートの事も知れば何か分かるかもしれないって、必死に覚えただけ……それだけ! でも何も分からない……」
声を上げた御園はわたしに寂しそうに笑った。
「ごめんなさい。勘崎さんにあたっても仕方ないのにね、私は駄目だね、でもね、先生には色々助けてもらったりしたから、何も返せないまに死なれてね、部も潰してしまうかもって、だから、勘崎さんが手伝ってくれるのが凄く嬉しい」
御園の眼鏡の奥から見える目は強く逆立っていた。興味本位に謎を解きたいのではなく、林先生の死に真剣に向き合っていた。
ひしひしと分かる。
おそらく部活動を続けるにあたり、先生の助力が大きかったに違いない。私にも熱心に編入の手伝いをしてくれた林先生だ。そういう先生だったに違いなかった。
そして、御園がそうであるように、わたしもそうでありたい。林先生が、なぜ死んだのか、答えを誰も手伝ってくれなくても、自分一人でも知りたいと思った。
日除け屋根の下からボート部員の応援が響く。
「マーティ! ピッチ早すぎ!」
「マーティ! 一人でリズム乱してるぞ!」
ハッとする。部員の見つめる前方の船、一人のオールが徐々にシンクロより早くなる。
「マーティって? 高久正輝先輩のこと……?」
わたしは独り言のように呟いていた。
「その通りよ。マーティンブライアンっていう選手にそっくりで、名前が正輝だからマーティ。シングルスカルという一人漕ぎの競技で全国一位が高久くん、うちの二年生よ」
わたしが知っている高久なのだろうか?
ここからでは遠すぎて、よく分からない。
「ダブルスカルという二人漕ぎでも、来栖という男子とペアで、全国で三位の成績らしいわ」
御園の説明にまた、知った名前が出て来た。
――来栖――。
まただ。
夢で逢った二人のことを御園は知っている。
彼ら二人は実在する人物のようだ。
こう言うのを、正夢というのか、何と言うのだろう。
綺麗にシンクロする後方の艇が少しずつスピードあげていき、前の艇を抜き去っていく。そして、その差はどんどんと広がっていった。
「来栖の勝利でマーティの負けだ。オールの漕ぎが早すぎや、マーティ、芦田先生にいっつも言われてたのに、まだ合わせられへんなぁ」
残念そうな部員の声が聞こえる。おそらく私服を着ていることから卒業した先輩のようだ。
来栖のボートが先にゴールした。
ガッツポーズを見せる大柄な男子の姿が見えた。
見間違いするはずがない。確実に来栖である。
競り負けたボートには、オールを水面に叩きつける坊主頭の姿があった。
こちらも間違いない。高久である。
レースの一部始終を見終えたわたしに御園が肩を、ポンポンと叩いた。
「ボート部について事前に調べていたのね。さすが、林先生から本当は色々聞いていたんじゃないの」
御園が嬉しそうに笑うので、夢だと言えない。
「言ってくれればいいのに。先生の死の謎、勘崎さんが一緒に調査してくれるなら心強いわ!」
「そういうんじゃなくて……その……あの……」
夢で高久と来栖に逢った。
そんな話を御園にするべきだろうか。馬鹿にされるに決まっていた。
先生の死が、高久と来栖と夢であった理由なのだろうか。
不思議なことが次々に押し寄せ、わたしを苦しめる――。
「調べてみたい……かも……」
その呟きを誤解した御園はすっかりその気になった。
学校の部室に戻ると、前顧問の芦田先生が美術部の顧問でもあること、御園が調べた詳細な情報を話してくれた。しかし、林先生の死を解決する糸口は全く見えず。夢で二人に会った理由も分からなかった。
日が沈み、御園は時間が惜しいと自宅までついて来て帰宅途中もずっと話を続けた。
実際に、芦田先生の行動も追ってみるべきじゃない? とのことで意見は一致した。
祖父の家である我が家に到着し、お開きとなる。また明日に話そうと御園と名残惜しいが、御園と別れた。
漁から戻りビールを飲んで上機嫌の父が、「初日から居残りか」とからかってきて、少しムッとして、「ウルサイ!」と腹を立てる。
顔を洗うと祖父が後ろを通りかかった。
「その肘。どうしたんや? 転んだのか!」
「あ、船のへりを飛び越えた時、転んで……」と言いかけ、馬鹿な話をしようとするのを止めた。「なんでもない」と笑って誤魔化した。
食後に自室に閉じ籠り鍵を締める。
今日は小説を書く気にはなれず、痣になった肘をさする。
気にしなかったけど、これって、あの時の怪我よね、なんで夢で起きた怪我が起きてもついてるの?
ボート部が存在し、高久と来栖の二人の先輩は実在した。
嫌、知らない二人が夢に出てきたというべきだろうか。
更に、林先生が亡くなっているという、正直ショックが大きいが、先生がボート部の顧問を臨時といえ、兼ねていたことは何か関係があるのだろうか。
先週先生から送られた手紙を思い出し読み直そうと、机の上を探す。
小説の資料の間から見つけてベッドに横になり封を開ける。
時計が十一時を指したところで、睡魔で手紙を落とした。
昼間、御園に聞いた『泣き岩』辺りから低い男が泣くような声が響いた。
おおおぉぉぉぉおおおぉぉぉぉぉ
夢と同じだ。泣き岩が泣いている――。
その瞬間、激しい睡魔に襲われた。どすん、という音と共に床に叩きつけられた。
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