幻岩島の謎

七刻眞

第1話 海の上

潮の匂いがして波の音がした。目を覚ますと煌めく星座が広がる満天の星空だ。琴座のベガと白鳥座のデネブは直ぐに見つけられた。そのまま、南へ視線を移すと、鷲座のアルタイルもある。

星と海が好きだ。だから、こんな夢を見るのだろうか。

――これは、本当に夢のなのか――。

強い海風に流された暗い雲が星空を隠していく。そんな中、暗闇の下ゆっくりと腰をあげる。左右に首を回すが、見渡す限りの大海原、お布団より少し大きい船の上に、わたしはいた。



生暖かい風と冷たい波しぶきが肌を撫でる妙に現実感のある夢。わたしは船の後部に座っていて、背中の縁の外へ手を降ろせば海面に指先が触れそうになる。跳ねた波が手に掛かり、びっくりするほどに冷たいことに驚いた。周りに灯りは一切無く、波に反射する僅かな星明かりだけでほとんど、暗闇であると言って差し支えない。



左隣に人影が感じたわたしは、思わず後ずさった。細い腕に細い足、寝息と共に聞こえる大人し気な嗄声が、影の主が女性であることを気づかせる。揺すって起こそうと手を伸ばした。


「おい」


若い男の声が聞こえ、思わず手を引っ込めた。

前方にも人影があった。目を凝らすと、どうも二人の男性が、隣の女性のように体を横たえ眠っている。「おい」と言った声の主は目を覚ましておらず太い寝息が聞こえてくる。

寝言だったのかな。



祖父の住む漁港のある田舎町に昨日、引っ越してきた。昨夜はその疲れですぐに眠ってしまったと記憶している。寝た時の姿のまま、パジャマを着ている自分がいるのだから間違いはない。

ふと、自分の置かれている状況が、抜き差しならない状況であることに気づき、全身鳥肌が立ち始めた。

きっと、わたしは寝ている間に攫われたに違いない。

どうやってかは分からないが、窓を開けて寝たからだろうか。

船の前で眠っている二人の男、彼らに連れ去られたとしか思えない。

想像力の逞しさだけは自信がある。

きっとそうに違いない。

逃げだそうと辺りを見渡すが、大海原に漂う一艘の船の上では逃げることなどできはしない。周りが海なのもあるが、何を隠そう、わたしは泳げないのだ。これは、本当に成す術がない。

そもそも、どうして、こんな小さい船に乗せられ海にいるのか、その意味さえ分からない。人身売買? 拉致監禁? でも、なぜ、海? 何がどうなっているのか想像しようとしたが、自分にこれから起こりそうな想像は、怖くて体が震えて出来そうにない。

奥歯を噛み締め船の端へ端へとただ、後ずさった。波の上に浮かぶ船で体を急に動かしたせいか、重心がかわったせいで、大きく船が揺れた。


「わわわ、」


海に放り出されるかと、なんとも情けない声をあげ急いで口を押える。この人達が起きてしまう。わたしは、慌てていた。口を押えてたため、体を支えられなくなり、船床に思いっきり転げ落ちた。船の縁を思いっきり蹴った事で、ガタン、と酷く大きな音をさせてしまった。



音に気付き、隣の女性が目を覚ます。目を何度も擦すって体を起こした。

わたしの想像力が、何とかしないといけないと働きだした。そう、彼女とわたしは、前の二人の男に攫われたに違いない。彼女と一緒に脱出するのだ。仲間は多いほうがいい。

気づかれずに逃げる手段を考えろ。

でも、どうしたらいい。

彼女に声を掛ける勇気すら、わたしにはない。



そうこうしているうちに、左前の大男が大きく寝返りをうった。大きく円を描くように振るった腕が右前の男の顔面に直撃した。


「痛ったぁ!」


 がばりと体を起こしたのは坊主頭の男である。私は更に船の端で縮こまる。

「えっ、何……、何だここ、海の上?」

 顔を擦りながら男が寝ている大男に身構えた。腕を振るった男のほうも、もそもそと肩肘をついて体を起こした。

「その声、まさか、マーティか?」

外人の名前を耳にするが、やり取りされる言葉は、しっかり日本語である。

「おい、マーティ、どういうことや。ここは海か、寝ている間に俺を連れ出したんか?」

 その声にこたえるように、顔を摩る男も相手に見覚えがあるように落ち着きを取り戻す。

「お前、来栖か? お前こそ、僕を連れ出したんじゃないのか、こんなことしたら、冗談じゃ済まされないぞ。これはどういうことだ」

「マーティやないんやったら、なんで、俺たち海にいるのや?」

 男二人が知合いなのは間違いなかった。そしてわたしと同じように、船に乗り海に漂っている理由が分かっていない。

「なんかのサプライズか、もう驚いたから、ネタバラシせぇえよ。一体、何だよコレ」

「そんな訳ないだろう。ふざけるな」

 妙なやりとりがしばらく続いた。どうも、この二人が、わたしと隣の彼女を誘拐した犯人ではないのは明白だった。



「なに、これ? どういうこと?」

 初めは、きょろきょろと辺りを見渡し二人の会話を聞いていたが、状況を理解して来た隣の彼女は二人の男に話しかけた。

ほぼ同時に、


「京子か?」


という言葉が男から発せられた。

「え、そうだけど、その声、来栖くん? あとは、高久くん。えっ、何で二人が一緒なの、ここ海の上じゃない。え、どうして私たち、こんなところにいるの……」

「あぁ、何か分からないけど、僕たち三人が海に漂ってる。どういうことか、さっぱり意味がわからない」

 三人は、かなり親しい様子である。真剣に状況を理解しようとしているが、不思議なことに三人とも、海に漂う理由を理解していない。わたしと同じだ。ということは、どういうこと?



 一人がこちらに気づいた。

「おい、その隅っこにもう一人いるぞ!」

 坊主頭がわたしに気づいた。京子を守るように体を移動し、こちらを向いた。

「おい、きさま、どういうことだ。僕たちを誘拐したのか!」

「俺たちを攫った犯人はおまえか! なんでこんなことするんや!」

 恐怖に震えながら、更に端に後ずさりする。

「ち、ちがう……」

否定する。船の縁が背に当たり、泳げるなら、飛び込んで逃げ出したいが、逃げることはできない。

「わたしも……ええと……」

声が出ない。でも、はっきりと言わないといけない。同じ境遇だと、話せば、理解してもらえるはずなのに、震える声をあげる。

「あの……わたし……」

「おまえ、何者だ!」

マーティと呼ばれた坊主頭が静かに怒声の効いた声で問いかけた。

「この船へ俺たちを運んで、この先どうする気や、どこへ連れて行くつもりや!」

大きな体の来栖と呼ばれた男が問いかける。京子は逃げるようにわたしから離れて、船の前方へ二人の男たちのほうへ身を寄せている。


「おまえは誰だ?」

 額に冷や汗が滲みだす。

「わ、わたしは……」つばを飲み込む。「か、勘崎朋美、和歌山城山高校の一年生……。気づいたら船の上に居て、あのぉ、わたしも……意味が分からなくて……お、同じなんです……」

必死だった。

こんなに大きな声で話したのは初めてだった。

きちんと説明できただろうか、いつも、わたしは友人を前にしても、上手く喋れず、しどろもどろになる。



しずかな沈黙の時間が流れた。



男性二人は顔を見合わせた。

京子は首を傾げている。

雲に隠れていた星々が顔を出し、こちらを覗こうとする三人の姿を照らし出した。男はジャージ姿、女はパジャマ、三人とも、わたしと変わらない年齢のように見えた。

 坊主頭と、短髪で目つきが悪い男子、ショートカットの凄い美人の女子、三人とも、高校生ぐらいに見えた。



「今、和歌山城山高校って言った?」

男子の脇から『京子』と呼ばれた女子がひょこりと顔を出した。人形のような小さく丸いシルエットを傾げつつ、こちらを見据える。

わたしは声が出ずに、首を目一杯、縦に振って頷いた。

 京子は後ろの男子二人に「ねぇ」と声をかけた。「彼女、本当に同じ高校生みたいじゃない」真剣な顔だ。

「本当かどうか、わからんぞ」

 大きな男が否定する。

「でも、今、和歌山城山って言ったし、なんか、舌っ足らずな幼い感じだし、言えるのは、私たちを攫った犯人より、同じ犠牲者って感じだけど」

 男たちも動揺している。

「ねぇ、私も同じ、和歌山城山高校の二年、美馬京子っていうの。知ってる?」

優しく微笑んでくれる。耳に掛かる程度の髪が揺れる。小さい顔に目鼻立ちが整った凄い美人。男子にも、良く通る声で、ハキハキ話す姿に思わず憧れる。何より、わたしを信じてくれるのがいい。

京子が挨拶したことで、大男も鼻先を指で掻きながら視線を合わせず話し出す。

「俺は、来栖晴斗や、ホンマに同じ高校か? 見たことないんやけどな」

図体が大きく力が強そうな来栖は、眉間に皺を寄せている。わたしの言葉を信じていないようだ。

「僕は高久正輝だ」

マーティと呼ばれていた彼は高久という名前で、日本人らしい。スラリとした細身で卵型の坊主頭、でも京子と同じように、整った顔が羨ましいぐらいのイケメンだった。なぜ、マーティと呼ばれるのか聞きたかったが、当然、聞くことなど出来ない。

「俺ら三人共、同じ城山高の二年やけど、おまえ、城山高の一年なんやろ。何組なん?」

 眉をひそめたまま、体の大きな来栖が見下ろしながら問いかける。

「あっ……、あの……わわ、わたし」

息を飲んで言葉にする。

「二学期から転入予定で……、まだ組は分からなくて……」

言葉尻が小さくなって、きちんと聞こえたか分からない。

「転校生?」

「それって凄いな」

 京子と高久が感心を示す中、来栖だけが目を細める。

「うちは私立だから、途中転入はよほど成績が良いか、特別技能がないと入れんはずや、おまえ、やっぱり怪しいなぁ!」

 睨みつけてくる。

「もういいでしょ」

京子が、わたしのほうへ来て、ぎゅっと抱きしめた。震えているのがバレるのが怖くて、何が何だかわからなくて縮こまっていた。

「来栖くん。怖すぎ! 下級生をイジメてどうしようっての」来栖をしかりつける。「ごめんね、怖かったわね。もう大丈夫よ」

涙が自然に流れてワッと泣き出してしまった。

「おい、来栖、おまえが怖がらせるだからな。しっかり謝っとけ!」

 高久も来栖に当たる。

「わたし達と同じなら、やっぱり意味がわからなくてここに居るのよ! なのに、そんな顔で凄んだら私でも怖いじゃない!」

身体の大きい来栖は二人に責められて頭を掻いた。

「すまねぇ」とぶっきらぼうに謝った。



「それにしても、転校生なんて、勘崎さん、頭がいいんだね」

 高久が言う。京子はわたしの頭を撫でながら、優しく声をかけてくれる。

「いいのよ、気にしなくて……」

「それよりや。それより今の現状を把握しよう! なぁ、俺ら何でこんなところに居る? 夢とちゃうみたいやけど、でも夢としか思えんねんけど!」

「そうね、こんなリアルな夢あり得ないし、どう考えても現実でしょう」

 三人とも頷く。わたしも、コクリと同意した。

「誰かに船に乗せられ漂流させられたってことか、意味わかんねぇな。よく見えねえし鬱陶しいし!」

 二人が来栖の顔を見つめる。

「来栖、おまえ眼鏡は? ちゃんと見えてるのか?」

口を尖らせ顔の前で手を振る。

「あかん。あかん。ぼやけとるで。ぜんぜーん。見えてへん。最悪や!」

「なんで、僕たちがわかる」

「そんなん、声でわかるやろ。それよりここはどこやねん。そっちのほうが重要やろ!」

 ため息意を突きながら、高久が遠くの海原を見つめる。

「さっぱり分からないな。誘拐だとしても犯人は見当たらないし、漂流させる意味も不明だ。一体全体、どうなって僕らは、ここにいるのだろう?」

 高久の問いかけに、どうなるか、どうするか,について三人が話し合う。わたしは彼らの会話に相槌をうつのが精いっぱい。そうやって、必死に考える三人の話を聞いているうちに、いつの間にか、わたしの震えも止まっていた



京子が「もう大丈夫?」と聞いてくれた。

「はい」

 彼女の優しさのおかげで大分落ち着いたし、なんだか家族のように普通に会話が出来ている自分がいる。

「攫われたとしたら、マーティが原因やな」

 来栖がジトッと纏わりつくような目で高久を見る。

「何で僕がそこで出てくるんだ。勝手に決めるな!」

「だって、そうだろう。爺さんが市長で父さんが医者だろう。めっちゃ金持ち家族やんけ、身代金も多くもらえそうや。それに引き換え、俺ん家は貧乏やぞ。身代金払うぐらいやったら、熨斗付けて犯人に献上されるわ。誘拐する意味すらあらへん」

 高久が鼻で笑う。

「つまらん話だ。その誘拐犯が見当たらないとさっきから言っているのに、攫った目的を想像しても意味はない」

高久は来栖の話に付き合っても解決しないと取り上げさえしない。彼を無視して船上で立ち上がった。そして、ゆっくりと首を巡らし周りを確認した。

「とにかく騒いでないで冷静になろう。船に乗ったままじゃ危ない。大きな波が来たら転覆する危険もあるし。なぁ、皆で、陸を探さないか?」

「そうね」

京子が素早く同意した。

来栖も「そうやな」と答えたが、無理に目を細め遠くを見ようとしているようだが、おそらくよく見えないのだろう。何度も首を振る。

わたしは視力がいい方だ。

来栖が見えないなら、替わりに見てもいい。

三人が立ち上がり海の遠くをじっと見つめている。そこへ加わり真っ暗な夜の海を見つめた。揺れる船で、しかも夜の波間に何かを探そうするのは非常に難しいということがわかった。

じっと地平線を見つめる。来栖だけが何度も目を擦っていたが、とうとう、諦めらめて座り込んだ。十分ぐらい経っただろうか、突然、高久が大声をあげた。


「島が見える!」


同時に遥か地平を指さす。

「本当!」京子も声を上げて船で小躍りする。

来栖は立ちあがり常闇の地平に視線を投げつけるが、やはり首を振って肩を竦めた。

彼の視力は相当悪いようだ。

わたしにも暗い海原の先に大きな影が見えてはいた。

「来栖! あそこに行くぞ! この船、オールが付いているだろう。僕と二人ならすぐに皆を島まで連れて行ける!」

「うっさい。俺に命令すんな!」

 ここまで二人は、決して仲が良いふうには見えなかった。終始言い合いをしていたし、知合いではいるが、敵対しているようにも見えたからだ。

その二人がオール横に一列に整然と並んだ。

まるで、示し合わせたように当初の寝ていた位置だ。来栖が左のオール。高久が右のオールをほぼ同時に握る。凄く息の合った二人な感じがした。

「俺は島が見えてへん。マーティ、船の向きは頼むぞ!」

「おう、任された」

高久が頷き、波を掻いて方向を定める。

「5,4,3,2,1、スタート」

高久が高い声をあげた。

「キャッチ、ロー、キャッチ、ロー」

息の合った掛け声と共にオールが水面を掻き、船が進みだした。だんだん掛け声のピッチがあがると船に勢いがでてくる。加速に体がおもわず仰け反った。水面を滑るように船が、ぐん、ぐん、と加速していく。

 京子がふら付くわたしを再び抱きかかえるように支えた。少し笑みを浮かべているのが分かった。

「驚いたでしょう」

ただの高校生だと思っていたのに、ベテランの船乗りのように? 船を操る二人にびっくりする。

「私達ボート部なの。来栖と高久の二人はダブルスカルとクォドルプルという競技の選手。高久くんは、シングルスカルでも優秀な成績を残している、凄く強い選手なの」

 ボート競技?

そう言えばテレビで沢山の人間が船を漕いでるシーンを見たことがある。あぁ言う奴だろうか。

 オールを漕ぎながら来栖が言う。

「俺たちは全国を狙える選手や。そこの美馬京子も全国選手や。誘拐犯も馬鹿やな、俺たちを船で漂流させるなんて、どこへでも行けるっちゅうねん。間抜けな犯人やな」

こんなどうしようもない状況でも、来栖の破天荒な突き抜けた明るさは場を和ませた。それに、高久だ。慌てる皆を落ち着かせ、皆を率いて島を見つけ向かうという聡明さがある。頼りになる先輩たちだと安心した。



海上の黒い影が次第に大きくなり、二人の息の合った漕ぎのおかげで、とうとう見上げるほどの大きさにまで迫った。オールを握る手を緩めると船は惰性で進みだす。星明りに照らし出された島を見上げる。

島は巨大な岩が、海から突き出たような絶壁の巨大な岩島だった。数十メートル上に赤や緑の色をした屋根の建物が、雨後の筍のようににょきにょきと生えている。街があるのだ。ただし、絶壁の島の上にある街なので、簡単には上陸できそうにない。

「あそこにどうやって行こう」

 高久がぼそりと言う。

「絶対、港があるはずや。そこから街に上れるに決まってる。行って話して助けてもらおうぜ。家に電話出来るだけでもいい。迎えに来てもらおう」

 じっと断崖絶壁を見上げていた京子が口を強く結んだ。

「ねぇ、怪しくない? これって、誘拐犯の島とかじゃないの? なんだか、とても危ない感じがする……」

 京子が感想を漏らした瞬間、高い波が艇にぶつかり船を大きく揺らした。わたし以外の三人は足を踏ん張り耐えられたが、中腰で震える足で立っていたわたしは、大きく船から投げ飛ばされた。完全に体が船から落ちて、船の縁にしがみついた。足は海水に浸かる。握ったはずの手が滑った。船から落ちて海面沈む。

体が沈んでいき、眼前に迫った海が、夜空以上に暗く果てしなく深いことを知る。


――落ちたら絶対死ぬやつだ――。


背中の襟部分を掴まれ、信じられない強い力でわたしは船に戻された。

「気をつけろ、落ちたらどうするんや!」

 怒鳴られて、船に転がったまま見上げたのは、怖そうな来栖の顔だった。乱暴な言葉は、怒っているというより、心配しているように見えた。

「なんとかして、上陸出来る場所を探そう! 船の上は危険だ。今みたいな高波がきたら、転覆もありうる。何があるかわからない!」

 高久がわたしを見て、次に京子を見る。

「え、冗談でしょう。嫌よ、わたしは上陸反対。気味悪いし」

 嫌がる京子に、高久は、今度は京子に視線を向ける。

「この船には水も食べ物もないんだぞ。このまま、昼になったら日陰もないから干からびてしまう。熱中症に成ったら命に係わるし、絶対に島に上陸したほうがいい。せめて木陰でもいいから避難できる場所があれば命の危険はない」

「そうやな、海の上より絶対安全や!」

京子はわたしが必死に頷くのを見て、少し唇を噛みながらも「そうね……」と渋々同意した。


上陸することを決めたのは良いが、目の前にある岩島は絶壁だ。当然上ることなど出来もしないし、島に近づくにつれ波が荒くなり船が大きく揺れる。

「波が岸壁や突き出した岩に当たって反射してるんだ。反射波と言って波間が荒れる」

「一旦離れよう。どうせ、ここから上陸はでけへん」

 再びオールを持った二人が島から離れる。右回りにぐるりと接岸可能な箇所を探すため島を廻ったが、結局、上陸できそうな場所を見つけることはできなかった。

「あかんな。どうやってあの人らは島にはいってるんや」

「見落としたんじゃない。近づかないから入口が見えなかったとか……」

「あぁ、そうだな。だが、無理に島に近づくと船底を岩が擦って穴をあける恐れがある。穴があくと沈没だ。これ以上近寄るのは危険極まりないし、どうしたものか……」

高久が冷静に船を操る中、島の一点を見つめて視線をとめた。

「あれ、洞穴じゃないか?」

同時に京子もわたしも、岩と岩の隙間に船が入れそうな穴があるのを見つけた。

 目が悪い来栖には見えないようだ目を細めて必死でいる。

「あの中に入ってみよう、波除けにはなる」

「大丈夫? 近づいて沈没とかしたら嫌よ」

「ゆっくり進もう。来栖いけるか」

「おうよ!」

 先ほどまでの高速の腕回しでなく、ゆっくりとでも確実に波をオールで掻いていく。進路は高久が見定め、船が島に高波に揺られながら近づいていく。入口に蔦にぶら下がる木の看板らしきものが見えた。

「《剩下五天》? どういう意味?」

 京子が不思議そうに眺めたが、わたしはチラリと見ただけだった。それよりも、船がギリギリ通れる幅だったことに肝を冷やしていた。ガリガリと船体が擦れる音をさせ、来栖と高久が船を穴に通す。なんとか、船の側面を何度か軽くぶつけながらだが、通過できた。

外の荒海とは違い、突然に静かな空間となった。洞穴の中は広々としている。しかし、予想以上に真っ暗な本当の闇だった。

「これで荒波は避けることが出来る」

「ちょっと待って、本当に真っ暗じゃない!」

湿気の充満した洞穴内は、ひっきりなしに水滴が水面に落ち反響音を響かせている。

「うひゃ」

「どうした!」

「大丈夫や、背中に冷たい雫が落ちて来ただけや」

来栖が少し照れたように見えた。

船は自然に奥へと進んでいき、入り口の星の光だけが薄ぼんやりと光っている。



次第に満ちる警戒心が皆の言葉を飲み込ませ、無口にさせる。

「これ、やばいよ。何も見えないし、何があるか分からないじゃない。戻ろう。もう戻ろう!」

 荒波にはめっぽう強かった京子が、今度は逆に震えている。

わたしは彼女がしてくれたように、ハグすると、今度はぎゅっと手を握った。汗と湿気で濡れた手だったが、それはわたしも同じである。そんなこと気にする余裕など、当然わたしにはない。

ただ、京子がしてくれたように、わたしもそうしたかったし、そうするべきだと思った。

「ありがとう」

 その言葉が凄く嬉しい。

「ううん。京子先輩、わたしも怖いです。けれど、……」

奥に灯りが見えてきた。

壁の所々にヒビ割れた岩の透き間から外の月光が帯状に斜光となり射し込んでいる。岩島の内側を漂う感覚は、まるで、卵の殻の内側にいるような気分にさせる。

その帯状の光が落ちる場所は、行先を照らす幻想的な道標のようにも見えた。わたしたちは、船から見える光の帯に従うように、洞穴の奥へ奥へと進んでいった。

流れに船を任せていると、とうとう、一段と開けた場所に出た。岩の壁が大きく裂けた場所で、星々が輝く夜空が垣間見れる。洞穴内にも関わらず、光が多く降り注ぎ水面とそこにある物を照らしていた。



同時にゾクリとした。


桟橋と船着き場が見えるのだ。



「やっぱり、この洞穴を通って島に上陸するみたいやな」

「そのようだな」

船はまるで導かれるように船着き場へと流れていく。


木で作られた桟橋の先には、これまた同じように木材で作られた大きな矢倉のような建物が見える。

船が近づくと、更にその姿は、水面から延びた太い木で支えられた階段である事が分かった。

まるで、天上世界へ続く建物のように上へ上へと真っ直ぐに支えている。

「アレ、まるで海賊のアジトじゃない?」

 京子が呟く。

しかし、灯りが全く点いていない。

海賊なら、今は外に出ているのだろうか。

「ひと気はないし、上陸してみよう」

「あそこに上陸するの、本気なの?」

「ずっと船で居る訳にもいかないだろう」

高久が言うことはもっともだ。来栖と二人で再びオールを手にして船を漕ぎはじめた。



既に一艘の船が停泊している船着き場に接岸した。船を固定する係船柱まである。高久は船首にあるロープを持って飛び降りると、係船柱にぐるぐると結わえた。船尾のほうは来栖が持って飛び降り同様に固定する。

「これで、船が漂流することは無い」

「来栖とちょっと上を見てくる。二人はここで待っててくれ!」

「ちょっと待ってよ、こんなところに置いていく気、そんなの有り得ないでしょ。私も行く!」

 京子が船から飛び降りた。

先に歩き出した高久の後ろを京子が走ってついていく。


こんな場所に一人きりは冗談じゃない。


「わたしも……」


船のヘリに上って飛び移ろうとしたが、縁に重心が掛かったせいで船が傾き大きく揺れた。飛び上がった足が踏ん張れずに、前のめりに桟橋に転げ落ちた。


「痛っ……」


肘を打って痛さの余りに倒れ込む。


「おい! 大丈夫か?」


真っ先に飛んできてくれたのは、来栖だった。

手を差し伸べてくれるが、何か嫌で、そのまま一人で立ち上がって、肘や膝を払った。

来栖は伸ばした手を元に戻す。

「マーティ、ここに二人残すほうが危ないわ。海賊が海から戻ってきたら捕まっちまう。一緒に連れて行こうぜ!」

来栖がボートに戻って、オールの留めを外し二本の漕ぎ棒を引き抜いた。

「どうする気だ?」

「誘拐犯か海賊か知らんが、どちらにしても武器が必要やろ」

一本を高久に渡した来栖は、片手でオールをぶんぶんと振り回す。

その風切音が尋常でないくらい凄い音がした。彼なら本当に映画に出て来る海賊ぐらいなら倒してしまいそうだ。

高久は少々、手に余る武器を持ったまま、「じゃあ、行こうか」とわたしたちに声をかけた。

行くしかない。

 高久を先頭に、来栖、京子、わたしの四人は用心しながら桟橋から延びる階段を上った。

踏むと音が鳴る板の段は、いつ踏み抜けるか分からない怖さがあった。

男子二人の足は速く、京子も足取りは軽い、ひょいひょいと問題なくついて行く。それをわたしが必死に追う。情けないなと思いつつ、彼らはボート部の全国エースたち。わたしとの体力差は仕方ないと自分を励ます。

階段を上り終える。結構な高さがあった。地上五階建てのマンションと同じくらいだろうか。平たいスペースがあり、そこに、埃塗れの朽ちた扉が横たわっていた。その扉があったであろう場所には、大きく開口された暗闇に包まれた部屋が見える。


「ここから、上の街にいけるんじゃねえの」

「そうだろうな。でも真っ暗だ」


漆黒の室内からは木の腐臭に満ちた匂いが溢れだしており、毒ガスが充満しているような感覚に襲われる。流石に誰も暗闇に突入はしない。


「おい、あれなんや」


来栖が何かを見つけた。突然、階段上にあるスペースの端っこへと走っていった。手すりなどないので、落ちたら結構ヤバい高さである。


「ええもん見つけたれ。これ!」


来栖の手には大きなランプが見てた。


「油残ってたらええけど、点くかな」


しゃがみ込んだ来栖の周りが突然に明るくなった。

「さすが、キャンプマニア」

京子が感心すると、更に黄色い輪が広がった。

「このツマミで明るさ調節もできる。灯油の匂いがせえへんから、パラフィンオイルやな。これ、ランプもオイルも高級品やぞ」

 周りを調べると、ランプは合計二つあり、来栖はもう一つにも火を付けると高久に手渡した。

左手にランプ、右手にオールを持った高久を先頭に、京子。少しあけて、来栖とわたしが部屋に入った。

 入りたくはなかったが、誰かに助けを呼ぶためには、島の上にある街に行かなければならない。

仕方なかった。

街の住民が助けてくれるかは分からないが、上るしかないのだ。

部屋は教室二つ分ほどの大きさで、理科室にあるくらいの大きなテーブル、これも木で出来ていて、その周りに椅子が並ぶ。こういうテーブルが五つほど見えた。

ランプを向けると、テーブルには書きなぐった落書きや、手帳や鉛筆、見たことのない包み紙に、紙コップや瓶が散乱していた。それらは床にも散乱しており、歩くだけで何かにつま先が当たるほどだ。

突然、誰かが出て来てもおかしく思えない。用心すべき場所でもあったが、高久は、お構いなしに、どんどん先に進んでいく。

「ちょっと、マーティ、もっとゆっくり歩けよ。俺は見えてないんだぜ」

そう言った瞬間だった。マーティが立ち止まり壁に灯りを向けた。

大きな絵が映画のスクリーンに映し出されたように現れた。

よくよく見ると、それは島の見取り図のようにも見える。

全員が歩み寄った。間違いない、先ほどまで外から見ていた島の見取り図である。

右上に《幻岩島》と記されていた。絵は精巧な鉛筆画のようにもみえる。

擦ってみた来栖が「鉛筆だな」と言ったからそう思ったのもある。

京子が近づいて文字を読もうとした。

突然、不気味な人の唸り声のようなものが聞こえて来た。狭い洞穴の入口のほうからだ。

更に声が大きくなっていく。

「なんだ。なんだ」

振り返った来栖の眉間に皺が刻まれている。

不気味な声はいっそうボリュームをあげた。

地鳴りのように大きな音、皆が恐ろしくなって身を屈めている。

おおおおおぉぉおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ

何とも形容しがたい男の叫び声のような音だ。

いや泣き声か。海賊が遠吠えを発しているのだろうか。桟橋に戻って来たのだろうか?

急に眠気に襲われ、わたしたちは崩れるように床に倒れ、気を失った。

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