第6章:揺れる
夏休みが間近に迫る祝晴高校では、生徒たちの間で奇妙な噂が囁かれ始めていた。「完璧な学校」の影で囁かれる、不穏な都市伝説。それは、生徒たちがまるで操り人形のように、自らの意思に反して行動しているというものだった。
「ねえ、知ってる?美術部の部長さん、突然絵を描くのやめちゃったらしいよ。進路も急に医学部に変えたんだって」
ルナが生徒会室で次のイベントの打ち合わせをしていると、休憩中の生徒たちがそんな会話を交わしているのが耳に入った。「美術部部長の斎藤さん、絵がすごく好きで、美術大学目指してたのにね。才能あるって有名だったのに、もったいない」という言葉に、ルナの胸に、嫌な予感がよぎる。斎藤さんはルナが以前、美術部の活動で協力したことがあり、彼女の絵に対する情熱を知っていたからだ。
別の場所では、こんな話も聞こえてきた。「あの吹奏楽部のエースもだよ。全国大会目指してたのに、急に『自分には向いてない』って。システムがどうとかって言ってたけど…」
吹奏楽部のエース、田中くんは、ルナもその演奏を何度も耳にしていた。彼のトランペットの音色は、学園祭で聴衆を魅了するほどだった。そんな彼が突然、夢を諦めるというのは、あまりにも不自然だった。
これらの話は、以前ハルが示唆した「最適化されたデータ」の具体例と一致している。城島が作り上げた「設計図」が、生徒たちの人生を歪めている現実を目の当たりにしたルナは、思わず拳を握りしめた。彼女の脳裏には、タケルの「夢を諦める」という言葉が鮮明に蘇った。まさか、あれもこのシステムの仕業だったのか。
放課後、ルナはハルに連絡を取り、旧校舎の秘密の部屋で落ち合った。ルナは、今日耳にした噂をハルに伝えた。ハルは、既にそれらの情報も把握していたようで、モニターに新たなデータを表示させた。
「やはり、システムの介入が強まっている。城島は、夏休み中に何かを仕掛けるつもりだ」ハルは冷静に分析する。「彼が開発したAIプログラムが、より深く生徒の感情を分析し、行動を誘導するフェーズに入っている」
画面には、先ほどの美術部部長や吹奏楽部エースのデータが表示されている。彼らの「最適化」された進路や行動の裏に、システムによる巧妙な誘導が示されていた。感情の揺らぎを分析し、最も「効率的」に目標を達成できる道筋を提示する。一見、親切なサポートに見えるが、それは個人の自由意志を根底から否定するものだった。
ハルはさらに、システムが介入する際の具体的なプロセスをルナに説明した。
「このAIは、まず対象となる生徒の深層心理にアクセスし、その願望や不安、弱点を正確に把握する。次に、彼らの目標達成に対する潜在的な抵抗や、非効率な思考パターンを特定する。例えば、斎藤の場合、『美術で成功できるか』という漠然とした不安を増幅させ、より『確実な』医学部への道を提示した。田中には、『全国大会へのプレッシャー』を強調し、『向いていない』という自己否定を植え付けた」
ハルの説明は淡々としていたが、その内容はルナにとって衝撃的だった。生徒たちが、自らの意思で選んだと信じている道が、実は見えない力によって誘導されている。それは、魂の冒涜にも等しい行為だった。
「そんな…!みんな、気づいていないの…?」ルナは、ショックを隠せない。
「ああ。システムは、生徒が自らの意思で選択したと思わせるように巧妙に情報操作を行う。微細な意識の変化を誘発し、本人が気づかないうちに誘導する。だが、その過程で、彼らの心には微細な『綻び』が生じる。それが、先ほどの噂だ」
ハルは、生徒たちの心のデータの中に、わずかながら抵抗の痕跡があることを示すグラフをルナに見せた。それは、システムによる「最適化」への、無意識の拒絶反応だった。生徒たちの心の奥底に、システムに抗う微かな火種が残っていることを示唆していた。
「じゃあ、この『綻び』が、システムを攻略する鍵になる?」ルナは、わずかな希望を見出した。彼女の瞳に、再び強い光が宿る。
「可能性はある。感情の揺らぎは、システムにとって予測不能なエラーを誘発する。この『綻び』が、彼らの『設計図』を崩す唯一の脆弱性になるかもしれない。だが、これをどう利用するか、まだ具体策は見えていない」
ハルの表情は、いつになく真剣だった。彼は、システムが完璧ではないこと、そして人間の感情がその完璧さを打ち破る唯一の変数であることを理解し始めていた。
その時、ハルのタブレットに新たなアラートが表示された。学園システムの奥深くから、これまでにないほど巨大なエネルギー反応が感知されたのだ。画面には、地下深くへと続く未知の施設を示すような、構造データが点滅していた。
「これは…まさか」ハルの瞳が鋭く光る。「システムの核が、起動を開始した。城島は、夏休みを利用して、その『設計図』を本格的に稼働させるつもりだ」
ルナは息を呑んだ。夏休みは、もう目前に迫っている。学園が静まり返るその時を狙って、城島は最終段階へと移行するつもりなのだ。
「でも、どうすれば…この巨大なシステムに、どう立ち向かえばいいの?」ルナの不安が、声に滲む。システムの規模があまりにも大きすぎた。
ハルは、ルナの手を再び強く握った。彼の指の力が、ルナの不安を少しだけ和らげる。
「焦るな。このシステムにも、必ず弱点がある。そして、お前がその鍵を握っている」
ハルの言葉は、ルナを力強く支えた。彼が自分を信じ、共に立ち向かおうとしている。その事実が、ルナに勇気を与えた。彼女の心に、再び生徒会長としての責任感と、仲間を守るという強い決意が湧き上がってくる。
「生徒たちの心の『綻び』…それを、私たちが広げればいいのね」ルナは、ハルを見つめ、決意を新たにした。「このシステムに、本当の『自由』を見せてやる。城島の『設計図』なんて、私たちの絆と、生徒たちの本当の夢の前では、きっと脆く崩れるはずだわ!」
ハルは、静かに頷いた。彼の瞳には、ルナへの信頼と、来るべき戦いへの覚悟が宿っていた。旧校舎の窓から差し込む夕日は、彼らの固く握られた手を力強く照らしていた。しかし、その光は、来るべき戦いの厳しさと、彼らが背負う重い責任を暗示しているかのようだった。夏休みが始まる。それは、多くの生徒にとって解放の時だが、ルナとハルにとっては、学園に巣食う「影」との、静かで、しかし熾烈な戦いの始まりを意味していた。彼らはもう、後戻りできない。
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