【第八章:冴華の狂気】四節

 冴華さんは、とても綺麗な人だった。腰まで伸びた漆黒の髪は、先端が綺麗に整えられ、目鼻立ちは整い、白い肌が夕陽に照らされて赤く染まっている。

 でも彼女の笑顔は気味が悪かった。まるで何かにとりつかれているように、彼女は両手を広げながら、ゆっくりと近づいてくる。その大きく丸い瞳は、理葩ちゃんの姿を捕らえて、欠け月のように歪んでいた。

 この人が……御影冴華さん。

 何度も輪戻を繰り返す中、私は二度、この人を見たことがある。

 一度目は、入院する理葩ちゃんの病室へお見舞いに行く途中だった。理葩ちゃんの病室から現れた冴華さんの瞳を見た時、心が凍りついた記憶がある。

 二度目は、病院へ向かう道すがら、酷い頭痛のせいで動けなくなった時だ。あの時は冴華さんに「邪魔だ」と言われた記憶がある。

 あの時の彼女と目の前にいる冴華さんの印象は、また違って見えた。私と対面したときの冴華さんは氷のような人だったけど、今の冴華さんからは、理葩ちゃんに対する執念が、黒い炎となって渦巻いているように見える。

 ――でもここで怯えていても、何も始まらない。

 意を決して、私は理葩ちゃんの前に歩み出た。その瞬間、冴華さんの動きがピタッと止まった。

 見ただけで呪い殺されそうな、冴華さんの真っ暗な瞳が、私を真っ直ぐに射貫いた。

「……どけよ」

 恐ろしいほど重く低く、彼女の声から重圧を感じた。思わず後ずさりしそうになる足を、勇気を出して無理やり地面に固定する。

「どかない。冴華さん、あなたに話があるの」

「どけよッ!!」

 びゅう! と、強い風が私達の間を吹き抜ける。鬼の形相と共に、風に舞う冴華さんの髪の毛が、彼女の怒りを表すように荒れ狂う。

 恐怖で竦みそうになる身体を、踏ん張って堪える。ここで引くわけにはいかないから。

「お前誰だよ? なんで私の名前を知ってるの?」

「私は羽並翼。理葩ちゃんの友達だよ」

 友達という言葉を聞いて、途端に冴華さんの表情が優しくなった。

「そう……理葩の友達になってくれた人なのね。ありがとう」

 さっきまでの鬼のような気配を纏っていた冴華さんから、理解ある優しいお姉さんに変貌する。逆にその切り替わりの早さが、私に恐怖心を芽生えさせる。……冴華さんが何を考えているのか、まるでわからない。

 そのとき、背後から連が飛び出してきて叫んだ。

「理葩は、あんたの妹じゃないっ!」

 理葩ちゃんの姉として、冴華さんを姉と認めるわけにはいかない。そんな彼女の主張に、再び冴華さんの表情が鬼へ戻る。

「お前こそ、理葩の姉じゃないッ! 理葩をたぶらかして、勝手に姉を名乗るなッ!!」

「違うっ! 理葩は自らの意思で、私の家に来たのっ! そして私達の家族になったんだっ! あんたは関係ないのよっ!」

 連の言葉を聞きたくないのか、冴華さんが両耳を塞ぎ、頭を大きく振り乱す。剥き出しの歯の隙間から、低く響く唸り声が、こちらを威嚇する猛獣を彷彿とさせる。

「理葩、本当なの? 本当に自分の意思で、そいつと家族になったの? 騙されたんじゃないの?」

「騙されてない。私はもう、理葩だ」

 震える声で、理葩ちゃんが言い切った。自らを理葩ではなく理葩だと。

 その言葉に胸が熱くなる。だって、血の繋がりのない連を、お姉ちゃんとして認めているから。でも、実の妹からそんな事を言われた冴華さんの心境は、察するに余りある。

「……認めないッ! 絶対に認めないッ!! どうしてそんな奴と家族になったのッ!? どうして私の元からいなくなったのッ!? どうしてどうしてどうしてッッ!?」

 子供のように地団太を踏み、大きく頭を上下し、ヒステリックに叫ぶ冴華さんは、見ていて心が痛くなった。そして、どうして理葩ちゃんは冴華さんをここまで拒絶するのか、疑問が生まれる。


 一体、二人の過去に何があったのだろう?


 突然、冴華さんは冷静な顔つきに戻ると、乱れた髪の毛を手で整え始めた。

 黒い炎を纏っていた彼女が、氷の鎧を纏う瞬間だ。

「理葩……。私ね、あなたを迎えに来たの。あぁ大丈夫、安心して。迎えに来たと言っても、あの家に連れて行かないわ。実はあれから、理葩のために新しい家族を作ったの。五年もかかっちゃったけど、やっと理葩を迎える準備ができたの。だから、一緒に行こう?」

「言ったでしょ? 私の家は、枝葉の家。アンタの所には絶対に行かない」

「もしかしてあのクソ親がいるんじゃないかって思ってるの? なら、もうアイツ等はから大丈夫よ! 新しいは、とっても優しんだから!」

「――何度も言わせないでっ! 私は、絶対に帰らないっ!」

 理葩ちゃんがハッキリと拒絶の意志を見せつけた。

 一瞬魂が抜けたように、呆然と立ち尽くした冴華さんが、おもむろに鞄を漁り始める。そして鞄から刃物を取り出して、その切っ先を連へ向けた。

 夕焼けの光を反射した銀色のそれは、包丁だった。

「じゃあ理葩の帰る場所がなくなれば、私と一緒に来てくれる?」

「ダメッ!」

 私は、連と理葩ちゃんの前に飛び出して、二人を守るように両手を広げた。

「冴華さん、それだけは絶対にダメだよ! そんなやり方をしても、理葩ちゃんはついていかないよ!」

「……羽並さん。理葩の友達になってくれたのは感謝してるけど、邪魔するなら、アンタから殺すよ?」

 冴華さんの鋭い眼光が私を射貫く。その瞳から、冴華さんが本気だと感じ取る。

 でも私は、恐怖と一緒に悲しさがこみ上げてきた。

「……どうしてそんなに簡単に殺すって言えるの? もっと話し合うとか、他の選択肢があるはずでしょ?」

「だって殺す方が簡単じゃん。どうして話し合う必要があるの? その時間がもったいないじゃん」

「勿体ないって……そんなことないよっ! 自分の思い通りにならないから命を奪うなんて、普通じゃないよっ! そんなことをするから、理葩ちゃんが拒絶するんでしょ!?」

「お前に何がわかるッ!?」

 連に向けられていた包丁の切っ先が、私に向けられた。

「私はそれしか知らないんだッ! それしか教わらなかったッ! お前の物差しで、私を計ろうとするなッ!!」

「翼は殺させないっ! 御影冴華! あなたの目的は私でしょ!? 私だけを狙いなさい!」

「二人を殺すって言うなら、私がお前を殺してやるからっ!」

 連が私を庇うように前へ飛び出した。それだけじゃなく、理葩ちゃんも一緒に居る。

 そんな二人の様子を見ていた冴華さんが、包丁を両手に持ち直し、腰の位置に構えた。それはもう、言葉を交わすつもりがない……という意思表示にも見えた。

 『お前の物差しで私を計ろうとするな』という言葉が、私の心に重く響いた。だって誰もが、ちゃんと向き合って話し合いをすれば、物事は解決すると思っていたから。冴華さんには、はなから対話という選択肢がないんだ。

 そんな彼女に話を聞いてもらうためには、彼女の事をもっとよく知る必要がある。それも半端な理解じゃダメだ。ちゃんと、冴華さんが見ている闇を、私も見ないと。

 ……今は輪戻を使うしかない。この場の誰かが傷つく前に、過去に戻ってやり直さないと。

「連、理葩ちゃん。守ってくれてありがとう。でもやっぱり、私は輪戻するね」

 そう言いつつ、私は輪戻石に祈りを込め始める。祈りの内容は、冴華さんを理解したいという、強い想いだ。彼女から『人殺し』という選択肢をなくすために、私ができる事があるはずだから。

 するとすぐに石が反応して、私の身体が淡く光り始めた。でも私の身体の変化は、いつもと少し違っていた。

「翼……身体が」

「――少し透けてる?」

 連と理葩ちゃんが言う通り、私の身体は淡く光るだけではなく、少しだけ透けていた。手をかざしてみると、向こう側の景色がうっすらと確認できた。……でも今は、そんなことはどうでもよかった。

 私は冴華さんに近づく。刃物を構えたままの彼女は、怪訝そうな表情のまま、近づいてくる私を警戒しているみたい。

 そして、手を差し伸べた。

「冴華さん。もし本当は理葩ちゃんを傷つけたくないなら、この手を取って」

 冴華さんは、差し出された手と私を、何度も交互に見つめた。彼女はどうすればいいかわからない……という顔をしている。

「き……気持ち悪いッ! その手を止めろッ!!」

 そう言うと、冴華さんが包丁を振り上げた。掲げられた刃物が、太陽の光を反射する。

「「翼っ!」」

 冴華さんが包丁を振り下ろす! 私はその刃を、受け止めようとした。

 ――でもその瞬間、輪戻石がひと際強い光を放ち、冴華さんの包丁を弾き飛ばした!

「――な、なにっ!?」

 そして輪戻石が花開くと、辺り一面が光に包まれる。それは目を開けていられないほどの強力な光で、その場の全員が、身動きできなくなるほどだ。

 今までの輪戻の中で、一番強い光が、世界全体を包み込んでいく。

 

 そんな中、私は一人、全てを見下ろしているかのような感覚に支配されていた。

 そう……まるで、私自身が輪戻石と一つになったようだった。

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