【第五章:枝葉連】
【第五章:連の覚悟】一節
「やったよ連! 理葩ちゃんが目覚めたよ!」
初めて翼からその言葉を聞いたとき、私はどれほど嬉しかったか。
そこに至るまでの翼の犠牲を知っているからこそ、その喜びはこれまでの人生で最大のものだった。
でも……その喜びは憎悪へと塗り替えられてしまう。あの結末が、全てを壊してしまったから。
あれは理葩が事件に遭った後のこと。翼が一度も輪戻したことがない世界の記憶だ。
◇◆◇◆◇◆
理葩が危篤状態で病院へ運び込まれたと知ったとき、私は膝から崩れ落ちた。
どうして理葩が? なんであの子がそんなことに? そんな疑問が頭の中をぐるぐると巡り、溢れ出る感情を抑えきれずに涙が流れた。
だから、翼が理葩のために輪戻すると聞いたとき、私は必死になって止めた。だって自殺をすれば過去に戻れるなんて、いきなり信じる方が難しいから。
でも翼は私を納得させるために、輪戻石のことや、羽並家に伝わる輪戻乃書を見せて色々と話しをしてくれた。「これで理葩ちゃんを助けることができるかもっ!」と、希望を見出した翼の顔は、私にはあまりにも眩しすぎた。
だって私は諦めてしまっていたから。どん底へ突き落され、這い上がる気力さえ湧かず、この先どうすればいいのかわからなかったから。
だから翼の言葉は、まさに希望の光だった。でも、その方法を聞いた私はすぐに「辞めてほしい」と訴える。
でも、彼女は頑なに首を振った。
「理葩ちゃんを救うためには、これしかないよ。大丈夫だって。過去に戻るだけで、本当に死ぬわけじゃないから」
「でも過去に戻れる保証なんてないじゃない」
「保証ならこれがしてくれてるよっ!」
翼は嬉々として輪戻乃書を見せてくる。……どうしてあなたがそんな物を信用できるのか、私には理解できなかった。
そんな疑いの眼差しを向ける私に気付いたのか、翼が俯いてしまう。
「まあ……無理もないよね。本当は私だって怖いもん。でも、理葩ちゃんをこのままにしたくないの。まだ連や理葩ちゃんと一緒にやりたい事もあるし、行きたい場所だってある。もしそんな未来を掴み取る可能性が残されているなら、私はそれを諦めたくないの」
たとえ自分の命を犠牲にしてでも。そう最後に付け加えて、翼が真っすぐ私を見つめた。その視線には、直視できないほどの強い意志が宿っていた。
根負けした私は、翼が輪戻することを許してしまった。今思えば、あのとき強引にでも翼の輪戻を阻止していれば……あんな事にはならなかったはずなのに。
◇◆◇◆◇◆
その日、私は翼の家に泊まりこんで輪戻の儀式を手伝うことにした。
翼は一人でやると言ってくれたけど、やっぱりこの目で輪戻の成功を見届けるまでは、信じることができない。……それに、もしこれで輪戻が発動しなかった場合……私も死ぬ気だった。
儀式の準備を進めながら、翼は未来の話ばかりしていた。私や理葩と行きたい場所、やりたいこと――その声は希望に満ち溢れていた。
本当に翼らしいと思う。こんな時、どうしてもマイナス思考になってしまう私とは違って、彼女はいつだってポジティブに物事を捕らえる。……そんな翼だから、私の心は、強く惹かれたのだろう。
「そういえば、これ見てよ」
巫女服へ着替える途中の翼が、ふと後ろ髪を結わえているリボンを見せつけてきた。
ふわりと揺れるそれは、クリーム色の上品で、可愛らしいデザインをしたリボンだ。その端には『Tsubasa』の文字が刻まれている。
「可愛い……! これどうしたの?」
「えっへへ。私のお誕生日プレゼントっ! お母さんとお婆ちゃんが買ってくれたんだっ!」
頭を揺らす翼のポニーテールがリボンと一緒に踊る。その可愛らしい姿に、思わず抱き着きたくなる気持ちをぐっとこらえた。
「とっても似合ってるよ、翼」
「ありがとっ! ……本当は理葩ちゃんにも見せたかったんだけど、こんなことになっちゃったからさ。でも輪戻に成功すれば、それも叶えることができるからねっ!」
輪戻に成功すれば。その言葉に、私の心臓がぎゅっと締め付けられた。だって輪戻が成功しなければ、永遠にその望みが叶えられないということになるからだ。
ついに私は我慢できず、翼に抱き着いた。
「れ、連!? どうしたの?」
「やっぱり辞めようよ……! 理葩のために翼が死んじゃうなんて、やっぱりやり過ぎだよ」
それは、私の心から零れた本音だった。
「……ありがとう、私を心配してくれて」
翼が私を抱きしめ返してくれる。彼女の細い腕に込められた力に、翼の決意が込められているように感じた。
「でもごめんね。やっぱり私は、この可能性を諦めたくない。多分ここで輪戻の儀式を止めてしまったら、私は一生後悔すると思うから」
「……それじゃダメなの? もし輪戻の儀式が失敗したらって考えないの?」
「うん、考えない。大丈夫。輪戻の儀式は必ず成功するよ」
彼女の瞳から強い意志を感じる。
あぁ……。もう私じゃ、翼を止めることができないんだ。
そう思ったとき、自然と涙が溢れてきた。その涙を翼が指で拭ってくれる。
「もう……連は心配しすぎだって。考えてみてよ。輪戻乃書は、これまで輪戻石を継承してきた人達が残した本だよ? もし歴代の継承者が輪戻に失敗してたら、あんなに具体的なことは書けないって。それに……、私は輪戻石が変貌する様子を見たことがあるの。その時の様子は、輪戻乃書に書いてあった一節とまったく同じだった。だからほら……ね? 信憑性が上がってきたでしょ? だから泣かないで」
もうそんなことはどうでもよかった。どんなに翼が輪戻乃書の信憑性を説いてくれたところで、輪戻の儀式を止める決断には至らないんだから。
輪戻が成功すれば、全てが元通りになる――それはわかっている。でも翼が死ぬなんて……心がついていかない。
だから涙が止まらなかった。色々な感情が溢れ、自分でも制御することができなかった。
翼は私が泣き止むまでずっと背中を撫でてくれた。
それからしばらくして、輪戻の儀式の準備が終わる。
祭壇に置かれた台座に輪戻石が鎮座し、その台座の前には儀礼刀がある。それらを前にして、膝を折った翼が静かに瞳を閉じている。
同じように私も翼の隣で正座をし、沈黙の時間が過ぎるのを待つ。
すると、翼が私のほうを向いて手を出してきた。
「ねぇ、手を握ってもらっていい?」
「……うん」
断るわけがない。差し出された手を握ると、翼の華奢な指が私の指と絡み合う。
翼がにこっと私に笑いかけてくれる。彼女の覚悟の決まった顔は、見ていて辛いものがある。……でも、ここで私が不安そうな顔をしたら、翼に心配をかけてしまう。だから私も笑顔を向ける。ちょっとでも彼女の負担を減らせるなら、これくらいなんてことない。
「それじゃあ、そろそろ始めるね」
翼はもう一度目を閉じると、空いた手を胸に置き、歌を歌い始めた。
それは私も聞いたことがない、静かな子守歌だった。
白き石が ひらく時
時は糸を 巻き戻す
選ばれしものの 血を聴きて
まわりて巡る 時の石
はなみの家に ささやけば
時は糸を 巻き戻す
蕾のままで 時を抱く
誰も知らない 石の声
歌を歌いあげる彼女の姿は、なんだかとても美しかった。
元気で明るく活発な女の子という気配は鳴りを潜め、静かで落ち着いていて、年上のお姉さんのような雰囲気を纏っている。
私は普段見ない翼の姿に……見とれていた。
やがて歌が終わると、そっと握っていた手を離される。絡めていた指が解かれ、私の手が宙に置き去りにされた。
翼はその手で儀礼刀を握ると、ゆっくりと鞘から刀身を抜き取った。キィ……ンと、鉄の鳴る音が響き渡る。
その音は鉄の冷たさを感じさせ、儀式部屋に緊張が走る。自然と背筋が伸び、不思議な文様が彫られた刀身に視線が奪われる。
そして翼がその小刀を自身の首筋へ当てる。危険な行為を目の当たりにした私は、思わずそれを止めようとするけど、彼女の顔を見て押し止まった。
なぜなら、月明りに照らされた翼の顔が……とても綺麗だったから。
何かを成す人の顔は輝いて見える。それが命を懸ける行為ならなおさらで、私から見た翼は……まるで天女のようだった。
翼が一度大きく深呼吸をしたあと「大丈夫」と小さく呟いた。そして次の瞬間、真っ赤な血が飛び散る。
――見ていられない! そう思って目をぎゅっと閉じた瞬間、瞼の裏に強い光を感じて、私はその正体を見た。
台座に鎮座していた輪戻石が、光を帯びている光景が広がっていた。
まるで蕾のように閉じていた花弁が、一枚ずつひらひらと広がり、やがて一凛の花へと変貌すると同時に、光の粒が部屋中に充満する。
凄い……。これが、翼が何度も言っていた輪戻なの?
でもその神秘的な光景も一瞬で、突如、私以外の全てが真っ暗になった。
まるで部屋の照明を落としたように、前も後ろも、上も下も分からなくなる。前後不覚に陥った私は、隣にいるはずの翼を見た。
でも彼女は、首から血を流してぐったりしていた。
「翼っ!」
思わず彼女を抱え起こそうとした時だった。するりと、一筋の光すらない完全な闇の中へ、翼が落ちた。
「そんな……翼っ! 翼ぁー!」
必死に彼女へ手を伸ばす。けれどその手は虚空を掴み、あっという間に翼の姿は、闇の中へ溶けていった。
音も、匂いも、私のすべてが消えてなくなった。そして私もまた、翼と共に崩れ落ちた。
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