勇者様は皿洗いができない

にとはるいち

第1話 平和を歓迎できない男

 勇者ストリックランドは苛立っていた。最近はいつもそうだ。

 原因は、平たく言えば金に困窮しているからだ。


 かつて、ストリックランドは世界を救った。

 優秀な仲間たちと共に、邪悪な魔王を打ち倒し、世界に平和をもたらした。


「クソ、さすがに腹が減りすぎて頭が回らなくなってきたな……」


 だが今の彼は、金が尽き、空腹に苦しみ、みすぼらしい姿でふらふらと街をさまよっている。腰に携えた剣は安物で、かつて持っていた勇者の剣も、どこへ行ったのかさえ分からない。


 ふとズボンのポケットに手を入れると、奥の方にボロ雑巾のような汚い干し肉があるのに気づいた。一体いつからそこに入っていたのか見当もつかない代物であったが、彼はためらいもせず口に入れた。


「あんまり美味くないな……。まあ、魔物の肉ばっか食ってたころよりかはマシか」


 ストリックランドは大きな広場に出た。そこは、人々が憩いの場として活用しているようだった。


 ふと、小さな子供を連れた若い夫婦と目が合った。夫婦は見てはいけないものを見てしまったかのように、ストリックランドから目をそらし、自分の娘が彼の目に触れないよう視界から遮った。


 広場の中央には、大きな噴水がある。その噴水の中央には、台座に乗った銅像があった。


 その銅像とは、まさに勇者ストリックランドの全身像である。荒々しさを感じさせながらも端整な顔立ちで、勇者の剣を堂々と空に向けている。


「はあ……」


 今の自分とは似ても似つかない銅像の姿を見て、ストリックランドはため息をついた。

 かつてはこの銅像のように、立派な勇者として世間に名が知られたものだった。


 魔王を倒した直後、彼と三人の仲間たちは、人々から拍手喝采で出迎えられた。

 彼を送り出した国王は、来るべき平和は勇者ストリックランドの功績であると大いに称え、彼に褒美として多くの報奨金を渡した。

 世の中は平和になり、ストリックランドは金と名声を手にし、それで万事は上手くいったと思われた。


 ストリックランドは噴水に近づいて、水の溜まっているところに顔を近づけた。汚らしく、やる気のない顔が水面に映っている。

 銅像とのあまりのギャップに思わず笑い声をあげそうになったが、周囲の人間が怯えるのが目に見えていたので我慢した。


 彼は水面に映った覇気のない顔を見ながら、過去に思いを馳せた。


「どうしてこうなったんだ……?」


 魔王を討伐してからこれまでの三年間は、自堕落な日々ばかりだった。魔族たちの脅威が激減した世界では、彼はその力を持て余し、とにかく暇になった。

 退屈を忘れるため、報奨金を酒とギャンブルと女に費やした。


◆◆◆


「あんたさ、会うたびにいっつも高そうな酒飲んでるけど、大丈夫なの?」


 道端で久しぶりに再開した仲間の魔術師が、心配そうに声をかけた。


「大丈夫だ、金はまだある」

「金だけじゃなくて、体の方も」

「飲みすぎた時は、吐けばたいてい調子が戻るんだよ。あとはまあ……あんまり酷くなったらお前の回復魔法で治してもらえば問題ないだろ?」

「は? 馬鹿じゃないの」


◆◆◆


「ストリックランド、いい加減帰るぞ……」


 地下の賭博場で、仲間の剣士が心配そうに声をかけた。


「まだ一万ゴールドしか負けてねえだろ……っ! クソ……酔いすぎて頭が回らねえ」


「庶民が半年は暮らせる金額じゃないか。あーあ、もう知らないからな」

「リタはどこに行った?? あいつの回復魔法で頭の痛みをとって欲しいんだが?」

「初めからいないだろ。飲みすぎてイカれてるぞお前」


◆◆◆


 酒とギャンブルは、成人した時から続いていたささやかな楽しみではあった。しかし、大金が手に入り調子に乗ったストリックランドは、より高価で大量の酒に溺れ、より高額でアングラな賭博に金を注ぎ込むようになった。


 美酒は毎日、彼の空虚さを癒してくれた。高額な賭けは、勝っても負けても、脳内で火花が弾けるような感覚を味合わせ、退屈を忘れさせてくれた。


 また、王国で自慢の美女たちを、自宅の屋敷に連れ込んでパーティーを催したこともあった。高い酒を大量に並べ、コックを雇い料理を提供させた。女たちは喜び、ストリックランドの孤独も癒された。

 パーティーに参加させられた仲間の剣士は、「お前は近いうちに破産するだろう」と呆れながら言ったが、ストリックランドは気にも留めなかった。

 その後、剣士の言った通り、彼は金を使い果たした。


 それでもストリックランドは、これまで続いた贅沢な暮らしから抜け出せなかった。いよいよ借金にまで手を出して自堕落な生活を続けたが、ついに取り立ての時がやってきた。困り果てたストリックランドは、自宅を売り払うことで金を工面し、なんとか借金を返済できた。


 しかしこれで、彼はほとんど一文無しになった。


 金に困ったストリックランドは、冒険者ギルドで仕事を斡旋してもらおうとしたが、彼にとって丁度いい仕事はなかった。というのも、彼に出来るのはとにかく荒事ばかりだったからだ。


 以前であれば、魔物を討伐したり盗賊を撃退したりする仕事が多くあったものだが、魔王が不在となり、治安も安定した時代においては、そうした仕事は激減していた。

 たまに発注されていた力仕事も、競争率が高く、他の冒険者に取られてしまうことがほとんどだった。


 そういう訳で、彼は冒険者ギルドを去った。そして、金に困窮しながら街を徘徊することになったのである。


◆◆◆


「……全部俺が悪いな」


 過去を振り返り、こうなった原因について誰かのせいにする余地がないか探したが、どこにもなかった。


 水面に手を突っ込んだ。水を手ですくって、顔を洗った。


「はあ……」


 少しだけサッパリした表情になったが、事態は何も変わっていない。彼は再びため息をついた。


 広場で過ごしている他の人々を見た。そこには幸せそうな生活があった。

 どこかの店で休憩でもしようかと話している家族連れ。棒切れを振り回して遊ぶ子供たち。モップのような白い犬とのんびり散歩する初老の男性……

 ゴミひとつ落ちていない清潔な広場で、自分以外の誰もが、そこに似つかわしい存在のように思えた。

 その一方で、彼だけが、この場所に馴染んでいないようだった。


「なんか、俺だけが……生き方を見失ってるみたいだな……」


 広場で思い思いの過ごし方をする人々を見て、思わずつぶやいた。


「移動するか……」


 気まずさを感じたストリックランドは、場所を変えることにした。


「冒険者の仕事がろくにないとすると……どこかで雇われるしかないのか……?」


 ふらふらと当てもなく歩き回りながら、ストリックランドは考え込んだ。冒険者一筋でやってきた自分に、果たしてそのような働き方ができるのだろうかと思った。


 しかしそれでも、生きていくためにはどこかで働かなくてはならなかった。


 ここではないどこかに、自分の生き方を決める何かがあると思いたかった。

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