【第五章:連の覚悟】二節

 ――次の瞬間、私は病室にいた。

「……え?」

 私の身体には、大きな喪失と共に、奈落へ落ちていく不快感がまだ残っていた。……でも、どうしてそんな感覚があるのだろうか。

 記憶を辿ろうとすると、砂嵐のように雑念が割り込み、思い出すことができない。

 だから状況を理解するために、私はゆっくりと辺りを伺った。

 目の前には理葩がベッドに横たわっていた。彼女の傍にある機械がピッ……ピッとリズムを刻む。私の隣ではお父さんが心配そうな表情で佇み、お母さんが涙を流していた。そんな中、理葩の手術を担当した医者が、妹の現状を説明してくれていた。

 どこかで見た、真っ白な病室の景色。どこかで聞いた医者の言葉。どこかで嗅いだ消毒液の匂い。私が得たそれぞれの感覚が、沈んでいた記憶を連鎖的に呼び起こしていく。

 ――そう……私は、この光景を知っていた。

「痛っ……!」

 突然、頭が締め付けられるように痛み始める。

「……連? 大丈夫?」

 涙で目をはらしたお母さんが、私の肩を抱いてくれる。私は寄り添うようにお母さんにもたれ掛かった。

「……大丈夫。ありがとう、お母さん」

 お母さんを心配させまいと私は嘘をついた。でもズキズキと痛みは止まらず、やがて眩暈がして足元がふらふらし始めた。

「ごめん、ちょっと外に行ってる」

 ……ちょっと外の空気を吸って落ち着こう。

 私は足を引きずるように病室を後にする。そしてその足のまま、一階のエントランスへ降り、大きめのソファーに深く腰掛けた。

 痛みが治まる気配はない。私は目を閉じて深呼吸を繰り返した。

 理葩があんなことになっているのに、私は何をしているんだろうか。……あの子の傍にいてあげたいのに。

 目を閉じると、頭の痛みが少し和らいだ。そしてだんだんと意識が遠のいていく。

「ん……! れん……! 連っ!」

 ふと、誰かに呼ばれている気がして、意識が覚醒した。

 声の主を振り返ると、そこには翼の姿があった。

「連っ! 大丈夫? すごく顔色が悪いよ?」

「ぁあ……、翼。どうしてここに?」

「うん。輪戻が成功したか確認したくて」

「……りんれい?」

 なんだろう。初めて聞く単語のはずなのに、どこか聞き馴染みがある。

「連。もしかして、輪戻前の記憶がないの?」

「輪戻前の……記憶?」

「……そっか。輪戻石の所有者じゃないと、記憶は保持されないってことなのかな」

 寂し気に俯く翼。もしかして私は……何か大事なことを忘れているの?

 でも記憶を辿ろうとすると、ひと際大きな頭痛が襲い掛かってくるせいで、何も考えられなくなる。

 輪戻……。輪戻……。輪戻……。

 翼の言葉を何度も頭の中で反芻はんすうする。何か思い出せそうなんだけど、あと少しの所でまた頭痛が襲い掛かる。

「う……うぅ」

 痛みのせいで思わず頭を抱える。

「連……本当に大丈夫なの?」

「大丈夫……。大丈夫だよ、翼」

 翼にも心配をかけたくない。そんな思いから、また私は嘘をついた。

 でも翼をだますことはできなかったみたい。彼女は私の頭を優しく撫でてくれた。

「頭、痛いんだね。……でもごめんね。これだけは聞いておかなきゃならないの」

「聞くって、何を?」

「理葩ちゃんは……入院してるんだよね?」

「ど……どうして知ってるの?」

 そういえば翼にはまだ、理葩が入院したことを伝えていなかった。にも拘わらず……どうして翼はこの病院にこれたのだろうか。

「やっぱりそうなんだ。じゃあ私がしたかった輪戻は……失敗したんだね」

 その瞬間、私の脳内にあるシーンが浮かび上がる。

 月明りに照らされ、巫女服を着た翼が、自身の首に小刀を当てる光景が。

 そうだ。輪戻は輪戻石が持っている、過去へ戻ることができる能力のこと。そして今思い出したシーンは、それをするための儀式の一幕だ。

「……思い出した。思い出したよ翼っ!」

 私は興奮が抑えきれず、翼の両手を包み込むように握ってしまった。

「れ、連? 思い出したって?」

「輪戻のことっ! 翼が理葩のために、輪戻をしてくれたこと!」

「――っ! 本当に?」

「本当に! ……輪戻が成功してよかった。本当に……よかった!」

 喜びと安堵で涙が溢れ始める。だってもし翼が輪戻に失敗したら、翼は死んでいたということになる。そんな世界、耐えられるはずがなかったから。

「うん……。でも本当は、理葩ちゃんが事件に遭わないように、もっと過去に戻りたかったんだけどね」

「あ……。だからさっき、輪戻は失敗したって言ったの?」

 輪戻という事象を起こすことは成功している。でも、輪戻によって目的を果たすことができなかったから、翼は失敗したと表現したみたい。

「うん。でも安心して。私、成功するまで辞めないから」

「それは……」

 理葩が事件に遭う前まで戻れなかったら、何度も自殺するということだ。

 輪戻は成功した。だからこそ、今ここに翼は生きている。でも死なないからといって、何度も自分の首を切るなんて普通の精神じゃできない。

 昔、料理中に包丁で指を切ってしまった事がある。命にかかわらない傷なのに、その痛みは今思い出すだけでも鳥肌が立つほどだった。翼がやろうとしていることは、それ以上の苦痛があるはずなのに……。

 やっぱり、……もう輪戻は辞めて欲しい。

「今度こそ成功させる。だから待っててねっ!」

 翼が手を振って離れていく。

「あ、つ……翼」

 私が何か言う前に、翼の姿は遠ざかっていた。輪戻を止めて欲しいと思って伸ばして手は空を切る。

 私の言葉が届かない。……言葉をかける隙すら与えてくれない。

 思えばこの時から、私と翼の小さなすれ違いが増えていったと思う。

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