【第八章:冴華の狂気】五節

 瞼をゆっくりと開けると、私の目の前を、青白い光が漂っていた。光は私が目覚めた事に気付いたのか、急に元気になり、私の周辺をせわしなく動き始める。

 初めてこの光を見た時は何なのかよくわからなかったけど、今では不思議と、この光をそのものだと実感していた。

 光が私の頬の近くを通り過ぎる度、 暖かさを感じたと思えば、冷たい印象を抱かせてくる。なんとなくこの世ならざる感覚を得ながらも、これだけは言える。輪戻石は、生きているんだと。

 ふと気づけばいつものように、背後から現れた光の粒子に、私は包まれてしまった。

 聞こえてくる、幾重にも折り重なった沢山の声。その中には連や理葩ちゃんの声が混じり、光の粒子となって暗闇にいくつも浮かんでいる。

 けどその光の中に、人の姿が混じっている事に気付いた。

 よく目を凝らすと、その人物の姿がハッキリしていく。

「――あれは……冴華さん!? どうしてこの空間に!?」

 過去、連と理葩ちゃんが、輪戻中のこの空間に現れた事がある。理由はわからないけど、二人と私の結びつきが強いからだと、勝手に思っていた。でも、私と冴華さんの関係は、まだ他人と呼べるほど薄っぺらい。そんな冴華さんが……どうしてこの空間に?

 すぐに冴華さんの傍まで近づく。連や理葩ちゃんの時と同じように、彼女も目を閉じている……かと思いきや、突然その瞼がパッと開いた。

「な……なに? 一体なんなの?」

 瞳をあちこちへ泳がせながら、冴華さんが困惑した表情で状況を理解しようとする。そして彼女は私を見つけた。

「お前……なんでここにいるの? ていうか、これは何?」

「うそ……。冴華さん、意識があるの?」

 信じられない想いで問いかけるけど、代わりに、今まで聞いたことのないが聞こえてきた。

『――やれ、冴華ッ! お前がやらなきゃ、俺が殴るぞッ!』

『どんくさい子だねっ! さっさとしなさいよっ!』

「ひッ――!!」

 大人たちの声が聞こえ、一粒の光が目の前に降りてくる。……声色から察するに、若い男女の声だと思う。でもその発言内容は明るいものではなく、とても醜悪なものだ。

 そしてその声に、冴華さんが身を縮めて怯えた。その様子に私は驚いた。だって輪戻前に見ていた彼女の印象からは、こんなにか弱い姿が想像つかなかったから。

(この声は……誰かの記憶から形成されているはず。それじゃあ、この光は冴華さんに関係したものなの?)

 私がその光に意識を集中すると、とある家庭の居間の風景が映し出された。

 狭い部屋の一角で、二人の幼い女の子が向き合っている。床には空になった酒瓶が転がり、父親と思しき人物と、母親と思しき人物が、醜悪な笑みと共に、自分の娘と思われる二人を囃し立てている。その両親と思しき人物の顔は、歪んでいて、判別することができなかった。

 対する二人の女の子の内の一人は、酷く怯え、身体をギュッと縮ませている。その瞳には怯えの色が見え、わなわなと唇を震わせていた。

(あれは……理葩ちゃんだ!)

 その姿は、連と理葩ちゃんが初めて出会った時と似ていた。寒空の中、薄着のまま公園のベンチに座り、初めて連と出会った時のあのやつれた姿だ。

 という事は、理葩ちゃんと対峙するように立ち尽くす少女は……冴華さんってこと?

 でも遠目から見る幼少期の冴華さんは、なんだか生気の抜けた人形のようだった。

 両腕は力なくだらんと垂れ、今にもその場に崩れ落ちそうなほどに弱々しい。

『早くしろ冴華ッ! もういい、俺が手本を見せてやるッ!』

 冴華さんの父親が立ち上がる。その様子を見た冴華さんが、縋るように父親の足元へ縋りついた。

『やるっ! 私、ちゃんとやるからっ! ――うッ!』

 でも父親は、そんな冴華さんを蹴り飛ばすと、ずんずんと理葩ちゃんへ向かう。

 迫る巨漢の影に、理葩ちゃんの表情が絶望する。そんな理葩ちゃんの胸倉をつかむ父親は、その大きな拳を振り上げ、理葩ちゃんの顔面を思いっきり殴った。

 鈍い音が部屋に響き、理葩ちゃんが壁に叩きつけられる。残酷な光景を前に、母親は笑顔で酒を煽っている。自分の娘のはずなのに、どうしてそんなに笑顔でいられるのか、私には理解できなかった。

 冴華さんがもう一度、父親の足に泣きながら縋りついた。

『やめてッ! 私がやるからッ! ちゃんと教えられた通り……できるからッ!』

『じゃあやってみろッ!』

 父親が倒れている理葩ちゃんを、冴華さんの目の前に無理やり立たせる。

 理葩ちゃんの顔は腫れあがり、目を閉じて震えている。そんな理葩ちゃんに対して、冴華さんは大粒の涙を流しながら、父親と同じように拳を振り上げた。

 そして再び、鈍い音が部屋に響く。


 これが……こんなのが、理葩ちゃんと冴華さんの、幼いころの記憶なの?

 吐き気を催すような光景に、私は瞳を涙で濡らしていた。

 そして私は、己の浅はかさを恥じた。冴華さんを理解したいという言葉に嘘はないけど、簡単に言えることではなかったのだから。

 そして気づけば、私は光からはじき出されていた。

 顔を上げると、冴華さんが、震えながらうずくまっていた。

「理葩……ごめんなさい。……ごめんなさい。……私を許して」

「冴華さん……」

 もう彼女に私の声は届いていないみたいだった。ただただ冴華さんは、理葩ちゃんに対して謝罪の言葉を繰り返していた。 

 胸に去来する罪悪感。冴華さんのトラウマを、輪戻によって引き出してしまったのだから。

「……ごめんなさい。でも私があなたを理解するためには、これしか方法がないの」

 依然として、うずくまったまま震える冴華さんに私は謝る。

 多分、話を聞いただけじゃ、本当の意味で冴華さんを理解することはできなかっただろう。そしてきっと、知ったかぶりをするだけの私に、冴華さんが心を開くことはない。


 ――でも冴華さんを理解したあと、どうすればいいのだろう? 私に何ができるんだろう?


 ふと気づくと、私の周囲を、青い光が子供のように駆けまわり始めた。

 光は悪戯するように私の身体を巡った後、手のひらの上に収まった。

 ――。でもその視線から悪意は感じなかった。むしろ、どこか親しみさえ感じる。

 思わず、私は輪戻石に尋ねた。

「あなたは誰?」

 そんな私の疑問に答えるように、青い光がフワフワと浮かび上がると、光の粒子を連れて遠くへ離れ始めた。いつもならこのタイミングで、私は奈落へと落下していくはずだけど、何も変化が訪れない。……なんだか今なら、

 一瞬、私は光についていこうと手を伸ばしたけれど、その手を引っ込めた。だってまだ、私にはやるべきことがあるから。

 そして私は自ら、光の向かう先とは反対方向へ、奈落へと落ちた。

 だって連や理葩ちゃんや冴華さんの問題は、まだ何も解決していないんだから。


◆◇◆◇◆◇


 上も下も、視界全てが黒に染まった奈落のさらに下。無限とも思える自由落下に身を委ねていると、突如、光が差し込んだ。

 最初に見えたのは赤い夕陽の光。次に、光に照らされた道路や街灯。そして道の真ん中に立つ、四人の女の子の姿。

 私はその内の一人、羽並翼の中へと落ちていった。

「――ここは……?」

 瞬きを何度か繰り返す。肌を撫でる冷たい風の感触に、どこからかほのかに香る土埃の匂い。遠くに聞こえる街の音が、私を羽並翼だと実感させる。

 ――そうか、輪戻から返ってきたんだ!

 目の前には包丁を片手に、頭を抑えている冴華さんの姿がある。そして背後には、連と理葩ちゃんの気配も感じる。

 という事は、今はのタイミングってことだ。

「翼……泣いてるの?」

 連の言葉に、私は自身の頬を指先でなぞる。確かに私の頬は涙で濡れていた。

「どうしたの?」

 隣にいた理葩ちゃんが、私を心配して顔を覗き込んできた。そんな彼女の顔を見た瞬間、私は耐え切れなくなって、理葩ちゃんを思いっきり抱きしめた。

「ちょちょちょ、え? 何? こんな時にどうしたの翼!?」

「理葩ちゃん。……辛かったね。辛かったよね」

「う……うん? えっと……そう、かも?」

 理葩ちゃんは何のことかわかってないみたい。でも今は、理葩ちゃんを抱きしめたくて仕方がなかった。こうする以外に、何も思い浮かばなかったから。

 少しの間そうしていると、冴華さんのうめき声が聞こえてきて、そっと理葩ちゃんを離した。

「うぅ……。頭が痛い……。いったい何が起こったの?」

 冴華さんは輪戻に巻き込まれた影響なのか、ずっと頭を抑えている。そして彼女の瞳が私を捕らえると、今度は困惑したように眉をひそめる。

「お前……さっきまで、光ってなかった?」

「……光ってたよ」

 その通りなんだけど、はたから見れば間抜けな会話みたいで、ちょっとおもしろい。

「は……はははっ。なんなの? 私は夢でも見てるの?」

 私の返答を聞いた冴華さんが乾いた笑いと共に、手に持っている包丁を眺めている。「夢じゃないよ。さっきの出来事も、輪戻中の中の出来事も」

「輪戻中……?」

「そう、あなたは、輪戻に巻き込まれたの」

 言いながら私は、花開いた輪戻石を冴華さんに見せた。

「この石は、過去に戻るという特別な能力を持っているの。その能力は輪戻と呼ばれて、輪戻が発動すると行ける、特別な空間なの。いつもなら私一人しかいないんだけど、今回はそこにあなたがいた」

「輪戻……? 特別な空間……? じゃあまさか、あれは私の夢じゃなくて、現実ってことなの?」

「うん。だから私も、あなたと理葩ちゃんの過去を……そこで視たわ」

 その瞬間、冴華さんの気配が一遍する。それは狂気に支配された姉の姿ではなく、明確に、私に殺意を向ける鬼と化した一人の女性だ。

「つまりお前は……、私の過去を引きずりだした張本人ってわけね?」

 冴華さんが、包丁を構えてにじり寄ってくる。

「絶対に許さない! まずはお前から……殺してやる!」

「待って冴華さん! 私は、まだあなたと話したい事が――」

 でも彼女には、私の言葉は届いていなかった。包丁の切っ先を私に向け、冴華さんは一直線に向かってくる。

 ――輪戻をしないと! そう思った時、私の目の前に人影が現れた。そして私に突き刺さるはずだった刃は、その人に突き刺さる。

「連ッ!」

 膝から崩れ落ちる連を抱きとめる。彼女の腹部にある刺し傷から、流血が止まらない。

「よかった……。翼、無事……なのね?」

「連っ! ごめんね、私が早く輪戻をすれば、こんなことには!」

 すぐに輪戻をしようと目を閉じたけど、迫る足音に阻害されてしまう。連の血で真っ赤に濡れた包丁を携えた冴華さんが、目前に現れたからだ。

「死ね! またあの過去を、見せられてたまるかッ!」

 ――輪戻が間に合わない!

 私は連を庇うように覆いかぶさると、ぎゅっと目を閉じた。でもその瞬間、理葩ちゃんが冴華さんに体当たりをした。

 予想外の攻撃にバランスを崩した冴華さんが転んでしまう。その隙に理葩ちゃんは、地面に倒れた冴華さんにのしかかり、彼女の首を絞めあげる。

「死ねッ! お前なんか、死んじゃえッ!」

 理葩ちゃんの憎悪に満ちた声が響く。

 ――ダメッ! 理葩ちゃんにとっては、冴華さんは恐怖の対象かもしれない。でもあの時の冴華さんは、本心じゃなかったはずなんだから!

 それに理葩ちゃんに、冴華さんを殺させちゃいけない!

 祈りが通じたのか、突如、 純白の花弁が蕾の状態になり、そして花開いた。と同時に、輪戻石から眩い光が放たれた。

 光が世界全てを包み込んでいく。それはこれまでにないほどの規模で、光を一身に浴びた私は、何も考えることが出来なくなった。

 光は憎しみも悲しみも飲み込んで、静かに世界をやり直そうとしていた。

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